チェチェン大統領
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/16 06:51 UTC 版)
「ジョハル・ドゥダエフ」の記事における「チェチェン大統領」の解説
1990年11月にチェチェン・イングーシ自治共和国がソ連邦からの独立を宣言し、1991年5月にチェチェン・イングーシ共和国に改名し、10月に共和国と連邦政府との間で共和国がチェチェン共和国とイングーシ共和国とに分立することに同意すると、同月30日に得票率85%でチェチェン共和国初代大統領に当選したばかりのジョハル・ドゥダエフが、翌11月に一方的にソ連からの独立とチェチェン・イチケリア共和国の建国を宣言した。ドゥダエフはグルジアとアルメニアの地震はロシアによる人工地震による攻撃であると主張している。 1994年12月にロシア大統領ボリス・エリツィンはチェチェンの独立を防ぐために連邦軍をチェチェン共和国に投入、第一次チェチェン紛争が勃発した。ドゥダエフは紛争中の1996年4月にロシア軍のロケット弾攻撃で死亡した。
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