アイアイエー島
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/16 00:42 UTC 版)
オデュッセウスはトロイアーからの帰路の航海で、魔女キルケーの住むアイアイエー島にたどり着いたとき、生き残った部下を2つの隊に分け、一方の隊を自分が指揮し、もう一方をエウリュロコスに指揮させて、島内を探索した。エウリュロコスの隊にはオデュッセウスのお気に入りの部下ポリーテースもいた。エウリュロコスたちは島内を探索するうちにキルケーの館を発見した。そこでポリーテースたちがキルケーに話しかけると、キルケーは彼らを快く館に招き入れるふりをして、毒入りの葡萄酒を飲ませ、魔法で豚に変えて、さらに家畜小屋に押し込んた。エウリュロコスは1人だけ館の外に留まっていたが、仲間たちに起きた悲劇を見て、慌てて逃げ帰って報告した。このときエウリュロコスの心は悲しみで満たされ、気ばかり焦ってなかなか話すことができなかった。ようやく話すことができたのは、仲間たちが姿を消し、一向に館から出てこないということだけであった。話を聞いたオデュッセウスはエウリュロコスにキルケーの館まで案内を命じたが、エウリュロコスはオデュッセウスにすがりついて、一刻も早くこの島から去るべきだと懇願した。仕方なくオデュッセウスは1人でキルケーの館に向かい、ヘルメース神から薬草モーリュを授かり、キルケーの魔法を打ち消して部下を救い出した。 その後、キルケーの客人となったオデュッセウスが仲間を呼びに戻ってきて、「仲間たちならキルケーの館で飲み食いしておるぞ」と言うと、他の者たちは納得したが、エウリュロコスだけは「なぜわざわざ災難に遭いに行こうとするのだ、我々はキルケーに動物に変えられて、あの大きな館の番をすることになるにちがいない。キュクロープスに殺された者たちも、もとはと言えばオデュッセウスの所業が原因なのだぞ」と言って船から動こうとしなかった。オデュッセウスはその言葉を聞くと怒って、剣でエウリュロコスの首を切りたい思いに駆られたが、部下たちになだめられて思いとどまった。エウリュロコスはというと、オデュッセウスの怒りを恐れたため、結局はともにキルケーの館へと向かった。
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アイアイエー島
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/23 14:53 UTC 版)
ホメーロスによると、オデュッセウスはキュテラ島沖から北風に流され、ロートパゴス族の国、キュクロープスの国、風神アイオロスの国、ライストリューゴーン族の国に続いて、キルケーの住むアイアイエー島にたどり着いた。この島はオーケアノスの流れの近くにあり、オデュッセウスはアイアイエー島からオーケアノスに出てハーデースの国へと向かう。こうしたホメーロスの地理学は神話的性格が強いが、後代ではもっぱらティレニア海に面したイタリア、ラティウム地方のキルケーイイ岬と考えられた。オウィディウスによればこの地名はキルケーに由来している。古代は岬を形成するチルチェーオ山(英語版)が沼地と海に囲まれていたために島であるかのように見えたとストラボンは述べている。またオウィディウスは『変身物語』でキルケーの館は薬草が豊富な丘の上にあったと語っており、ストラボンも現実のキルケーイイ岬が豊富な薬草で評判だったことを伝えているが、ストラボン自身はキルケーと結びついての評判だろうと述べている。 ホメーロスはキルケーがアイアイエー島に住み着いた経緯について語っていないが、ロドスのアポローニオスはアイエーテースがヘーリオスの戦車を駆り、キルケーをイタリアに運んだと語る。またシケリアのディオドロスは、サルマタイ人の王と結婚して、夫を毒殺し、あらゆる残酷なことをやってのけたため、イタリアに亡命したとしている。
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