アストロドームの完成
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「1965年のメジャーリーグベースボール」の記事における「アストロドームの完成」の解説
1965年4月9日、テキサス州ヒューストンにそれまで無かった史上初の屋根付きの全天候型球場アストロドームがオープンして、ヒューストン・アストロズとニューヨーク・ヤンキースのエキシビジョンゲームが行われた。3年前の1962年にナショナルリーグに新規加盟したヒューストンの新しい球団のために、雨が降っても(といってもヒューストンは雨が少ないが)暑くても野球開催が可能な世界初の屋根付き球場を建設することを決め、3年間の工事でやっと完成したこの年の春に人気随一のアメリカンリーグ前年優勝チームのニューヨーク・ヤンキースを招いて、4万7,876人の観衆が集まった。この試合でヤンキースのミッキー・マントルが本塁打を打って、アストロドームでの第1号を記録した。ナショナルリーグの公式戦は3日後の4月12日にフィラデルフィア・フィリーズとの試合が初めてで 2-0 でフィリーズがアストロズを下した。本塁から左翼及び右翼ポールまで340フィート(103.6m)、本塁から中堅のフェンスまで406フィート(123.7m)でこの年は天然芝を使い、総工費は3,160万ドルであった(3,500万ドル、4,000万ドル、4,500万ドルとする資料がある)。 ヒューストン・コルト45'sの初代オーナーのロイ・ホフハインツは元ヒューストン市長を務めたが、新球団のオーナーとなって頭を痛めたのが野球場であった。テキサスの照りつける熱い太陽(夏は37度を超える)、ひどい湿気、そこへ体長2センチもある蚊の大群が飛び交い、刺されると飛び上がるほどの痛さで、とても野球をする環境ではなかった。そこで何でも大きいものが好きなテキサス人が考えたのがエアコン付きの屋内野球場を作れば問題は全て解決するということであった。メジャーリーグの球団誘致に動いていた時期からこの問題は議論され、既に1958年にドーム球場を建設する計画が承認されていた。しかしヒューストンに建設するとしても時間的には間に合わないので、ドーム予定地の隣接地にコルトスタジアムを間に合わせに作ったが、テキサスの熱い太陽と湿気と蚊の三重苦で観客が寄り付かず、しかも工費が膨らみ当初地元の自治体が2,000万ドルの予算を拠出することを住民投票で承認されていたが、予算オーバーで改めて960万ドルの追加支出を住民投票で承認を受けるなど苦難の連続であった。ホフハインツはこの完成したアストロドームを「世界で8番目の不思議」と喧伝するなど、この年に世界中から注目されるスポーツ施設となり、ヒューストンの新名所となったアストロド-ムにはこの年215万1,470人の観客が集まった。 会場1年目は天然芝で、天井に太陽光を通すためにアクリル樹脂のパネルで覆っていたが、選手からフライの打球が見えにくいと苦情が出たので、天井をコーティングしたところ今度は光が遮られて天然芝が枯れてしまい、翌1966年にこれも史上初の人工芝(アストロターフと呼ばれた)が導入された。そして1968年にはアメリカンフットボール(NFL)のヒューストン・オイラーズの本拠地となり、野球以外にもさまざまなイベントに使用されたが、老朽化のため1999年を最後にヒューストン・アストロズが本拠地をエンロン・フィールドに移して、2008年に閉鎖された。その前の2005年8月、ハリケーン(カトリーナ)がアメリカ南部を襲った時に多くの住民がアストロドームに避難している。
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