生前本人の著作を刊行した主な印刷・出版業者
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マセ・ボノム(Macé Bonhomme) リヨンの出版業者(活動期間1535年 - 1540年、1542年 - 1569年)で、一時的にヴィエンヌで活動したこともあり(1541年 - 1542年)、弟バルテルミーと共にアヴィニョンで活動した時期もあった(1552年 - 1557年)。『予言集』初版を出版。 アントワーヌ・デュ・ローヌ(Antoine du Rosne) リヨンの出版業者(活動期間 1545年 - 1562年頃)。現存が確認されている生前唯一の『予言集』増補版や『ガレノスの釈義』を出版。 ブノワ・リゴー(Benoist Rigaud) リヨンの出版業者(活動期間1555年 - 1597年)。手広い出版事業を営んでいた業者で、現存する最古の『予言集』完全版を出版した一方で、偽ノストラダムスたちの著作も手広く出版。 ジャン・ブロトー(Jean Brotot) リヨンの出版業者(活動期間1542年 - 1559年?)。ノストラダムスと親交があり、いくつかの「暦書」を出版した。ノストラダムスに宛てた書簡によって、少なくとも1回、ノストラダムスの原稿を冗長との理由で没にしていたことが明らかになっている。 ノストラダムスの私信では1561年5月の段階で故人として扱われている。同じ年の10月の私信では、事業を継いだ息子のピエール・ブロトーへの不安を表明しているが、『1562年向けの占筮』はこのピエールとアントワーヌ・ヴォランを版元とする形で出版された。 ジャック・ケルヴェ(Jacques Kerver) パリの出版業者(活動期間1535年 - 1583年)。いくつかの「暦書」を出版した。 ギョーム・ル・ノワール(Guillaume Le Noir) パリの出版業者(1550年-1569年)。いくつかの「暦書」を出版。なお、1558年には暦書の刊行を巡って他の業者に対する訴訟を起こしている。 ピエール・ルー(Pierre Roux) アヴィニョンの出版業者(活動期間1557年 - 1586年)。短期的にエクス=アン=プロヴァンスでも出版事業を行った(1574年 - 1577年)。活動初期にローラン・ヴィデルによるノストラダムス批判本を出版したが、のちにノストラダムスの『1563年向けの暦書』を出版している。1590年にアントウェルペンで出版された『予言集』の奥書に拠れば、ルーは1555年に『予言集』を出したことになっているが、ルーの活動時期と齟齬をきたすものであり、現存も確認されていない。 アントワーヌ・ヴォラン(Antoine Volant) リヨンの出版業者(活動期間1555年?-1565年?)。初版も含めて『化粧品とジャム論』を数回出版したほか、暦書の刊行も手がけた。 クリストフ・プランタン アントウェルペンの大出版業者。パリにも工房を持っていた。アントウェルペンの工房は現在世界遺産になっている。 1557年に『化粧品とジャム論』を出版した。この版には印刷社名の記載はないが、印章などからプランタンが印刷したことは当時から良く知られており、ラ・クロワ・デュ・メーヌの書誌(1583年)でも、プランタンの印刷とされている。 バルブ・ルニョー(Barbe Regnault) パリの出版業者(1557年 - 1563年)。ノストラダムス作品の海賊版や偽版をいくつも出版した業者で、彼女の事業を継いだチボー・ベソー、彼を継いだアントワーヌ・ウィックらもノストラダムスの偽版や便乗本を出版した。 ヨアヒム・ヘラー(Joachim Heller) ニュルンベルク(期間1552年 - 1563年)とアイスレーベン(期間1564年 - 1572年)で活動した出版業者。 ノストラダムスがタンド伯に対し、1554年3月10日に起こった天文現象について報告した書簡を、ドイツ語訳して瓦版として出版した(これはノストラダムスの公刊された著作としては現存最古である)。 ヘンリー・サットン(Henry Sutton) ロンドンの出版業者(活動期間1550年 - 1563年?)。英訳版の「暦書」を刊行したほか、後出のフルクによる批判書なども出版した。
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