プロ入りからジャイアンツ時代
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「マニー・モタ」の記事における「プロ入りからジャイアンツ時代」の解説
1957年2月21日にニューヨーク・ジャイアンツ(現在のサンフランシスコ・ジャイアンツ)と契約してプロ入り。この年はD級ミッドウェストリーグのミシガンシティ・ホワイトキャップス(英語版)で126試合に出場し、打率.314を記録した。 1958年はB級カロライナリーグのダンビル・リーフス(英語版)に昇格し、103試合に出場し打率.301を記録した。 1959年は当初A級イースタンリーグのスプリングフィールド・ジャイアンツ(英語版)で出場していたが、途中からAAA級パシフィックコーストリーグのフェニックス・ジャイアンツ(英語版)に昇格した。通算86試合に出場し、打率.304を記録した。 1960年はAA級テキサスリーグのリオ・グランデ・バレー・ジャイアンツ(英語版)で141試合に出場し、打率.307を記録した。 1961年はAAA級パシフィックコーストリーグのタコマ・レイニアーズで142試合に出場し、打率.289を記録した。 1962年シーズン開始後はAA級テキサスリーグのエルパソ・ディアブロスで出場していたが、4月16日のロサンゼルス・ドジャース戦でメジャーに昇格し、初打席ではセンターフライに倒れた。4月21日のシンシナティ・レッズ戦でジム・ブロスナン(英語版)で初安打初打点を記録した。47試合に出場し、74打数で13安打で打率.176を残した。11月30日にジョーイ・アマルフィターノ(英語版)とのトレードでディック・ラメイ(英語版)と共にヒューストン・コルト45'sへ移籍した。
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