ソ連からの独立とは? わかりやすく解説

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ソ連からの独立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 18:57 UTC 版)

モルドバ」の記事における「ソ連からの独立」の解説

東欧革命」および「ソビエト連邦の崩壊」も参照 1989年8月31日その4日前発生したキシニョフにおける60万人規模大規模なデモ行進影響を受け、モルドバ語モルダビア・ソビエト社会主義共和国公用語となる。また同年11月12日同国少数民族住民であるガガウズ人により自治共和国「ガガウズ・自治ソビエト社会主義共和国」(GASSR)の建国宣言されるが、この自治共和国設立MSSR政府認められずじまいとなっている。 1990年最初国会議員選挙自由選挙行なわれ、フロントゥル・ポプラル(ルーマニア語版、英語版)(Frontul Popular)の指導者一人ミルチャ・ドルク(ルーマニア語版、英語版)(Mircea Druc)による政府設立される。その傍らMSSR最高会議ロシア語版)は同年6月5日同国憲法改正ここからモルダビア・ソビエトソビエト社会主義共和国モルドバSSR Moldova)となり、6月23日主権(ならび共和制)を宣言した一方で同年8月19日にGASSRがガガウズ共和国ルーマニア語版)としてソ連からの独立を宣言。さらに9月2日沿ドニエストル地域では現地に住むロシア語話者系(スラブ系住民によって第2回臨時国会ティラスポリ開催され、「沿ドニエストル・モルダビア・ソビエト社会主義共和国」(現在の沿ドニエストル共和国)の創設宣言される1991年8月に「モルドバ共和国」として独立宣言し1991年12月21日独立国家共同体CIS)に加盟。 「モルドバの独立英語版)」および「モルドバ共和国独立宣言英語版)」も参照 これに対して沿ドニエストル最高会議同年8月25日、同領土内にソビエト連邦の憲法法律効果保持する沿ドニエストル地域独立に関する宣言』を採択する。 なお、ソ連時代モルダビア・ソビエト社会主義共和国の国旗国章は、スラブ系住民が多いことから分離独立宣言した沿ドニエストルそのまま継承し独立以降モルドバの国旗ルーマニアとよく似たもの変更した。これに伴って都市名の表記も、キシニョフ(Кишинёв)をキシナウChișinău)というように、ロシア語からルーマニア語全て戻した同年12月25日ソ連解体されたことで、同国独立国家となった

※この「ソ連からの独立」の解説は、「モルドバ」の解説の一部です。
「ソ連からの独立」を含む「モルドバ」の記事については、「モルドバ」の概要を参照ください。

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