『福沢諭吉の真実』の出版
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「安川・平山論争」の記事における「『福沢諭吉の真実』の出版」の解説
その後、平山は慶應義塾福澤研究センターで文献の調査をおこない、2002年5月から『福沢諭吉の真実』の執筆を始めた。同書が完成したのは2003年4月で、2004年8月20日に文藝春秋から発行された。 同書の「はじめに」で、平山は「現行版『全集』のうち第七巻までの著作と、第八巻から第一六巻の「時事新報論集」とは、そこに収められた経緯が全く異なっている」ことを重大視して、 すなわち第七巻までは署名入りで公刊された著作であるのに対して、「時事新報論集」はその大部分が無署名であり、大正版『福沢全集』(一九二五〜二六)と昭和版『続福沢全集』(一九三三〜三四)の編纂者であった弟子の石河幹明が『時事新報』の紙面から選んだものを、そのまま引き継いで収録しているに過ぎない。現行版『全集』(一九五八〜六四)の第一六巻には福沢の没後数ヵ月してから掲載された論説が六編収められているのであるが、これらを本人が書けたはずがないのは言うまでもないであろう。 — 平山洋、平山 2004、10頁 と指摘した。
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『福沢諭吉の真実』の出版
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その後2003年(平成15年)4月までに『福沢諭吉の真実』の原型を完成させた。この原型は西川俊作の推薦により、出版の日の目を見ることになった。この原型は新書で出版するためにページ数を3分の2にまで減らしたため、無署名論説(社説)の起筆者の推定に関する部分は割愛された。 この本は、今までの研究のすべてが依拠していた岩波書店刊行の『福沢諭吉全集』(1964年(昭和39年)完結)の編纂が、そもそもでたらめであるという認識を出発点としている。すなわち平山によれば、現在の福沢像とは、全集編纂者にして『福沢諭吉伝』(1932年(昭和7年))の著者でもあった弟子の石河幹明が、自分で執筆した新聞『時事新報』の無署名論説(社説)を、『福沢全集』(1926年(大正15年)完結)と『続福沢全集』(1934年(昭和9年)完結)に収めたことで虚構された「アジア蔑視者にして朝鮮領有や中国分割を目論んだ思想家」福沢諭吉なのである。 第2次世界大戦後の福沢批判者が依拠している、侵略的絶対主義者福沢諭吉とは、実は石河幹明自身のことにすぎない、と平山は主張する。平山の主張によれば、現行版『福沢諭吉全集』に収録されている『時事新報』掲載の無署名論説でアジア蔑視表現を含むものは、すべて石河が執筆したものであり、そこに福沢は関与していなかったことになる。しかし、平山は「『福沢諭吉の戦争論と天皇制論』の逐語的註」において、「関係がある証明は可能だが、無関与の証明などできないのである」と説明している@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}ように、石河が関与したことは文章に含まれる語彙や言い回しなどの特徴で証明することは可能だが、そこに福沢が関与していなかったことを証明するのは難しいと考えられる[誰によって?]。
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