ナショナルリーグとのトラブル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/12 04:30 UTC 版)
「1891年のメジャーリーグベースボール」の記事における「ナショナルリーグとのトラブル」の解説
前年のプレイヤーズ・リーグに「フィラデルフィア・クエーカーズ」が加盟したが、アメリカン・アソシエーションにはフィラデルフィア・アスレチックス (1882-1890年)が既に加盟していた。しかしわずか1年でプレイヤーズ・リーグは解散し、また同時にアメリカン・アソシエーションの「アスレチックス」がリーグを脱退する事態が置きたため、クエーカーズは翌1891年にアメリカン・アソシエーションに加盟し、元のアメリカン・アソシエーションの「アスレチックス」を吸収合併して前のチームの愛称「アスレチックス」を引き継いでフィラデルフィア・アスレチックス (1890-1891年)となった。 このプレイヤーズ・リーグから来たフィラデルフィア・アスレチックス(前年はクエーカーズ)と、ナショナルリーグのボストン・ビーンイーターズ(後のブレーブス)及びピッツバーグ・パイレーツとの間で、前年にプレイヤーズ・リーグに引き抜かれた元アメリカン・アソシエーションの2選手が元のアスレチックス(前年のアスレチックスとは別になる)に戻ることなく、ナショナルリーグの両球団に移ったことから横取りされたとして、両リーグ間で対立が生じた。結局調停委員会に持ち込まれて2選手の保有権はナショナルリーグにあるとの裁定が出た。この選手の移籍問題についてはファンも委員会とナショナルリーグを批判し、アメリカン・アソシエーションはナショナルリーグのフランチャイズ権があったシンシナティに新しくシンシナティ・ポーカーズ(1891年)を加盟させたりして、両リーグの反目が続いた。そしてシーズン途中から両リーグの対立は事態が膠着したままシーズンを終えた。 シンシナティについては1889年までアメリカン・アソシエーションに所属していたシンシナティ・レッドストッキングス(後のレッズ)が1890年にナショナルリーグに移ったことでアメリカン・アソシエーションも反発していたことも影響していたが、このシンシナティ・ポーカーズが1891年の途中で破綻してミルウォーキー・ブルワーズ(1891年)が8月から加わった。そしてポストシーズンの全米選手権(19世紀のワールドシリーズ)は開催されなかった。
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