日本赤軍
日本赤軍とは、主に1970年代から1980年代にかけて活動した日本の極左政治組織である。国際的なテロ活動を行い、その行動は世界中で大きな議論を巻き起こした。日本赤軍の活動は、航空機のハイジャックや人質事件など、暴力的な手段を用いたものが多く、その結果、多くの人々が犠牲となった。その一方で、彼らは自身の政治的信念を強く持ち、それを実現するために行動したと主張している。日本赤軍の存在は、政治的な過激派の存在とその影響力を世界に示すものであり、その歴史は現代のテロリズム研究において重要な参考資料となっている。
日本赤軍
にほん‐せきぐん【日本赤軍】
日本赤軍(にほんせきぐん)
日本赤軍は1971年、赤軍派中心人物の重信房子がパレスチナ入りし、パレスチナ解放人民戦線の支援を受けて結成したものである。1971年当初は「アラブ赤軍派」と名乗ったが、1974年以降、「日本赤軍」と自称している。反イスラエル闘争を行い、「アラブの英雄」としての扱いを受けてきた。
以来、日本赤軍は多くのテロを実行したとされている。日本赤軍を指揮していた重信房子は、オランダ・ハーグのフランス大使館占拠事件の容疑者として、警視庁により国際指名手配 (1975年) された。
日本赤軍が原因・主犯とされる主な事件には次のようなものがある。
1972年 | テルアビブ空港襲撃事件 |
---|---|
テルアビブ空港で自動小銃を乱射した事件。旅行者ら100人が巻き込まれ、24人が死亡。 | |
1973年 | 日航機ハイジャック(ドバイ事件) |
日航機をハイジャックし、リビアのベンガジ空港に着陸させた | |
1974年 | ハーグ・仏大使館占拠事件 |
オランダ・ハーグのフランス大使館を襲い、拘禁中の日本赤軍メンバーを釈放させた | |
1975年 | クアラルンプール米大使館占拠事件 |
マレーシア・クアラルンプールのアメリカ大使館を襲撃。人質と交換条件で、日本赤軍メンバーを釈放させた | |
1977年 | 日航 |
日航機をハイジャックし、乗客ら151人を人質にとった。交換条件で現金600万ドルを要求した上、拘禁中の赤軍メンバーを釈放させた |
(2000.03.21更新)
日本赤軍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/15 10:58 UTC 版)
共産同(ブント)系
戦旗荒派 / 戦旗西田派 / 烽火派 / 叛旗派 / 統一委 / 社労党 / マルクス主義同志会 /革命21 /ML派 / マル青同 / 赫旗派 / 労共党 / 革命左派 / 赤軍派 / 連合赤軍 / 日本赤軍 / ムーブメント連帯
社青同(革労協)系
解放派 / 狭間派 / 木元派 / 全協
構造改革派系/ソ連系
共労党 / フロント / 日本のこえ / MDS / 統一共産同盟
中国系
毛沢東思想研究会 / 日共左派 / 日共行動派 / 日共ML派 / 緑の党
アナ革連系
アナキスト社会革命戦線 / 無政府共産主義者同盟
ノンセクト・ラジカル
東アジア反日武装戦線 / 京大パルチザン
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日本赤軍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 23:37 UTC 版)
重信は1971年に「国際根拠地論」に基づいて、パレスチナに赤軍派の海外基地を作ろうとする。 同年2月2日に神戸市で「京都パルチザン」の奥平剛士との婚姻届を提出、「奥平房子」という戸籍を得て2月28日に出国した。1972年の時点で、結婚相手の奥平剛士(1972年5月、民間人ら23人を殺害、計100人以上を無差別殺傷したテルアビブ空港乱射事件のテロ行為で死亡)とは偽装結婚であると報じられており、潜伏先のベイルートでは別々のアパートを借り、現地の日本人に「あの人は本当は主人ではないのです」と説明していることなどが根拠とされている。なお重信は、後にパレスチナ人男性と結婚した。 重信房子や奥平剛士らは、国際義勇兵としてパレスチナ解放人民戦線(PFLP)に参加して、「革命運動」を主張してレバノンのベカー高原を主な根拠地に軍事訓練を行った。このため当初は独立した組織との認識は共有されておらず、自称も「アラブ赤軍」、「赤軍派アラブ委員会」、「革命赤軍」等であった。1972年5月にはテルアビブ空港乱射事件後のPFLPと重信との共同声明の中で「『日本赤軍』結成の日」との表現が使用されたが、組織名称を公式に「日本赤軍」としたのは後の1974年であった。重信は日本赤軍の最高幹部となり、1980年代にかけて世界各地でハイジャック事件や誘拐事件を含む多数の日本赤軍事件を発生させ、ドイツ赤軍や赤い旅団などにも影響を与えた。
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日本赤軍
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1975年(昭和50年)、日本赤軍兵站委員会のメンバーだった島田恭一とスウェーデンの警察当局によって逮捕され、日本に強制送還されている。同年9月、2人は羽田空港で逮捕された。理由は旅券法違反で、2人はドイツ連邦共和国(当時、西ドイツ)の日本人商社員誘拐・身代金奪取作戦に参加する予定だったとされる。
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