馬肉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/13 09:57 UTC 版)
食のタブー・批判
フランスのソリュートレ遺跡の10万頭のウマ狩りなどに見られるように、先史時代においてはウマは食用動物として狩猟の対象となっていた。しかし、ウマの家畜化とともに、その関係に変化が見られるようになった。紀元前4000年頃から、呪術や原始宗教がウマに象徴的意味を与えるようになった。精神分析学者は、その意味や概念が我々に人肉食とウマを食べることに共通した心理現象を無意識に与えているのだ、としている[25]。
ウマは歴史的に農耕や馬車の牽引、乗用に使用されており、家畜であると共に狩猟や戦場における足ともなって来た。これらから、肉食に供することに嫌悪感や抵抗感を持つ人もいる。アメリカ、イギリスで、馬肉食をタブー視する傾向が強い[26]。
日本
日本の乗馬及び競馬に携わる人の中には食材としての馬肉を忌避する者が多い。しかし、競馬雑誌の競走馬の異動欄には、現役を引退する馬の異動先が記されている。地方競馬への移籍や種牡馬・繁殖入りの他に乗馬になる馬がいる。それが全て乗馬になるわけではない。それ以外にも「用途変更」という名称で姿を消す馬が相当数おり、その「用途」の中には食用もあるといわれている。実際に、廃止された上山競馬場や中津競馬場に在籍していた競走馬の末路は食肉処分だった。また、北海道で行われているばんえい競馬では、競走に出るための能力試験(または能力検定ともいう。入厩馬に課せられる模擬競走、地方競馬のみの制度)を突破できなかったり、あるいは満足な競走成績が残せなかったりした競走馬が食肉向けに転用されており、公式サイトでも包み隠すことなくそのことが解説されている。通常、平地競馬の能力試験は、一定の制限時間をクリアすれば良いため、力一杯走る必要がなく、「馬なり」で能試を走らせることもあるが、ばんえいの場合は能試の結果がいわば「生死を分ける」ため、実戦さながらに行われる。
アイルランド
馬肉食はタブーとなっている。2013年に大手スーパーマーケットのテスコが扱っていたビーフハンバーガーから馬肉が検出され、問題となった(馬肉混入問題)[27]。
アメリカ
第二次世界大戦中に、牛肉価格の高騰のためニュージャージー州で食用馬肉の販売を一時的に合法化したが、戦後禁止された。またハーバード大学のFaculty Clubでは、1983年まで100年以上、メニューに馬肉があった。しかし、「馬は開拓時代からの数少ない文化」とする動物保護団体等の活動が盛んで、2006年9月7日、下院は、食用を目的とした馬の屠畜を禁止する法案を可決した。さらに2007年1月、テキサス州では屠畜生産停止の裁判所仮命令が発令され実質的生産停止された。背景には、アメリカ人自身が馬肉を食さず、産業への影響が少ないといった国内事情がある。
米国の馬の食肉処理工場はテキサス州に2カ所、イリノイ州に1カ所あり、フランスとベルギーの会社が所有している。アメリカ合衆国農務省によると、1989年には342,977頭、2003年には49,325頭の馬が米国内で屠殺されている。また、全米馬臨床獣医師協会(American Association of Equine Practitioners:AAEP)は「現在(2004年)、毎年、約5万頭の馬が米国の屠場で殺され、3万頭が殺処分のためカナダに輸送され、更に、無数の馬はメキシコへ送られ闇に葬られている」と主張していた[28]。動物愛護協会によれば、全米で毎年、約9万頭分=18,000トン=6,100万ドルの馬肉が生産されている。アメリカ馬肉の主要輸入国は、フランス、ベルギー、日本などである。
2013年3月19日、アメリカ合衆国農務省は「馬の解体処理場の操業を承認するうえで必要な作業はほぼ済んでいる」と表明。ニューメキシコ州の食肉会社は食肉工場の開業に向け準備を整えた。馬肉食がタブーとされる米国で馬肉生産を再開させる同社に動物愛護団体などから猛烈な反発を呼んだ[29]。
漫画『ゴルゴ13』第59巻「マシン・カウボーイ」は、馬肉食を否定するアメリカ国民の考え方を題材としている。
イギリス
1930年代以降、戦時中の食糧難の時期を除き馬肉食はタブーとなっている。フランス料理店用と、一部のサラミソーセージの原料用に、フランスから輸入されているのみである。2013年1月、アイルランドの食品基準監督当局により、イギリスとアイルランドの大手スーパーマーケットで販売されている牛肉に、最大で100%の馬肉が使用されている事例が発覚した。この食品偽装の事件は、イギリスでは一大スキャンダルとなり、その騒ぎはヨーロッパ全体に広がっている[30]。
イスラエル
ユダヤ教では食物規定により非反芻動物を食せないため、正統派ユダヤ教徒は馬肉を食べない。ただしイスラエルでは憲法の政教分離規定により、政府が宗教上の理由で食品の製造流通を禁止することはできない。
ウルグアイ
ウルグアイの国民は牛肉を好み馬肉を忌避しているが、ベルギー、ロシア、フランス、日本などに輸出している[11]。
オーストラリア
イギリスの文化圏であるオーストラリアでは、イギリス同様に馬肉食はタブーとなっている。2019年には、引退した競走馬を解体する食肉加工場の存在が報道され問題となった。食肉加工場で処理された馬肉は、日本やロシアなど海外に輸出されていたとみられている[31]。
中国
中国では馬肉食を特に指弾する勢力はなく、加工食品の原料にも使われている。広西チワン族自治区桂林市、貴州省恵水県など一部の地方やカザフ族、キルギス族などの民族を除いて、伝統的に馬肉をそのままの食材として食べる例は多くない。
