ヒューストン・コルト45's
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「1962年のメジャーリーグベースボール」の記事における「ヒューストン・コルト45's」の解説
テキサス州はヒューストンにメジャーリーグ球団の設立に際して、2,000万ドルの予算で史上初の屋根付き球場を建設することを住民投票で可決した。この画期的な全天候型球場はやがてドームと呼ばれるが、完成が1965年になるので、それまでの間は隣接地に3万2,000人収容の球場を建設して使うこととし、この球場をコルトスタジアムと名付けた。前年新加盟したアメリカンリーグのエンゼルスと新セネタースは60万人程度しか観客が集まらなかったが、コルト45'sはコルトスタジアムに92万4,456人とメッツと同じ観客動員数を記録した。しかし成績は64勝96敗、勝率.400で8位に終わった。
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ヒューストン・コルト45`s(ナショナルリーグ・1962年から)
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「1960年のメジャーリーグベースボール」の記事における「ヒューストン・コルト45`s(ナショナルリーグ・1962年から)」の解説
アメリカ南部に初めて生まれたメジャーリーグ球団がコルト・フォーティーファイブスで、公募によって決まった球団名は西部開拓時代にガンマンが腰に下げる拳銃で、最も有名であったのがコルト社が製造した「コルト45」であり、映画やテレビでも「コルト45」という題名の映画が製作されるほどであったことから、野球チームの名前にも使われた。しかし不評でやがてコルツに縮め1965年にアストロドームの完成からアストロノウツ(アストロズ)に変わった。1950年代から地元の有力者がメジャーリーグ球団の誘致運動を行い、誕生が決まって、テキサスでも有数の富豪R・E・スミスと元市長のロイ・ホフハインツがオーナーとなった。GMには元レッズのゲイブ・ボール、監督はハリー・クラフト。ゲイブ・ボールは就任早々ホフハインツと衝突して辞任し、元オリオールズ監督のポール・リチャーズが後任に就いた。
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