『カースト・アンド・ブレスト』(1999年 - 2000年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/28 05:49 UTC 版)
「カタトニア (ウェールズのバンド)」の記事における「『カースト・アンド・ブレスト』(1999年 - 2000年)」の解説
『インターナショナル・ヴェルヴェット』のツアーの後、バンドは3枚目のスタジオ・アルバムを収録するためにモンマスシャーのスタジオに戻った。トミーDの薦めにより、アメリカツアーの間にツアーバスの中でハードディスク・レコーダーにサンプルを録音していたため、それをモンマスシャーへ持ち帰っていた。『インターナショナル・ヴェルヴェット』が成功したため、バンドは新アルバム制作に向けてのレーベルからの圧力が減ったように感じていた。 1999年1月に、バンドは新アルバム『カースト・アンド・ブレスト』(Equally Cursed and Blessed) を発売することを発表した。アルバム名は『インターナショナル・ヴェルヴェット』の収録曲「Storm the Palace」の詞からとられている。アルバムに先立って3月22日にシングル「デッド・フロム・ザ・ウェイスト・ダウン」(Dead from the Waist Down) が発売され、4月12日に『カースト・アンド・ブレスト』が発売された。このアルバムは全英アルバムチャートで1位に達した。1999年4月には全英アルバムチャートのトップ40内に『ウェイ・ビヨンド・ブルー』『インターナショナル・ヴェルヴェット』『カースト・アンド・ブレスト』の3枚が同時にランクインするほど、カタトニアは人気があった。しかし、『カースト・アンド・ブレスト』からのシングルは、前作のアルバムほどの成功を繰り返すことはできなかった。「デッド・フロム・ザ・ウェイスト・ダウン」が結局カタトニアにとって全英シングルチャートでトップ10に達する最後のシングルとなった。「ロンディニウム」(Londinium) は20位、「カラオケ・クイーン」(Karaoke Queen) は36位を記録した。 4月にデンビーシャーで6,000人の観衆の前で屋外コンサートを連日行った。これは彼らにとって最大のコンサートだった。R.E.M.が6月にヨーロッパで行われたツアーで、カタトニアは2日サポートで登場した。ベルリンでR.E.M.が演奏中にマシューズがステージ上でベーシストのマイク・ミルズにキスする事件が発生した。それはマシューズが飲んだワインが原因だった。バンドはアルバムからの2枚目のシングルには「カラオケ・クイーン」を出そうとしていたが、レーベルは「ロンディニウム」を出すことを強制した。マシューズは、アルバム制作のコストよりもシングルのビデオ制作のコストが高いことに、怒りを感じていた。翌月、バンド初期からのローディーであるバリー・カウリーが北ウェールズで交通事故死した。カウリーはサイクリング中にフィアット・プントのドライバーに殺された。ロバーツは、そのローディーがマシューズの足を地に保つ役割だったと葬儀で説明した。 バンドは『カースト・アンド・ブレスト』で再度アメリカ進出を狙った。アメリカでのアルバムには『インターナショナル・ヴェルヴェット』の収録曲「ロード・レイジ」と「モルダー&スカリー」が加えられた。彼らはテレビ番組『ザ・トゥナイト・ショー・ウィズ・ジェイ・レノ』に出演してインタビューを受ける予定だったが、ドラマーのリチャーズが虫垂炎でイギリスの病院に連れていかれ、出演はキャンセルとなり、バンドの残りのメンバーはイギリスへ帰国した。1日半後、イギリスでリチャーズはバンドに戻った。バンドのスポークスマンから年内にアメリカへ戻る予定だと発表されたが、メディアからバンドが解散の噂が流れた。公演は日本、オーストラリア、ニュージーランドで行われた。
※この「『カースト・アンド・ブレスト』(1999年 - 2000年)」の解説は、「カタトニア (ウェールズのバンド)」の解説の一部です。
「『カースト・アンド・ブレスト』(1999年 - 2000年)」を含む「カタトニア (ウェールズのバンド)」の記事については、「カタトニア (ウェールズのバンド)」の概要を参照ください。
- 『カースト・アンド・ブレスト』のページへのリンク