「遠山の金さん」を巡る諸説とは? わかりやすく解説

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「遠山の金さん」を巡る諸説

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 02:08 UTC 版)

遠山景元」の記事における「「遠山の金さん」を巡る諸説」の解説

景元青年期放蕩時代彫り物入れていたといわれる有名な桜吹雪」である。しかしこれも諸説あり、「右腕のみ」や「左腕花模様」、「桜の花びら1枚だけ」、「全身くまなく」と様々に伝えられるまた、彫り物自体疑問視する説や、通常武家彫りするところを「博徒彫り」にしていたという説もある。 景元彫り物をしていた事を確証する文献はないが、時代考証家稲垣史生によれば若年のころ侠気の徒と交わりその際いたずらしたものであると推測される続けて稲垣の言によれば奉行時代しきりに袖を気にして、めくりあがるとすぐ下ろす癖があった。奉行として入れ墨論外なので、おそらく肘まであった彫り物隠していたのではないかという。ただ、これらは全て伝聞によっており、今となっては事実判別し難い近世文学専門とする棚橋正博は、明治26年11月初演の『遠山桜天保日記』の脚本に「片肌脱ぎ双方なだめる。この腕に生首が文をくはへたるぼかしの彫物一杯ある」とある点から、仲間同士喧嘩仲裁する際に彫り物見せ場面が「遠山の金さん」の初出であり、その彫り物生首手紙咥えたものだった指摘している。 景元長年痔を患っており、馬での登城困難になり、景元身分では駕籠での登城許されていなかったが、文政9年9月痔疾理由に5か月間の駕籠による登城許可幕府西ノ丸目付申請した起請文江戸東京博物館残っている。 景元死後講談歌舞伎基本的な物語パターン完成し陣出達朗時代小説遠山の金さんシリーズ」などで普及した。現在では、テレビドラマの影響受けて奉行として世に認知され時代100年ほど違う大岡忠相人気二分することもある。しかしドラマのような裁きをした記録ほとんどないそもそも三権分立確立していない時代町奉行仕事江戸市内行政・司法全般網羅している。言わば東京都知事警視総監東京地方裁判所判事兼務したような存在であり、現在でいうところの裁判官役を行うのは、町奉行役割一部しかない。 ただし、当時から裁判上手だったという評判はあり、名裁判官イメージ元になったエピソード存在する天保12年8月18日の「公事上聴」(歴代徳川将軍一代一度行った三奉行実際裁判上覧)において、景元将軍徳川家慶から裁判ぶりを激賞され奉行模範とまで讃えられた。景元が、たびたび水野鳥居対立しながらも、矢部のように罷免されなかったのは、この将軍からの「お墨付き」のおかげだと考えられる景元こうした能吏中の能吏としての名声は、時代江戸から明治移って旧幕臣をはじめとした人々記憶残り景元主人公とした講談を生み、映画やテレビ時代劇継承される大きな要因となったと言えよう。

※この「「遠山の金さん」を巡る諸説」の解説は、「遠山景元」の解説の一部です。
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