はねトび事件史
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はねトびでは、以下のように事件がたびたび発生していた。 梶原がコント収録中に足を骨折 2002年1月頃に発生した事件。このため、当時のキングコングは漫才ができず、舞台などで西野がピンネタを演じた。 北陽ダブルブッキング事件 2004年1月6日放送分から「はねトび」が毎週火曜23:00 - 23:30の時間帯にて放送される事が決定された。しかし、レギュラーメンバーである北陽は当時ほぼ同時刻に放送されていた『おすぎとピーコの金持ちA様×貧乏B様』(日本テレビ)にもレギュラー出演していた。その結果、同番組に先にレギュラー出演していた関係から2004年1月~3月までの3ヶ月間、北陽は「はねトび」の出演を自粛する事を余儀なくされた。その後、2004年4月の「金持ちA様×貧乏B様」の放送枠移動に伴い、北陽も同時期に「はねトび」に復帰した。 村田さなえ事件 2004年7月27日の放送にてコント「村田さなえ」においてアトピー患者や食物アレルギーを患う人をからかう表現(決まったジュース以外のものを飲むとアレルギーを発する、興奮すると体が痒くなり血の出るまで掻いてしまうという設定)があると指摘され、スタッフが謝罪コメントを発表した(コント自体は設定を一部変更して継続した)。 ブサンボマスター騒動 「ブサンボマスター」とは2005年2月8日から同年9月20日まで放送された、ロックバンド・サンボマスターのパロディコント。塚地・堤下・梶原による3人の本家・サンボマスターを過剰にデフォルメしたメイク姿がかなりのインパクトを残していたが、この事が災いし放送直後にサンボマスターのファンから番組宛に批判や苦情を多々送られることがあった。2005年3月1日の回でこのブサンボマスターのコントが終わった直後、キングコングの西野や他のメンバーが出番を終えた塚地たちを呼び出して、「本家(サンボマスター)側から苦情が来ている」ということを直に伝えている場面が放送されている(その後、塚地は番組内で謝罪した)。更にこの件に関して、本家のサンボマスターのボーカル担当である山口隆は音楽情報サイト・hotexpressのインタビューにて苦言を呈していた。この影響で同年8月31日にはオリジナル曲「言いたいことも言えずに」がメジャーレーベルからCD発売されるも、著作権上の問題などから、アーティスト名は「ブサンボマスター」ではなく「塚地武雅・堤下敦・梶原雄太」という表記になっている。このような騒動の中発売されたが、皮肉にも同作品はオリコン週間シングルチャートで本家のどの曲よりも高い初登場4位を記録した。 伊藤がコント収録中に失神 2005年10月1日、新コーナー「逆にスウィングガールズ」の収録中、長時間逆さづりにさせられたメンバーのうち、伊藤が意識を失い病院に運ばれる事故が発生した。第1回(10月19日放送予定分)は収録済みだったがお蔵入りとなりコーナー自体が廃止されたものの、安全性に配慮した「走れオーケストラン」(11月23日放送)という形で一応復活した。 放送事故 2007年2月7日放送時、冒頭の約200秒で縦がフレームアウトされた。すぐ修正され、番組ラストでお詫びテロップを表示した。 塚地が収録中に骨折 2008年12月5日に発生。スターだらけの大運動会の収録中に骨折し、全治2か月から3か月の大ケガを負った。友近はテレビ番組内において暗にこのことについて触れ、塚地がケガをした後も収録を続けたスタッフの対応を非常識であると批判している。塚地の出演するコーナーはギリギリッスに堤下、ほぼ100円ショップに秋山がそれぞれ代役で出演し、2009年1月28日の放送から塚地が松葉杖をつきながら復帰。翌週以降、当面は「塚っちゃんスイッチ」に登場していた。 「頑張れ!悪童美女」の内容を巡り韓国側から非難殺到 2011年3月2日に放送されたコーナー「頑張れ!悪童美女(アットンミニョン)」内にて、韓国で大問題となったタレントの奴隷契約など、韓国芸能界の否定的なイメージをネタにした所、韓国のインターネット上において番組に対する非難が殺到する事態となった。この年のフジテレビは「はねトび」に限らず、様々な番組において韓国ドラマや韓国著名人などを過剰に紹介する現象が度々見られていた。詳細は「2011年のフジテレビ騒動」「フジテレビ抗議デモ」などの項目も参照の事。
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