アゼルバイジャンでの活動
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「ヴィクトル・ナネイシュヴィリ」の記事における「アゼルバイジャンでの活動」の解説
1913年からバクーへ移り住み、1917年までバラハヌィの実科学校で教える一方、現地のボリシェヴィキ党組織でも活発に活動。1917年6月には党バクー委員会局員およびバクー・ソビエト議員に選出され、10月からは同ソビエト・ザカフカース鉄道(ロシア語版)復旧委員となった。3月から10月までは『バキンスキー・ラボーチー』紙編集者も務め、同時期には党バクー委議長、バクー地区オーガナイザーでもあり、また1917年11月から翌1918年4月まではザカフカース鉄道労働運動委員も務めた。同月にバクー・コミューンが成立すると、その特別探検委員としてダゲスタンに派遣された。翌5月18日から7月まではダゲスタン州(ロシア語版)臨時委員、8月からポルト・ペトロフスク軍事ソビエトメンバーおよび赤軍第11軍政治責任者、11月23日から翌1919年1月までは党アストラハン県委議長でもあった。 その後バクーへ戻り、同年から翌1920年まで党カフカース地方委バクー局議長、アゼルバイジャン中央革命参謀長として地下活動に従事する。ミルザ・ダヴド・グセイノフが用意した屋敷に匿われ、アナスタス・ミコヤン、アリゲイダル・カラエフ(英語版)、ミル・バシル・カスモフ、レヴォン・ミルゾヤン(ロシア語版)、ルフッラ・アフンドフらと協同。また、この頃にアゼルバイジャン民主共和国の秘密警察から二重スパイを希望してきたラヴレンチー・ベリヤとも出会っている(しかし、ナネイシュヴィリはベリヤを信用してはいなかった)。1920年2月のアゼルバイジャン共産党(アゼルバイジャン語版)第1回大会にて中央委員に選出され、アゼルバイジャン社会主義ソビエト共和国が成立すると、1920年7月23日から9月8日までアゼルバイジャン共産党中央委責任書記およびロシア共和国対外貿易人民委員部バクー支部部長を務めた。
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