〇・零(漢数字)
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「0 (曖昧さ回避)」の記事における「〇・零(漢数字)」の解説
漢数字における表記。 「〇」(JIS:213B、Unicode:U+3007)は、西暦や辞典のページ数などに用いられる表記(例:「百→一〇〇」、「千→一〇〇〇」)。元は則天文字で、「星」を表す象形文字に由来する。 「〇」で始まるページの一覧 タイトルに「〇」を含むページの一覧 「零」は、説文解字に出ている古い字であり、熟語などに用いられる(零下、零細企業など)。なお、「零」を用いた各種用語については次項の「零」を参照のこと。 「漢数字#〇、零」も参照
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〇、零
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/27 21:05 UTC 版)
他の漢数字と異なり「〇」は新しい字であり、唐より前には現れない。唐の武則天(在位:690年 - 705年)が制定した則天文字に初めて「〇」が現れるが、これは「星」の代替字であり 0 の意味はなかった。星の球形を表した典型的な象形字で、楷書とは言いがたい文字であった(則天文字には、このように楷書的でない形の字がいくつかある)。 後漢に完成した『九章算術』には「(引き算の時)同符号は引き、異符号は加える。正を無入から引いて負とし、負を無入から引いて正とする」とある。この「無入」とは 0 のことであるが、専用の字はなく、表記には空白を用いていた。 718年、太史監(天文台長)の瞿曇悉達が『九執暦』を漢訳し、0 を点で記すインドの数字を導入した。しかし算木を用いていた中国の天文学者や数学者は受け入れなかった。『旧唐書』(945年)は 3040 および 0 を「三千四十」、「空」と記し、また『新唐書』(1060年)は 3201 および 0 を「三千二百一」、「空」と記している。この「空」は仏教の空と同じく、サンスクリット語の शून्य(シューニャ)の訳語である。現在も、朝鮮語とベトナム語は「空」を 0 の意味に用いる(공/gong と không)。また江戸時代の和算家も 0 を「空(くう)」と呼んでいた。 南宋の時代、蔡元定(1135年 - 1198年)は『律呂新書』の中で、118098 および 104976 を「十一萬八千□□九十八」、「十□萬四千九百七十六」と書いている。この「□」は、以前から欠字を示すのに使われてきた記号、虚欠号である(中国語版: 虚缺号)。秦九韶の『数学九章』(1247年)では、算木数字で空位および 0 に「〇」を用いている。この「〇」は「□」が変化したものであり、アラビア数字の「0」ならびに則天文字の「〇」を借用したのではない。もっとも、インドの数字のゼロに触発された可能性もある。 一方、「零」は『説文解字』にも出ている古い字で、音符の「令」と意符の「雨(あめかんむり)」を合わせた形声字である。元々は小雨(零雨)を意味し、後にわずかな量(零細、零余)の意味にもなったが、0 の意味はなかった。『孫子算経』(4世紀頃)では「零」が余りの意味で使われている。李冶は、『測圓海鏡』(1248年)の中で 1024 を「一千〇二十四」、2220302 を「二百二十二万零三百零二」と書き、「〇」と「零」を同一視している。それぞれ「一千とんで二十四」、「二百二十二万あまり三百あまり二」の意味である。 現在、位取り記数法では主に「〇」を使う。ただし、熟語は必ず「零」を用いて、「零下」、「零封」などと書く。このようなことから、「〇」を独立した文字であると考えるのはかなり無理がある。「〇」は部首も不明で、一般に漢和辞典では漢字ではなく記号の扱いとなっており、記号であるとみなすのが適切である。 「〇」の文字コードは、漢字領域ではなく記号領域で定義されている。
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