重信房子
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重信 房子(しげのぶ ふさこ、1945年〈昭和20年〉9月28日 - )は、日本の女性テロリスト[1][2]、新左翼活動家。元赤軍派中央委員、日本赤軍の元最高幹部。
- ^ “Fusako Shigenobu, the 'Red Queen' of Japanese terrorism, released after 20 years in prison” (英語). Le Monde. (2022年7月8日) 2022年8月14日閲覧。
- ^ “「時代の証言者として反省・総括を」国際的テロリスト・重信房子受刑者は生まれ変わったのか きょう出所へ”. フジニュースネットワーク. (2022年5月28日) 2022年8月14日閲覧。
- ^ a b c 『重信房子がいた時代』(由井りょう子、情況新書、2011年)
- ^ 『日本赤軍!世界を疾走した群像』図書新聞 2010年 p61
- ^ a b c No415 重信房子「1960年代と私」第3回(大学時代ー1965年)
- ^ a b 『日本赤軍!世界を疾走した群像』図書新聞 2010年 p63
- ^ 『日本赤軍!世界を疾走した群像』図書新聞 2010年 p66-67
- ^ 『日本赤軍!世界を疾走した群像』図書新聞 2010年 p71-75
- ^ 赤軍派 女闘士逮捕『朝日新聞』1970年(昭和45年)5月10日朝刊 12版 15面
- ^ 「背後に重信 警視庁確信」『朝日新聞』昭和47年(1972年)6月4日朝刊、13版、3面
- ^ a b 「奇跡体験!アンビリバボー」 2016年6月23日放送、『日本に尽くした名も無き警官達の逮捕劇』
- ^ “<日本赤軍>重信容疑者を殺人未遂容疑で再逮捕 警視庁”. 毎日新聞. (2000年11月9日). オリジナルの2000年12月2日時点におけるアーカイブ。 2022年9月5日閲覧。
- ^ 河居貴司 (2009年6月25日). “【さらば革命的世代】番外編 テロリストの女王・重信房子被告に聞く”. 産経新聞. オリジナルの2009年6月28日時点におけるアーカイブ。 2010年10月17日閲覧。
- ^ ハーグ事件 重信房子被告に懲役20年 東京地裁判決 人民日報日本語版 2006年2月23日
- ^ 重信被告、2審も懲役20年=「凶悪な国際テロ」ー 日本赤軍ハーグ事件・東京高裁
- ^ 重信被告の懲役20年確定へ 日本赤軍元最高幹部 最高裁が上告棄却 日本経済新聞 2010年7月16日
- ^ a b 国際テロの「魔女」 5月に出所予定 - 産経ニュース 2022年2月25日
- ^ 国際テロの「魔女」逮捕、20年目の真実 刑期満了で2022年に出所へ - 47NEWS 2020年11月16日
- ^ “「国際テロの魔女」重信房子受刑者が28日出所 動向に注目”. 産経新聞. (2022年5月26日) 2022年5月26日閲覧。
- ^ “日本赤軍の重信房子・元最高幹部が出所 反省と謝罪つづる手記公開”. 朝日新聞. (2022年5月28日) 2022年5月28日閲覧。
- ^ “日本赤軍の重信房子元最高幹部 20年の刑期終え出所”. 産経新聞. (2022年5月28日) 2022年5月28日閲覧。
- ^ a b “日本赤軍、重信元幹部が出所 「闘いで被害与えた」と謝罪―治療への専念表明・東京”. 時事通信. (2022年5月29日) 2022年7月31日閲覧。
- ^ “日本赤軍 重信房子元最高幹部が出所 メンバー逃亡 警戒続く”. 日本放送協会. (2022年5月30日) 2022年7月31日閲覧。
- ^ 東京新聞、2009年1月11日 朝刊
- ^ 『日本赤軍!世界を疾走した群像』図書新聞 2010年 p103
- ^ 『日本赤軍!世界を疾走した群像』図書新聞 2010年 p111-120
- ^ 『日本赤軍!世界を疾走した群像』図書新聞 2010年 p202-203
- ^ No 511 重信房子 「1960年代と私」第二部第2回(1967年)
- ^ No 521 重信房子 「1960年代と私」第二部第4回(1967年)
- ^ 帰国者の裁判を考える会会報 ザ・パスポート34号 1993年6月22日発行
- ^ 大阪地方裁判所 昭和52年(行ウ)114号 判決
- ^ Terrorist Group Profiles. DIANE Publishing. July 25, 1990. p. 118. ISBN 9781568068640
- ^ “重信房子・元日本赤軍最高幹部が語る悔恨 親友の非業の死と女性蔑視(2023年7月12日付)”. 朝日新聞デジタル 森下香枝. 2023年7月15日閲覧。
重信房子
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「革命の子どもたち (2010年の映画)」の記事における「重信房子」の解説
映像記録から再構成。テロリストで元日本赤軍の最高指導者。1945年、東京都世田谷区で4人きょうだいの次女として生まれる。本映画の公式サイトでは「戦後の血盟団事件に参加していた、極右だった父・末夫の影響を強く受ける。」との触れ込みがあるが、当の末夫は事件に参加していた事実はなく、師と仰ぐ井上日召から「お前は優しすぎるので、実行には向かない。」と言われ郷里に帰されていた。帰郷した末夫は教師となっており、房子の件でマスコミから取材を受けて名が知れても著名な活動は見られず、あくまで一般人である。
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