その他のカナダの捕虜収容所からの脱走
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「フランツ・フォン・ヴェラ」の記事における「その他のカナダの捕虜収容所からの脱走」の解説
カナダの捕虜収容所からはトンネルを使用した2つの大量脱走を含め合計600件以上の脱走の試みがあった。多くのドイツ兵戦争捕虜達はフォン・ヴェラの初期の成功例の影響を受けていた[要出典]。 1942年4月18日の夜に28名のドイツ兵戦争捕虜が長さ150フィートのトンネルを通ってオンタリオ州のアングラー(Angler)の捕虜収容所から脱走した。元々は80名以上の捕虜が脱走する計画であったが、脱走の途中でカナダ軍警備兵に察知された。 ほとんどの脱走者が当時中立国であった米国への脱出を試みたが、カール・ハインツ=グルンド(Karl Heinz-Grund)とホルスト・リーベック(Horst Liebeck)は王立カナダ騎馬警察によって捕らえられるまでに最も遠くのアルバータ州のメディシンハットまで逃走した。この2名はブリティッシュコロンビア州のバンクーバーまで行き、日本の輸送船団を頼ってカナダから脱出する計画を持っていた。 第二次世界大戦中にカナダの捕虜収容所から脱走する最中に殺されたドイツ兵戦争捕虜4名中の2名がアングラーでの脱走で射殺され、その他に3名が負傷した。 第二次世界大戦中に北アメリカでドイツ兵戦争捕虜が企て成功した脱走はアングラーの捕虜収容所からものが最大規模で、2番目に大規模だったのが1944年12月23日に発生したドイツ海軍の兵員と商船の船員25名のアリゾナ州、パパゴウ公園の収容所からの脱走であった。両例とも全ての捕虜が再度捕まった。 1941年11月23日にドイツ空軍のウルリヒ・シュタインヒルパー(Ulrich Steinhilper)中尉がオンタリオ州のボウマンビルの捕虜収容所から脱走し、2日かけて何とかナイアガラの滝まで辿り着いた。シュタインヒルパーはニューヨーク州、バッファローの車両置き場に停車した列車の底にしがみついて気付かないまま30分間だけ中立国であった米国の地に入っていた。3週間もしないうちにシュタインヒルパーは再度脱走し、更に遠くのケベック州、モントリオールまで辿り着いた。 4カ月の間にシュタインヒルパーは都合3度の脱走を試みた。1942年2月18日に画家に変装したシュタインヒルパーと1人の戦友は梯子を使い2重の有刺鉄線のフェンスを越えた。2人組はニューヨーク州、ウォータータウンにまで辿り着き、警察に逮捕された。シュタインヒルパーは直ちにグレイブンハーストに送還され、そこで更に2度の脱走を企てた。 ドルニエ Do 17爆撃機のパイロットのペーター・クリュッグ(Peter Krug)中尉は1942年4月17日にオンタリオ州、ボウマンビルの捕虜収容所から脱走してからテキサス州、サンアントニオにまで辿り着いた。シュタインヒルパーの場合と同様にクリュッグの脱走では、この若いドイツ空軍のパイロットはアプヴェーア以外から委託された米国内の枢軸国側の同調者により飛行機での移動を援助されていた。 フォン・ヴェラのスワンウィック時代の穴掘り仲間であるドイツ空軍のヴァルター・マンハルト(Walter Manhard)少尉はオンタリオ州グレイブンハーストの捕虜収容所から水泳の機会を利用して脱走に成功した。溺れ死んだと思わせてニューヨークへ逃走し[要出典]、そこに留まることにした。1952年にマンハルトは身を隠すことをあきらめ、その後米海軍の将校である女性と結婚した。 1943年8月26日に19名のドイツ兵戦争捕虜が大きな排水管を通ってオンタリオ州のキングストンの捕虜収容所から脱走したが、全員が直ぐに捕まった。 U-35潜水艦のカール・ラーベ(Karl Rabe)は、1943年の24 x 10フィート大の自家製熱気球を使用したものも含め都合4回の脱走を企てた。以前のトロント病院からの脱走に続いてラーベはオンタリオ湖の米国側湖岸に渡るつもりで小型の手漕ぎボートを盗みだしたが、既に米国領に入ったと勘違いしてあまりにも早く接岸したために早々にカナダ兵に捕まった。 ドイツアフリカ軍団(DAK)の兵士マックス・ヴァイダウアー(Max Weidauer)は、DAK仲間のアウグスト・プラツェック(August Plaszek)とカール・レーマン(Karl Lehmann)が別々に捕虜の中のナチスのシンパによって殺害された余波の中、アルバータ州のメディシンハットの捕虜収容所から脱走した。ヴァイダウアーが脱走の状況と身の危険を感じていたことを説明すると地元の農民に匿われたが、直ぐに再び有刺鉄線の中に連れ戻された。
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