公刊された著作
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 01:56 UTC 版)
「シェイクスピア別人説」の記事における「公刊された著作」の解説
『トロイラスとクレシダ』(第2幕第2場)には、アリストテレスの思想に関してシェイクスピアがベーコンと全く同じ解釈を下している箇所がある。 Hector. Paris and Troilus, you have both said well,And on the cause and question now in handHave glozed, but superficially: not muchUnlike young men, whom Aristotle thoughtUnfit to hear moral philosophy:The reasons you allege do more conduceTo the hot passion of distemper’d bloodパリスにトロイラスよ、よくぞ申した。しかし、いま直面している原因と問題についてはまったく表面的で深みのない議論であった。アリストテレスが倫理学を学ぶのにふさわしくないといった若者のいうことと大差がないのではないかな。お前たちの申し立てる理屈はむしろ、狂った血を よりいっそう情熱に沸かすことにしかならないだろう。 — 『トロイラスとクレシダ』第2幕第2場 ベーコンの著書においてもこれと類似した見解を見出すことができる。実際、『ニコマコス倫理学』においてアリストテレスは「したがって、青年は政治学講義の聴講者にはふさわしくない。そして青年は熱情に流されがちであるため、その勉学は失敗し無利益に終わることだろう」と書いている。シェイクスピアとベーコンの著作それぞれにおいて、この一節に情熱や熱気という比喩を用いている上に、「政治学」を「倫理学」に置き換えるという改変を加えているところまで一致しているのである。シェイクスピアの戯曲はベーコンの著書の刊行に先立っているため、後者が前者の表現を借用したと考えられないことはない。ただし、アリストテレスは政治学と倫理学を同等視していたことから、2人揃って同じテキストから同じ(「解釈」という程のこともなく)推論をしたと見なすこともできる。アリストテレスの著書を精読すれば、そこで述べられていることを「青年は倫理学のみを勉強するべきであり、唯一政治学だけは勉強するべきではない」と解釈することは不可能である。また「情熱」の語も、青年について用いられる語句としては全くありきたりなものであり、アリストテレス自身も使用している。
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