日本の降伏からベトナム戦争までとは? わかりやすく解説

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日本の降伏からベトナム戦争まで (1945年〜1975年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 14:52 UTC 版)

アメリカ合衆国の歴史」の記事における「日本の降伏からベトナム戦争まで (1945年1975年)」の解説

世界盟主自負していたイギリスは、戦争痛手植民地相次ぐ反乱によって急速に衰退し、代わってアメリカソ連世界覇者となった。かねての構想であった国際連合設立戦後世界構築進めた。しかし、思想異なソ連との連合不可能なことであり、戦後すぐに双方離反したアメリカマーシャル・プランによって西ヨーロッパ経済援助することを基本路線掲げ対すソ連東ヨーロッパ周辺中小国共産化したことから、欧州大陸東西分裂したいわゆる冷戦である。双方ベルリン問題対立深めたが、朝鮮戦争1950年-1953年)によって遂に熱い戦争となったアメリカ欧州防衛する為、集団防衛組織として北大西洋条約機構 (NATO) を設立しソ連東欧東側陣営封じ込める戦略を採った。また中東条約機構 (METO) の成立寄与し東洋では東南アジア条約機構SEATO)・ANZAS条約日米条約米韓条約・米条約・米比条約それぞれ締結してソ連中華人民共和国包囲した。さらに、対外情報機関統合したCIA設置され東側との情報戦諜報戦など工作活動盛んに行われ、また西側諸国影響下に置くべく監視したCIA長官強大な権限与えられ、これ以降数々国外活動CIA関与するようになり、1954年には早くもグアテマラ容共的な政権転覆するためにPBSUCCESS作戦実行された。 国内では戦争終わった安堵感と、若年層兵士帰国したことから結婚と出産急増し1945年から数年間で幼児人口増加したベビーブーム)。いわゆるベビーブーマー」(日本では団塊の世代)と呼ばれる世代登場である。戦争潜り抜けた若い家族は、戦前家族制度縛られず、両親とは離れた郊外一戸建て購入して生活することが多くなり、核家族化急速に進んだ。この背景には、安くて高性能・しかも若者受けするスタイル自動車多数販売されたこと、高速自動車道路網の整備急速に行われたことが大きく影響している。さらに、家庭用電化製品家電)の発明と普及が、核家族化進んだ家庭助けた郊外宅地整備ラッシュ自動車家電製品製造さらには戦争で再び荒廃した西欧へ製品輸出したことにより、米国経済は非常に活性化し1950年代には大好況となったテレビレコードなどの新たな娯楽普及しエルビス・プレスリーなどのミュージシャン登場したまた、ハリウッド映画黄金期呼ばれるのもこの時代で、長編大作映画次々製作された。 一方冷戦急速な緊張の高まりにより、1940年代末期ジョセフ・マッカーシー上院議員中心となった反共運動国民の支持拡大FBI共産主義者取締り強化し公民問わず様々な場所で、共産主義者見られ人々排斥が行われた。それは民間企業から官公庁果ては軍隊至り労組の力が強かったハリウッドでは、数々作家俳優共産主義者として排斥された。この中でチャップリンなどは国外亡命追いやられて国内外衝撃与えた。これらはマッカーシズムや、魔女狩り例え赤狩り呼ばれマッカーシー失脚する1950年代前半まで大きな動きとなった。この運動によって公職追放された者は数知れないが、一方で米国内共産主義運動の摘んだ評価する者もいる。なお、連合国占領下にあった日本においても、レッドパージとして同様の排斥運動盛んに行われたが、これは反共マッカーサー司令官意思大きい。 世界では1960年代まで脱植民地化潮流から植民地からの独立が相次ぎ西欧帝国主義的覇権終焉迎え独立国資本主義的国家ならばアメリカが、社会主義国家ならばソ連支援するという二極世界誕生した。そしてお互い核兵器大陸間弾道ミサイル原子力潜水艦という具合に、この間相手を何回も殺せ兵器を持つに至った大気圏内での核実験相次いで実施し核戦争備え対策全国取られた。また両国軍事的優位に立つために宇宙開発競争乗り出した航空宇宙局NASA)が設立され人工衛星有人宇宙船次々宇宙空間送り出したが、ソ連が常に先を行っていた。