【伊丹空港】(いたみくうこう)
大阪府豊中市・池田市と兵庫県伊丹市をまたぐ拠点空港(旧第一種空港)。
正式名称は大阪国際空港。
本空港は大東亜戦争開戦前の1939年、それまで大阪市内にあった木津川飛行場が手狭になったため、その代替となる軍民共用の「大阪第二飛行場」として開設された。
大東亜戦争末期にアメリカ軍による本土空襲が行われるようになると、陸軍航空隊の防空戦闘機部隊(第11飛行師団隷下・飛行第56戦隊)が駐留し、大正飛行場(現在の八尾空港)駐留の部隊と共に大阪周辺空域の防空戦闘に従事した。
終戦後は進駐してきた連合国軍によって接収され「伊丹エアベース」と呼ばれていたが、その後、1958年に日本に返還され「大阪空港」、翌1959年に第一種空港に指定されて「大阪国際空港」と改称。
以来、1994年に関西国際空港が開港するまでの間、国内・国際線を問わず多くの航空便が乗り入れ、関西圏を代表する空港となっていた。
関西国際空港の開港に伴って国際線のほとんどをそちらへ移行し、現在は国内線専用空港として生まれ変わっている。
国内線専用となってからは、国際線分のスポットやスロットが国内線に振り替えられて便数が充実し、大阪と地方都市間を結ぶコミューター路線のプロペラ機から幹線区間の大型機まで飛来するバラエティに富んだ空港になった。
しかし、大阪市内から15kmという至近距離にあり、周辺も大阪市の衛星都市として高度に開発されているため騒音問題に揺れる空港でもあり、航空機の発着は午後9時までと厳しく制限されている。
そもそも、関西国際空港が計画された最大の理由は、これによって乗り入れ可能な便数の増加に限界があることが指摘されたためであり、当初の計画では関空の開港後、閉鎖する方針だったが、後にこの方針は撤回されている。
しかし、2006年に神戸空港が開港したことで再度、その存廃が論議の場に上がるようになっている。
また、近年ではこのことを理由に乗り入れ可能な機種が制限されるようになり、現在は「3発以上のジェット機は乗り入れ禁止」となっている。
主な発着路線
所在の官公庁航空組織
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