公共部門の従業員
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/06 08:09 UTC 版)
1979年の1月22日は1926年のイギリスのゼネラルストライキ以来、ストライキが起きた単独の日では最も規模の大きい日となり、多くの労働者らがその後も無期限ストに突入した。 十分な昇給を得た民間部門の従業員らとともに、公共部門の労働組合もますます給与の点で歩調を合わせることを気にかけるようになった。政府は既に1月16日に政策を若干弱めることを告示していた。そのため公共団体の組合の中には、彼らが勝利し、自由な団体交渉に望めることへの希望が湧いた。ASLEFおよびNUR(National Union Railway men)に所属していた鉄道運転手らは一連の24時間のストライキを既に開始していた。そして看護師会(Royal College of Nursing)の会合は1月18日に看護士らの給与を1974年の時と実際的な意味で同水準に引き上げることを要求した。それは、平均的に25パーセントの昇給を意味した。公共部門の組合はその日を「行動の日」と定め、24時間のストライキを行い、一週間の最低賃金として60ポンドを要求して行進した。 連続したストライキの呼びかけとその勝利の一方で、多くの労働者の集団が非公式な行動をとり始めた。そうした行動は組合の指導者の同意や支持を受けていないことが多かった。救急車の運転手は1月の半ばに行動を開始し、イギリス国内の一部(ロンドン、ウェスト・ミッドランド、カーディフ、グラスゴー、そして西スコットランド)で、999の救急電話に出ることを拒否することを含むストライキをし始めた。こうした地域では、軍隊が最低限の業務を行うのに動員された。病院の補助の従業員も同様にストライキを行った。1月30日には、社会福祉担当官のデヴィッド・エナルズはNHS(National Health Service)に属する2300の病院のうち、1100しか救急患者を治療していないことを発表した。また、事実上、救急車の業務は全く正常に行われていなかったことや、病院の補助的な労働者が治療に値すかどうかを決めていることも発表された。報道機関は、がん患者が助かるために必要な治療を受けることを拒絶されたことを批判的に報道した。
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