しげのぶ‐がわ〔‐がは〕【重信川】
重信川
坊っちゃんの里松山「道後温泉」と俳句の町を流れる川
(注:この情報は2008年2月現在のものです)
重信川は、愛媛県温泉郡・周桑郡・越智郡の郡境にある東三方ヶ森にその源を発し、南西流して山地を脱し、松山平野(道後平野)をほぼ西流し、石手川など支流を合流し、伊予灘に注いでいる流域面積445km2、幹川流路延長36kmの河川です。 |
松山平野(道後平野)中心部を流れる重信川 |
河川概要 |
| ○拡大図 |
1.重信川の歴史 |
"○松山市繁栄の基礎を築いた「足立重信」 重信川は、昔、伊予川と呼ばれ大雨のたびに氾濫を繰り返していました。そこで、初代松山城主 加藤嘉明が、家臣の足立重信に命じ、重信川の改修にあたらせました。重信は、霞堤や鎌投(水制)などの工法を用い、巧みに氾濫を食い止めたのです。この重信の功績を称え、伊予川を重信川と呼ぶようになったと言われています。" |
松山市繁栄の基礎を築いた「足立重信」 |
川に人名が当てられた例は全国でも珍しく、司馬遼太郎の「街道をゆく-南伊予・西土佐の道-」では「日本の河川で人名がついているのはこの川(重信川)だけではないか」などの記述もあります。
また、松山は、俳句の町としても有名です。最近では、全国各地から高校生が参加する俳句甲子園の開催や、町を歩けばいたるところに句碑があり、つられて一句ひねるとすぐに投函できる俳句ポストもあります。 この俳都にゆかりのある俳人としては、正岡子規、内藤鳴雪、高浜虚子らのそうそうたる名が並びます。自由律俳句で知られる漂泊の俳人、種田山頭火は晩年になって松山に定住しました。重信川や石手川にまつわる俳句も多く残されています。 「若鮎の 二手になりて 上りけり」 子規 「石手川 重信川の 青田かな」 虚子
加藤嘉明(かとうよしあきら) 加藤清正、福島正則らと共に豊臣秀吉の子飼いとして諸戦に参陣し、数々の戦功を挙げた。賤ヶ岳の戦いでは、七本槍の一人として活躍。初代松山城城主。 |
2.地域の中の重信川 |
"○重信川の「いも炊き」 涼しくなった秋の河原で、大きな鍋を囲んで、月を楽しみ、酒を酌み交わす「いもたき」は、秋の伊予路の風物詩です。地域の商工会などが開催し、毎年数万人の人手があります。 ○重信川の自然をはぐくむ会 重信川のより良い自然の再生を目指し、民学官のパートナーシップで活動する会が平成14年度に発足しました。基本方針は、緑のネットワークと人のネットワークの形成で、さまざまな活動に積極的に取り組んでいます。" |
重信川の「いも炊き」と「重信川の自然をはぐくむ会」
涼しくなった秋の河原で、大鍋で煮込まれた「いもたき」を囲んで、月を楽しみ、酒を酌み交わす風流な行事は、秋の伊予路の風物詩です。調理法は、下茹でした里芋を大根、鶏肉や油揚げ、椎茸、コンニャクと一緒に大鍋で煮込むだけ。砂糖や薄口醤油、塩、みりんであっさりと上品に仕上げただし汁には、素材のうま味がたっぷりとしみ出しています。とろけるような味わいの里芋が絶品です。 重信川では、出合、森松、砥部、横河原の4箇所で、各地域の商工会などの主催により開催され毎年数万人の人手があります。
重信川では、重信川のより良い自然の再生を目指し、民・学・官のパートナーシップにより、重信川自然再生事業「いきいきネットワーク計画」の取り組みが行われています。 平成14年、15年の2年間で自然再生事業計画を策定。平成16年度より、拠点地区である砥部・高井箇所で事業に着手します。 重信川の自然をはぐくむ会は、愛媛大学工学部教授矢田部龍一会長を中心に、愛媛大学教育学部、理学部、農学部、松山東雲短期大学の教員、愛媛大学の学生が組織する「重信川エコリーダー」、重信川をフィールドに活動するNPOなど7団体などで、総勢1,000人以上の組織となっています。また、砥部・高井地区では、「松原泉と小川の再生」を計画しており、地域部会として「松原泉を再生・保全する会」が発足し、地域とともに自然の再生を目指しています。
松原泉の再生イメージ
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3.重信川の自然環境 |
"○河口「野鳥の楽園」と河川周辺の「泉」 重信川は、河川水が伏没する瀬切れが発生し、動植物には好ましい環境とはいえませんが、河口は、環境省シギ・チドリ類重要渡来地、重要湿地500に指定され、一年中たくさんの野鳥が訪れます。また、河川周辺の「泉」が、貴重な動植物のオアシスとして存在しています。" |
河口「野鳥の楽園」と河川周辺の「泉」
河口では、広大な干潟やヨシ原が形成され、水量も豊富であることから、カモメ類、冬期に渡来するカモ類や春と秋の渡りの途中に渡来するシギ・チドリ類等にとっての良好な休息地、えさ場となっています。また、この他にもヨシ原ではセッカやオオヨシキリ、水辺のサギ類、カモ類などを狙い上空を飛翔するオオタカやボラなどの魚を狙うミサゴなども見られます。
現在残されている「泉」は、これまで人とともにあり、人の手による管理が行われてきました。そこに残されている自然は人の手によって形づくられてきたと言え、いわゆる里山の自然・風景といえます。重信川周辺の「泉」の多くは、江戸時代にかんがい用水として開発されたもので、人々の暮らしの一部として脈々と引き継がれています。 現在も131箇所の泉が存在し、河川と霞堤や水路でつながり良好なビオトープネットワークを形成しています。
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4.重信川の主な災害 |
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(注:この情報は2008年2月現在のものです)
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