生前最後の取材
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月刊ラジオマガジン(モーターマガジン社)にとって、1984年8月9日のインタビューが糸居への生前最後の取材となった。ここで糸居は、自分が過ごしてきたラジオの時代、ラジオ界の現状とこれからのこと等について色々話している。トーク主体の番組パーソナリティが「ディスクジョッキー」を称することについて「ギャグ、駄洒落など喋り専門の人は今後『ディスクジョーク』と呼ぶことを提案したい。今ラジオには“ディスクジョーカー”が多いですね」と語り、「もうラジオ時代のDJは終わったということでしょうね」と、本来のプロのDJが消えていくような当時の現状について寂しさを込めながら話している。「いつかFM局でもDJをやりたい」と語りながら、当時のFM局とAM局の曲紹介の仕方の違いについて以下のように話している。 今のFMは、1920年代のAM頃にやっていたような曲紹介の仕方をしていますね。曲名と紹介の仕方をハッキリと明確にすることがね。AMは曲紹介がスピードアップされてますね。雑にやってしまうというか — 糸居五郎、 本当の意味でのディスクジョッキーの形というものとDJ界の問題点について その人なりにやればいいことだし、それは決まってないと思う。若いタレントが喋るのも新鮮だし、使う側にとってはギャラが安く済むし、下手なプロを使うよりはいいということなんでしょうね。私が局の立場ならアマチュアを多く使うでしょうね。それが時代の流れでしょうし、今の放送界のあり方という気がしますね。(当時の)ニューヨークなどでは、FM局だけで60局あまり、AM局だけでも50局近く、合わせて100局以上あるので、リスナーは自分の好きな個性あるDJの番組を聴くことが出来るんです。それにくらべて日本のラジオ局の数は少ない。そのためどの時間帯の番組も、既に人気のある人を起用した、いろんな層の人に聴いてもらえるような最大公約数的な番組になっている。そのために段階的な選曲が出来なくなっていて、パーソナリティが専門化していく余地が無くなっている。今こそ放送局のDJを大切にしないといけないと思います。 — 糸居五郎、 そして今(当時)のリスナーに向けて、次のように話している。 かつての深夜放送が.mw-parser-output ruby.large{font-size:250%}.mw-parser-output ruby.large>rt,.mw-parser-output ruby.large>rtc{font-size:.3em}.mw-parser-output ruby>rt,.mw-parser-output ruby>rtc{font-feature-settings:"ruby"1}.mw-parser-output ruby.yomigana>rt{font-feature-settings:"ruby"0}力(ちから)を持っていたのは、リスナー一人一人が番組を盛り立てていた部分が大きかったように思う。私の力なんか微々たるものです。今のリスナーには喋り手のネームバリューで選んだり、何となくといった惰性で聴くなと言いたい。丹念に良いDJを捜して聴いて欲しいです。リスナーがそういう気持ちなら、特徴あるDJの番組がもっと多くなっていくと思うんですよ。 — 糸居五郎、
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