アゼルバイジャンでの歓迎と擁護
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「ラミル・サファロフ」の記事における「アゼルバイジャンでの歓迎と擁護」の解説
2012年8月31日、8年間の懲役の後、サファロフの身柄は1983年のストラスブール国際受刑者の移送に関する条約に基づき、アゼルバイジャンに引渡された。ハンガリー政府によると、アゼルバイジャン政府は終身刑を継続的に施すと約束したが、サファロフがバクーに到着した後すぐ、アゼルバイジャン大統領のイルハム・アリエフは彼に対し、恩赦の声明を発し、「彼がすべての刑罰から解放される」と言った。 アゼルバイジャン防衛省長官のサファル・アビエフはサファロフを少佐に昇進させ、防衛省もサファロフにアパートの一室を贈与し、8年間の未払給料を遡及的に支払った。9月1日、アゼルバイジャン外務省の報道官、エルマン・アブドゥラエフはサファロフの帰国について、「アゼルバイジャンとハンガリーの両国間問題で、既に法律の枠組みで解決されており、国際法の規範と原則には反していない」と言った。また、彼はセルジ・サルキシャンの発言(後述)を「ヒステリッカルな」と批判し、サルキシャンがホジャリ大虐殺を起こしたグループのリーダーの1人であると非難した。 バクーに到着した後、サファロフは「これは正義の回帰だ。ちょっとびっくりした」と言った。その後、彼は殉教者墓地を訪れ、前大統領ヘイダル・アリエフの墓と記念碑「永遠の炎」に献花した。また、彼はトルコ軍兵士のモニュメントも拝んだ。 アゼルバイジャン大統領の外交事務室長官、ノヴルス・マンマドフによると、サファロフ帰国の1年前から、アゼルバイジャンとハンガリーはこの問題を中心に秘密交渉を始めた。そしてハンガリー首相のオルバーン・ヴィクトルがアゼルバイジャンを訪問していた時に、正式にサファロフの引渡しについて合意した。 サファロフの帰国の1週間前、「アゼルバイジャンからハンガリーへの20〜30億ユーロのローンについての交渉が展開されている」という報道が出された。これは「ハンガリーは国債をアゼルバイジャンに売るために、見返りとしてサファロフの身柄を引渡した」という憶測を呼んだ。 アゼルバイジャンの高官はこの引渡しと恩赦を称賛し、サファロフに英雄的な歓迎を与えた。大統領側近のマンマドフはインタビューで、以下のように言った: そうです。彼はアゼルバイジャンにいます。我々全員にとってそれは良いニュースですよ。このアゼルバイジャンの息子は国の栄誉および人民の尊厳を身を挺して守った後、投獄されたが、彼の帰来は非常に感動的なものです。 アゼルバイジャン大統領行政部の政治分析・情報室長官、エルヌル・アスラノフは、「ミュバリス・イブラヒモフやラミル・サファロフのような英雄はアゼルバイジャンの社会と民衆に元気をもたらした」と言った。また、与党・新アゼルバイジャン党の副主席と事務局長を務めていたアリ・アフマドフは、「イルハム・アリエフ大統領による恩赦の決定は決心、勇気および正義の勝利だ。」と言った。 アゼルバイジャンの著名人たちもサファロフを英雄として支持し、同じような発言を行った。アゼルバイジャン国民議会の議員を務めていた有名な歌手、ゼイナプ・ハンラロヴァは以下のように言った: サファロフはアゼルバイジャンのヒーローだけでなく、世界的なヒーローです! 彼のモニュメントを作るべきです。すべての人がこういうことができる訳ではありません。サファロフのほかに我が大統領のアリエフさんもヒーローです。私がラミルだったら、同じことをすると思います。アルメニア人の命を奪うのは正しいことです。 ロシア・イスラム協会の主席、政治学者のゲイダール・ジェマーリはサファロフがアゼルバイジャンで受けた熱狂的な歓迎を擁護し、「サファロフがアゼルバイジャンで歓迎されたことはごく自然なものだ」と言った。 2013年9月19日、「1918年にグバでアルメニア軍とボリシェビキに虐殺された被害者を弔う大虐殺記念複合施設」のオープニング式典で、アゼルバイジャン大統領のアリエフはサファロフの帰国について、「正義の回帰」と発言した。アゼルバイジャンの国家元首は何回もアルメニアを「最大の敵」と呼んだ。サファロフの弁護人も裁判の時に、「アルメニア人を殺すことはアゼルバイジャン国内で犯罪ではない」と言った。
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