登り石垣とは? わかりやすく解説

登り石垣

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/06 00:40 UTC 版)

登り石垣(のぼりいしがき)は、豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)の際、朝鮮半島倭城の防備を固めるために採られた石垣普請の手法である。竪石垣(たていしがき)ともいう。


  1. ^ 釜山博物館 學藝研究士:羅東旭 編「韓國の倭城」P6〜7の「倭城の築造手法」による。
  2. ^ 城郭談話会2016、p.16
  3. ^ 濱野2018、p.39-44
  4. ^ 濱野2019、p.185-187, 189
  5. ^ 三島2007, p.54.
  6. ^ 三島2007, p.22-23, 48.
  7. ^ 三島2007, p.48-49.


「登り石垣」の続きの解説一覧

登り石垣

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/29 01:16 UTC 版)

米子城」の記事における「登り石垣」の解説

内膳丸と湊山山頂部本丸遠見を結ぶ尾根の上築かれていた。江戸期米子城絵図には登り石垣らしき構造物描かれていたが、明治期以降、その存在確認されていなかった。しかし、平成28年2016年)度の発掘調査によってその存在が明らかとなった中海側の岩盤をL字状に削り石垣構築し反対側の石垣東側には土塁構築して防御ライン構成している。石垣の高さは3m上で長さは40m以上存在した推定されている。 登り石垣に連なる内膳丸も、元々はこの登り石垣の一部推測され総延長は230m、築城主の吉川広家によって造られ可能性が高い。吉川広家文禄・慶長の役出兵しており、倭城用いられ先進技術取り込んだ推測される

※この「登り石垣」の解説は、「米子城」の解説の一部です。
「登り石垣」を含む「米子城」の記事については、「米子城」の概要を参照ください。

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