天文台長
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天文学のアンドリューズ教授(Andrews Professor of Astronomy)は、ダブリン大学の天文学の教授であり、ダンシンク天文台長に関連している。天文台と同じくフランシス・アンドリューズからの寄付により1783年に設置された。トリニティ・カレッジの学則により、「天体と太陽、月、惑星を定期的に観測する」ことと定められていた。この職は1921年以降空席となり、1966年に学則の改正により廃止されたが、1984年にダブリン高等研究所の宇宙物理学部長の名誉称号として復活した。 1793年より、イギリス国王ジョージ3世の勅許に基づいて、天文学のアンドリューズ教授はアイルランド王室天文官(Royal Astronomer of Ireland)という称号を持った。この称号は1966年に消滅し、以降復活していない。 ダンシンク天文台長の一覧在任期間氏名その他の称号備考1783–1790 ヘンリー・アッシャー(英語版) 天文学のアンドリューズ教授 在任中に死去 1792–1827 ジョン・ブリンクリー 天文学のアンドリューズ教授アイルランド王室天文官(1793年以降) 1826年にクロイン司教に任命された。 1827–1865 ウィリアム・ローワン・ハミルトン 天文学のアンドリューズ教授アイルランド王室天文官 21歳の学部生のときに任命された。天文学のほか数学に取り組んだ。1843年にハミルトン力学を開発し、四元数を発見した。在職中に死去した。 1865–1874 フランツ・ブリュンノウ(英語版) 天文学のアンドリューズ教授アイルランド王室天文官 健康の悪化と視力の低下により引退した。 1874–1892 ロバート・スタウェル・ボール 天文学のアンドリューズ教授アイルランド王室天文官 1892年にケンブリッジ大学で天文学と幾何学のロウンディーン教授(英語版)に就任した。 1892–1897 アーサー・ランバウト(英語版) 天文学のアンドリューズ教授アイルランド王室天文官 1897年にオックスフォード大学のラドクリフ天文台長(Radcliffe Observer)に就任した。 1897–1906 チャールズ・ジャスパー・ジョリー(英語版) 天文学のアンドリューズ教授アイルランド王室天文官 在任中に死去 1906–1912 エドマンド・テイラー・ホイッテーカー 天文学のアンドリューズ教授アイルランド王室天文官 1911年にエディンバラ大学の教授に就任した。 1912–1921 ヘンリー・プラマー 天文学のアンドリューズ教授アイルランド王室天文官 1921年にウーリッジの砲兵大学で数学の教授に就任した。 1921–1936 チャールズ・マーティン 代理。在任中に死去 1936–1947 (空席) 天文台が閉鎖されていた。 1947–1957 ハーマン・ブラック ダブリン高等研究所宇宙物理学部長 1957年にスコットランド王室天文官に就任した。 1958–1963 マービン・A・エリソン(英語版) ダブリン高等研究所宇宙物理学部長 在任中に死去 1964–1992 Patrick Arthur Wayman 天文学のアンドリューズ教授(1984年以降)ダブリン高等研究所宇宙物理学部長 1994–2007 Evert Meurs ダブリン高等研究所主任教授 2007–2018 Luke Drury 天文学のアンドリューズ教授ダブリン高等研究所宇宙物理学部長 2018– Peter Gallagher ダブリン高等研究所主任教授天文学・天体物理学部門長
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