『インターナショナル・ヴェルヴェット』(1997年 - 1998年)
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「カタトニア (ウェールズのバンド)」の記事における「『インターナショナル・ヴェルヴェット』(1997年 - 1998年)」の解説
カタトニアは、同じウェールズのバンドのマニック・ストリート・プリーチャーズのサポート・アクトとしてツアーを行い、レーベルは日本でコンピレーション「ツーリスト」(Tourist Ep) を発売した。そして、1997年1月にカーディフで新アルバムの制作を始めた。ほとんどのテーマが、ロバーツとマシューズの失恋物語に基づいたものだった。6月にモンマスシャーのスタジオでレコーディングを行った。また、初めてのアメリカ合衆国での公演を、ブー・ラドリーズのサポート・アクトとしてニューヨークで行った。さらにオースティンとロサンゼルスで3月に行った。翌月、イギリスで10日間のツアーを行い、「モルダー&スカリー」(Mulder and Scully) などの楽曲が初めて披露された。 アルバム制作に取り掛かっている間、カタトニアはレーベルから契約解除されることを恐れ、その思いを楽曲「That's All Folks」で要約している。アルバム『ウェイ・ビヨンド・ブルー』よりよくするため、トミーDにプロデュースを依頼した。アルバムからの最初のシングルは「モルダー&スカリー」の予定だったが、レーベルは「アイ・アム・ザ・モブ」(I Am The Mob) を主張した。前作と同様に遅れて、カタトニアはリリースを待つ1997年の夏、グラストンベリー・フェスティバルに出演予定だったが到着と同時に出演をキャンセルされた。マシューズが酔ったふるまいのために新聞のゴシップ欄にバンドのことを記載され続けた。その一例が、1997年のウェールズ国民議会設置に関する国民投票の結果、議会設置となった結果をインタビューされた件で、「我々が知りたいのは、誰がシアン・ロイド(英語版)(ウェールズの女性テレビタレント)とセックスするのでしょう?」と答えた。ロイドは法的処置を開始したが、マシューズからの謝罪を結果的に受け入れた。 ワーナーがアルバムから長さ6分の楽曲「That's All Folks」の除去を命じるなど、新アルバムの制作はさらに遅れた。「アイ・アム・ザ・モブ」のビデオは、ケヴィン・アレン監督の元で撮影された。シングルは10月6日に発売され、最高で40位を記録した。そして、サポート・アクトではなく彼ら自身のツアーを実行しようとしたが、レーベルに止められてしまった。ワーナーは「That's All Folks」を「My Selfish Gene」へ入れ替えることを前提に、1998年1月にシングル「モルダー&スカリー」を、その2週後にアルバム『インターナショナル・ヴェルヴェット』(International Velvet) を発売することに同意した。 「モルダー&スカリー」が1998年1月19日に発売されると、カタトニアはメインストリームに押し上げられた。チャート上では3位を記録し、もちろんカタトニアのシングルでは最も高い順位となった。『インターナショナル・ヴェルヴェット』はバンドがブレークしたアルバムとなり、全英アルバムチャートで1位を記録した。このアルバムは22カ月で90万部売り上げ、英国レコード産業協会でトリプル・プラチナを認定された。『インターナショナル・ヴェルヴェット』はマーキュリー賞にノミネートされたが、ゴメスが受賞した。 アルバムからカットされた5枚のシングルのうち、「ロード・レイジ」(Road Rage) が最も高く評価された。このシングルはアイヴァー・ノヴェロ賞とブリット・アワードにノミネートされ、Qアワードを獲得した。このシングルは評価とは反して「モルダー&スカリー」ほど高い順位にチャートインせず、全英シングルチャートでは5位止まりだった。以降のシングル「ストレンジ・グルー」(Strange Glue) と「ゲーム・オン」(Game On) はトップ10入りを果たせず、前者の最高位が11位、後者は33位だった。 アルバム『インターナショナル・ヴェルヴェット』のタイトルトラックの「毎日起きたら私がウェールズ人であることを神に感謝する」というフレーズやウェールズ語のバースが、メディアから注目を受けた。マシューズは、ネガティブなウェールズ人のイメージを逆にしたいとインタビューで語っている。「私たちは、あまり優れているものが見えません。サッカーチームはくそです。この歌は、それらにもかかわらず、朝起きたらウェールズ人であることを神に感謝すると言っています。うまくいけば今頃はウェールズの人々は才能が溢れて素晴らしい頭脳をもっているはずです。」7万人の観衆を前に、カタトニアはカーディフのミレニアム・スタジアムで行われたラグビーワールドカップ1999の開会式で、「International Velvet」を演奏した。このアルバムはアメリカ合衆国ではデビューアルバムとして発売されたが、チャートインすることはできず、このことをワシントン・ポストは「見落とされた」と書いている。
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