第八巻
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第九十九回から第百十四回まで。 劉曜・姜発は劉琨の籠もる并州を奪い取るが、劉琨は鮮卑の拓跋猗盧の援軍と取り付け、并州は奪回される。劉曜は長安を攻めるが、敗北し、撤退する。 石勒は各地を転戦し、勝利を重ねていたが、江南を攻めて長雨に遭い、疫病が流行ったため、襄国に帰還した。石勒は王浚に降伏の手紙を送り、王浚はそれを信じ、自立する。石勒は降伏のため王浚のもとに趣くと偽り、幽州に入り、王浚を捕らえて殺す。石勒は劉琨と転戦を続けた。 劉曜は関中を攻め、長安周囲の諸郡を次々と陥落させ、長安を攻撃して、愍帝を降伏させて捕らえる。愍帝は平陽に送られ、劉曜はそのまま長安に留まった。 石勒は劉琨を攻め、并州を陥落させる。劉琨は段部鮮卑の段匹磾を頼る。平陽の劉聡は、愍帝を殺し、慢心して遊楽にふける。相国の陳元達は劉聡を諫めるが、退けられ、劉聡が靳準ら佞臣の言葉を信じ、忠臣を害することを知り、自殺する。姜発・関山ら功臣たちは老齢を理由に職を辞し、許される。平陽では怪異が相次ぎ、靳準が専横を行い、劉聡に対する諸葛宣于の諫言も聞かれることはなかった。 代国(拓跋部)では、拓跋猗盧が子に殺され、拓跋鬱律が代わって王となった。江東では司馬睿が皇帝に即位する(後の元帝、これから以降は東晋と呼ばれる)。杜曾が東晋に対し反乱を起こすが、周訪に鎮圧される。滎陽の李矩も漢軍を破り、東晋の勢いは振い、術士の郭璞が江東を訪れた。 漢では諫言をした忠臣が殺される。東晋では、華軼・周卲が反乱を起こす。すぐに鎮圧されるが、王敦は東晋に対して異心を抱きはじめていた。
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第八巻
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元亀3年(1572年)、信長は顕如と対面。ほころびかけた本願寺との和睦を結び直す。その席で信長は、ようこが作ったナツメグを大量に入れられたマカロンによって、中毒で倒れるも、ケンによって何とか一命をとりとめる。
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