ナショナルリーグのエクスパンション・ドラフト
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「1961年のメジャーリーグベースボール」の記事における「ナショナルリーグのエクスパンション・ドラフト」の解説
10月10日、ワールドシリーズが終了した翌日にシンシナティで新しく加盟したニューヨーク・メッツとヒューストン・コルト45'sのためのエクスパンション・ドラフトが行われた。前年のアメリカンリーグの場合と同じようにナショナルリーグ各8球団から選手名簿の提出があり、それに基づいて行われたが若干アメリカンリーグと違って、8球団はシーズン中に現役登録した25名の中から7名、マイナー球団を含めた保留選手の中から8名の計15名で合計120名、さらに25名の現役登録選手の中からプレミアムとして1球団2名の合計16名、総計136名の名簿を出した。ニューヨーク・メッツとヒューストン・コルト45'sは、最初の1球団15名で8球団計120名の中から1球団2名ずつ計16名をそれぞれ指名しこの場合一人当たり7万5,000ドルを支払う。次に8球団からの同じ名簿から1名ずつ計8名をそれぞれ指名しこの場合一人当たり5万ドルを支払う。次にプレミアムとして各球団から出された2名の計16名の選手からそれぞれ4名を指名(1球団からの2名を指名することは不可)しこの場合一人当たり12万5,000ドルを支払う。このやり方で当日の選手選抜会議は4時間にわたって開かれ、最終的にはニューヨーク・メッツが22名、ヒューストン・コルト45'sが23名を選抜して、この日に動いたトレードマネーはメッツが180万ドル、コルト45'sが185万ドルで、合計365万ドルに上った。(参考:1961年のMLBエクスパンションドラフト) 1952年にアスレチックスで最多勝、1957年にヤンキースに移って最優秀防御率を取り、オールスターゲームにもワールドシリーズにも出場したボビー・シャンツは前年のアメリカンリーグのエクスパンション・ドラフトで最初の指名でヤンキースから新セネタースに行き、すぐにパイレーツにトレードされ、1年後のナショナルリーグのエクスパンション・ドラフトでパイレーツからヒューストン・コルト45'sに行き、そしてまたすぐにカージナルスにトレードされている。シャンツはヤンキース以降はナショナルリーグの球団を転々としながらも1957年から1964年まで8年連続ゴールドグラブ賞に輝いている。
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