ジョン・F・ケネディ大統領民主党)はソ連より先に人類を月へ送り込む計画打ち出しNASA事業はこの目的為にほぼ一本化されていった。 そんな時、「アメリカの裏庭」と称していたカリブ海キューバ革命起こり、これを阻止すべく、亡命キューバ人を中心とした侵攻軍を組織したが、この計画失敗した。このピッグス湾事件によってカストロ政権キューバ革命社会主義革命であることを宣言し防衛力強化のために共産化したキューバソ連親交深めアメリカを狙う弾道ミサイル配備しようとしたため、ジョン・F・ケネディソ連核戦争瀬戸際外交戦を展開した。これがキューバ危機1962年)である。この危機的状況打破した米ソ首脳は、緊張緩和目指すことで一致しこの後米ソ直接的な激突避けられた。 国内では、社会的に保障されず、人種差別に悩む黒人アフリカ系アメリカ人)が公民権獲得する為の運動アフリカ系アメリカ人公民権運動)を行い急速に盛り上がっていた。特に、1963年南北戦争奴隷解放宣言から100周年であり、黒人デモ相次いで白人衝突し銃撃戦発展する地域もあったが、指導者存在であるキング牧師インド学んだ非暴力闘争主張し支持拡大した。この公民権運動加えフランス中心に拡大した大学生による大学自治運動学生運動)が飛び火し学生によるストライキデモによって、ほとんどの都市騒然とした態となった。ケネディ黒人への公民権付与大学自治拡大認め解決へ道筋をつけた。しかし、以前からアメリカ政府取り組んでいたベトナム戦争への介入政策転換しようと模索していたが暗殺された。インディアンたちは「レッド・パワー運動」として黒人団体連携し権利回復要求激化。「インディアン若者会議(NIYC)」や「アメリカインディアン運動AIM)」を結成、「アルカトラズ島占拠事件」や「ウーンデッド・ニー占拠抗議」など、数々抗議運動インディアンの存在全世界訴えたケネディの後を継いだリンドン・B・ジョンソン民主党)は、拡大しつつあった「貧困との戦い」と、公民権運動最終的な解決目指した「偉大な社会計画実行し一方でベトナムへ積極的な介入行いトンキン湾事件引き金としてベトナム戦争1965年-1975年)へ発展した北ベトナム地上軍進めることの出来ない米軍圧倒的な物量背景北爆枯葉剤散布行ったが、北から次々侵入する共産軍や、南ベトナム共産ゲリラ苦しめられ戦闘泥沼化した。死傷者続々増える中で、欧米日本では大学生中心に共産主義運動流行しており、これは公民権運動と結びついた反戦運動となった。これらの運動は「ベビーブーマー」が主体となっており、既存文化・社体制反感持ったヒッピーなどに代表される反社会的な若者文化によっていっそう盛り上がった。長引く戦争に対して国民の支持得られなくなったジョンソン1968年大統領選挙への立候補をしないと表明し大統領選出馬しようとしたロバート・ケネディジョンの弟)や、公民権運動立役者であるキング相次いで暗殺され社会混乱したアメリカ1960年代は、公民権法制定による法律上人種差別撤廃1965年社会保障法による医療保険制度普及ベトナム戦争への介入拡大による死傷者増大ベトナム戦争介入した軍事目的政治目的達成断念反戦運動拡大政治社会運動指導者暗殺アポロ計画による有人月面探査実現など、多く成果弊害混在し激動の時代だった。 ジョンソンの後を受けたリチャード・ニクソン共和党)は、泥沼化したベトナムからの撤退模索し始めたアメリカ軍ベトナムからの段階的な撤退をはじめ、ついに1973年3月5万8千人死者と2千人行方不明者もたらしたベトナム戦争からの完全撤退完了したニクソンその他にも、中華人民共和国承認外交関係開始ソ連との核軍縮条約の締結国連における生物兵器禁止条約絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約採択加盟ドルと金兌換停止為替変動相場制への移行環境保護庁設立自動車排気ガス規制など、外交と内政において多く政策転換取り組んだが、ウォーターゲート事件対す議会からの責任追及により辞職し大統領権威低下政治対す信用低下もたらした

※この「日本の降伏からベトナム戦争まで (1945年〜1975年)」の解説は、「アメリカ合衆国の歴史」の解説の一部です。
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