国民の支持
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 05:43 UTC 版)
「ミヘイル・サアカシュヴィリ」の記事における「国民の支持」の解説
南オセチア紛争以降、サアカシュヴィリは苦しい立場に置かれていると見られていた。2010年5月に行われた軍事パレードでは「帝国(ロシアを指す)は再び我々の独立を脅かしている。断固戦うのだ」と述べ、強気の姿勢を見せたが、市民たちの反応が概ね冷ややかであったことからも、サアカシュヴィリ政権が多くの民から支持されていないと思われていた。また、アメリカはオバマ政権の発足後米露関係を修復する動きに転じ、オバマがグルジアを軽視する姿勢を見せていることが、サアカシュヴィリの立場を更に苦しいものにしていると思われていた。ところが2010年5月30日の統一地方選挙では、サアカシュヴィリの与党「統一国民運動」が他を引き離して勝利した。盟友であったウクライナなどが親ロシア派に転換した中で、「反ロシア」を掲げて孤軍奮闘するサアカシュヴィリに対するグルジア国民の根強い支持が浮彫りとなった。 今後の政局運営について、サアカシュヴィリは現行の大統領制から議院内閣制への移行を提案し、2008年の議会選挙で統一国民運動が圧勝していることから2010年秋の憲法改正案の議会上程・成立を構想していた(現行憲法では大統領任期が1期5年で3選出馬が禁じられているため、2013年にサアカシュヴィリは大統領を退任しなければならない)。しかし一向に改善しない国内経済や、頓挫したままのNATO加盟交渉を始めとして親欧米外交の不調などから次第に支持率は下降していった。
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