「ロムヴァ」運動
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「リトアニアの宗教」の記事における「「ロムヴァ」運動」の解説
「バルト・ネオペイガニズム」も参照 近年、リトアニアを含むバルト人地域でかつて信仰されていた多神教を「ロムヴァ(英語版)」(Romuva、「ロムーヴァ」とも)と呼び復活させようとする動きがある。「ロムヴァ」という名はかつて古プロイセン(現在のロシア・カリーニングラード州)にあった神殿(英語版)に由来する。「ロムヴァ」とは「寺院」や「聖域」あるいは「心の平安のありどころ」といった意味である。 19世紀に民族誌学者が農村部に伝わる歌や物語を集めるようになったが、1960年代に入るとそこで集めた資料をもとにして多神教の復興を目指す、いわゆる「新異教主義」(英: Neo-Paganism)運動が展開されるようになった。1967年、ヴィリニュス大学の学生や教授が夏至の日などに季節の祝いを行った。これが「ロムヴァ」運動の始まりで、創立者は当時ヴィリニュス大学の学生で後にリトアニアの文部文化省民族文化部部長を務めることになるヨナス・トリンクーナス (Jonas Trinkūnas) である。「ロムヴァ」活動家はリトアニア人の民間伝承の復興を目指し、多神教信仰にもとづく祭を準備した。しかし共産政権はこれを認めず、1971年に「ロムヴァ」の解散を命令、活動に参加していた教師は失職し、活動家が逮捕されるにいたった。しかしそれでも運動は秘密裏に続けられた。 1980年代後半、グラスノスチ時代が到来すると「ロムヴァ」運動は徐々に認められるようになる。1987年、環境団体や文化団体の設立を認める法案が議会を通過し、「ロムヴァ」は「リトアニア民族文化連盟」として活動することが許されるようになった。1988年には元の地位を回復し、再び「ロムヴァ」を名乗るようになった。その後はロシア・カリーニングラード州にあるロムヴァ神殿遺跡の修復が行われている。 リトアニアがソ連からの独立を回復すると、リトアニア政府もこの運動を容認するようになった。また大衆からもこの運動はおおむね支持されたが、カトリック教会はこの運動には反対している。1991年から92年にかけて国内外で「ロムヴァ」の集会が開かれた。またヴィリニュスの中心地に多神教の祭壇も設けられた。1992年、リトアニア政府が「ロムヴァ」を宗教団体と認定、しかし「伝統宗教」ではなく「新宗教」とされた。そのため「ロムヴァ」には国家からの資金援助は与えられていない。 「ロムヴァ」は現在リトアニア国内や、アメリカ合衆国、カナダなどの国外に数千人の会員を抱え、リトアニア全土に支部を持つ。会員の多くは高校や大学の教員である。また、『Jauniomo Romuva』や『Romuva』、『Sacred Serpent』といった雑誌も発行している。環境運動家と密に連携しており多くの者が「ロムヴァ」と環境団体の両方に加盟しているが、環境問題に関する抗議活動などはせず、彼らの聖地環境の保護を目的としたロビー活動を中心に行っている。また、「ロムヴァ」に加盟する者の中には環境雑誌『Green Lithuania』に「ロムヴァ」に関する記事を投稿する者もいる。 このようなかつての多神教信仰を復活させようとする動きはリトアニアのみに限らず東欧からカフカース地域まで幅広く見られるが、Shnirelmanは、これらは反植民地主義と結びついて起こったものであると指摘する。彼は、こうした動きは、ロシアあるいはソ連政府が現地の人々や彼らの文化に対して非寛容であった中で、ロシア人支配に対抗するようにして起こったのだと解説している。リトアニアにおける「ロムヴァ」運動もまた、ソ連による支配に対抗して起きたものであった。
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