松山城放火事件
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松山城放火事件(まつやまじょうほうかじけん)は、1933年(昭和8年)7月9日に愛媛県松山市の松山城が放火され焼失した事件。この放火犯人は他にも多くの建物を放火しており、別名を「西日本13府県連続放火事件」ともいう。
- ^ 「名城松山城ほとんど全焼、放火か」『東京朝日新聞』1933年7月10日(昭和ニュース事典編纂委員会 『昭和ニュース事典第4巻 昭和8年-昭和9年』本編p.17 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
- ^ 日外アソシエーツ編集部 編『日本災害史事典 1868-2009』日外アソシエーツ、2010年9月27日、71頁。ISBN 9784816922749。
- 1 松山城放火事件とは
- 2 松山城放火事件の概要
- 3 事件の概要
- 4 犯人逮捕
- 5 参考資料
西日本13府県連続放火事件
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「松山城放火事件」の記事における「西日本13府県連続放火事件」の解説
犯人は1932年から1936年までの4年間に45箇所(有罪となったのは37箇所)に放火し、被害額120万円を与えた。放火したのは寺院や学校などの大きな建物で、松山城のほか和歌山県の天理教和歌山教務支庁、那覇の沖縄県立第二高等女学校が焼失した。また熊本県では列車妨害事件を引き起こしていた。
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