ヒューストン・ロケッツ初期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/25 16:57 UTC 版)
「ヒューストン・ロケッツ」の記事における「ヒューストン・ロケッツ初期」の解説
1971年にチームはテキサス州ヒューストンの実業家に買い取られて同地に移転し、ヒューストン・ロケッツと改称した。ヒューストンには宇宙基地があり、ロケッツという名称はこの都市にふさわしいものとして変更はされなかった。 1972年にヘイズはトレードでチームを去り、1976年にはモーゼス・マローンをトレードで獲得。その後のチームの中心選手として活躍した。1978年のシーズン前半、ロサンゼルス・レイカーズとの試合中に乱闘事件が勃発。レイカーズのカーミット・ワシントンとロケッツのケビン・カナートの喧嘩を仲裁しようとしたルディ・トムジャノビッチの顔面にワシントンの拳が入り、トムジャノビッチは顔を複雑骨折する重傷を負った。トムジャノビッチは翌シーズンまで復帰できなかった。 1981年は、40勝42敗と平凡な成績に終わったが、マローンなどの活躍もあってプレーオフで奮闘。チーム史上初めてNBAファイナルまで勝ち進んだが、4勝2敗でボストン・セルティックスに敗れた。トムジャノビッチはこのシーズンを最後に引退、マローンも翌シーズンにトレードされ、さらに翌1983年、カルビン・マーフィーも引退した。
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