まつやま‐じょう〔‐ジヤウ〕【松山城】
松山城
松山城
松山城
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 23:18 UTC 版)
豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に水軍の将であった加藤嘉明が、1602年(慶長7年)に築城を開始した広大な平山城であり、城山公園全体は国の史跡で、建造物21棟は国の重要文化財に指定されている。黒船来航の翌年に当たる1854年(安政元年)に、15万石の親藩松平家により本壇の天守群が再建されたため、代表紋章は葵の御紋。城山の樹叢(樹林)は、県指定天然記念物。登城客の利便のため、城山索道が設置されている。日本100名城、美しい日本の歴史的風土100選(道後温泉とともに)、日本さくら名所100選、日本の歴史公園100選などの指定も受け、標高150mの松山城天守からの眺望も素晴らしく、松山市のランドマークであるとともに愛媛県を代表する観光名所である。日本に12か所しかない現存天守の一つ。
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松山城
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/20 06:01 UTC 版)
詳細は「松山城 (伊予国)」を参照 愛媛県松山市 1602年(慶長7年)築城 - 1873年(明治6年)廃城 天守建造年:1852年(嘉永5年) 大名分類:親藩 石高:15万石 築城者:加藤嘉明 主な改修者:松平勝善 代表紋章:「丸に三つ葉葵(まるにみつばあおい)」 文化財指定:史跡、重要文化財21棟 その他指定:日本さくら名所100選、日本の歴史公園100選、日本100名城(81番)、美しい日本の歴史的風土100選 層塔型3重3階地下1階の大天守と2重の小天守1基、2重櫓2基を多聞櫓で連結した連立式の天守で、平山城の比高において最も高い位置にある現存天守(標高約160メートル)である。天守丸の上に築かれた構造の天守は、黒船来航の翌年、将軍徳川家とゆかりのある松平家により復興されたもので、「現存12天守」で唯一、築城主として「葵の御紋」が付されており、また日本では最も新しい日本式城郭建築の天守である。1重・2重を下見板張り、3重目は白漆喰の塗られた外壁に飾りの外廻縁と高欄が付けられている。大天守各階は天井が張られ「床の間」が設けられている。また、「登り石垣(竪石垣)」や登城のための「城山索道」がある。また、愛媛県は現存天守が複数(2ヶ所)ある唯一の都道府県である。
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