この理由として、明の李時珍がまとめた『本草綱目』は、馬肉は「辛、苦、冷、有毒」[22]としているのに対し、豚、羊、牛、ロバ、ラクダなどはいずれも「無毒」としているように、歴史的に馬肉を食べることによる健康への害を多く経験し、それが言い伝えられていたことが考えられる。『本草綱目』は『日華諸家本草』を引用して、清水に晒して完全に血抜きをして、煮て食べないと消化され難く、毒が出ずに疔腫(ちょうしゅ。皮膚や皮下組織の化膿、毛嚢炎)になるとしている。また、馬の鞍の下の黒ずんだ肉や、人の手に拠らずに死んだ馬の肉、肝臓、血を食べると死ぬと注意している。犬肉、豚肉、ショウガ、「蒼耳」(オナモミ属のシベリアオナモミ)とは食べ合わせが悪いとされる。李時珍は、中毒した場合にはアロエの根の搾り汁、アンズのさねである杏仁を摂ると解毒できるとしている。
- ^ Basic Report: 17170, Game meat, horse, raw Agricultural Research Service , United States Department of Agriculture , National Nutrient Database for Standard Reference , Release 26
- ^ Basic Report: 17171, Game meat, horse, cooked, roasted Agricultural Research Service , United States Department of Agriculture , National Nutrient Database for Standard Reference , Release 26
- ^ a b 小泉武夫【食あれば楽あり】馬刺しの至福 桜握りに涎ピュルピュル『日本経済新聞』夕刊2022年5月23日(同日閲覧)
- ^ 肉類
- ^ 馬肉
- ^ 日本馬肉協会 2013, p. 49.
- ^ (食安監発0823第1号) (PDF)
- ^ 「馬肉を介したザルコシスティス・フェアリーによる食中毒Q&A」農林水産省(2015年11月17日閲覧)
- ^ 日本馬肉協会 2013, pp. 54, 58–63.
- ^ 「馬肉輸入価格5年で4割高 カナダの生産者、牛肥育にシフト 国内需要は旺盛」『日本経済新聞』朝刊2018年10月5日(マーケット商品面)2018年10月6日閲覧
- ^ a b c “「気高い動物」を食用処理 ウルグアイで馬救出の取り組み”. www.afpbb.com. 2023年1月25日閲覧。
- ^ 片桐学「信州の食文化」『信州短期大学紀要』(Bulletin of Shinshu Junior College)20, pp.83-88, 2008年
- ^ “「馬肉の消費が伸びている 値上げでも連日満席 熊本」”. 2014年8月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年3月9日閲覧。
- ^ 「長野県馬肉流行」『新聞集成明治編年史』6巻(林泉社、1936-1940年)
- ^ “馬肉関係”. 2014年4月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年3月9日閲覧。
- ^ 8月29日は「馬肉を愛する日」日本初、馬肉の記念日を制定 若丸『農業協同組合新聞』2021年5月20日(2021年6月20日閲覧)
- ^ a b c d H28馬関係資料 農林水産省
- ^ 農用馬の活用による地域振興[リンク切れ]
- ^ FAOSTAT、国際連合食糧農業機関、2008年
- ^ a b 王利、钱泽涛「马肉的生产加工现状及其发展趋势」『肉类研究』2008年9期、pp.66-68、中国肉类食品综合研究中心。
- ^ 渡邉良浩『春秋戦国』洋泉社 2018年 pp.55 - 56.
- ^ a b 李時珍『本草綱目』「獸之一」、明 [1][出典無効]
- ^ 玉村豊男『食卓は学校である』(集英社新書 2010年)p.202f
- ^ Angus MacKinnon (2013年2月17日). “フランスの馬肉業界、偽装牛肉問題に負けず食の伝統守る”. AFPBB News 2013年2月17日閲覧。
- ^ トゥーサン=サマ 1998, pp. 93–94.
- ^ “馬肉偽装問題、食文化を考える契機に”. ナショナルジオグラフィック. (2013年1月13日) 2016年6月16日閲覧。
- ^ “「ビーフバーガー」に馬肉混在、競馬サークルにも波紋”. NET KEIBA.com (NET KEIBA.com). (2013年1月15日) 2013年2月10日閲覧。
- ^ “米国の馬屠殺防止法案を取巻く情勢(アメリカ)”. (財)競馬国際交流協会. 2004年8月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年3月9日閲覧。
- ^ Alan Bjerga; Amanda J.Crawford (2013年4月6日). “米、馬肉生産再開に賛否両論”. サンケイビズ (ブルームバーグ). オリジナルの2013年4月19日時点におけるアーカイブ。 2013年4月7日閲覧。
- ^ CASSELL BRYAN-LOW; RUTH BENDER (2013年2月12日). “欧州で馬肉混入スキャンダル 食品のラベル表示に不信高まる”. ウォール・ストリート・ジャーナル 2013年2月12日閲覧。(詳しくは馬肉混入問題を参照)
- ^ “豪競走馬、年数千頭が虐待され食肉処理か 日本にも輸出 潜入調査報道”. AFP (2019年10月18日). 2019年10月18日閲覧。
- ^ 『巨人軍5000勝の記憶』p.18
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