藤田嗣治 乳白色の肌の秘密

藤田嗣治

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/05 08:23 UTC 版)

乳白色の肌の秘密

1948年5月12日 自宅にて 撮影:土門拳

藤田は絵の特徴であった『乳白色の肌』の秘密については一切語らなかった。近年、絵画が修復された際にその実態が明らかにされた。藤田は、硫酸バリウムを下地に用い、その上に炭酸カルシウム鉛白を1:3の割合で混ぜた絵具を塗っていた[23]。炭酸カルシウムはと混ざるとほんのわずかに黄色を帯びる。さらに絵画の下地表層からはタルクが検出されており、その正体は和光堂シッカロールだったことが2011年に発表された[24]

タルクの働きによって半光沢の滑らかなマティエールが得られ、面相筆で輪郭線を描く際に墨の定着や運筆のし易さが向上し、での箔置きも可能になる。この事実は、藤田が唯一製作時の撮影を許した土門拳による1942年の写真から判明した。以上の2つが藤田の絵の秘密であったと考えられている。ただし、藤田が画面表面にタルクを用いているのは、弟子の岡鹿之助が以前から報告している[25][26]

反面、藤田の技法は脆弱で経年劣化しやすい。水に反応し、絵肌は割れやすく、広い範囲に及ぶ網目状の亀裂の発生が度々観察される[27]。また、多くの藤田作品には地塗り表面に特徴的な気泡の穴が多数散見され(贋作にはこの気泡は無いという)、これは油絵の具に混ぜた炭酸カルシウムと油が反応して発生したガスの穴だと考えられる[28]

作品

藤田の作品は、日本国内では東京ブリヂストン美術館東京国立近代美術館国立西洋美術館箱根ポーラ美術館秋田市平野政吉美術館軽井沢軽井沢安東美術館安東泰志設立、2022年秋に開館)で見ることができる。安東美術館は、藤田の作品のみを収蔵・常設展示する日本初の美術館である。

下記・関連図書の「世界のフジタに世界一巨大な絵…」の絵とは、平野政吉美術館所蔵の壁画『秋田の行事』(高さ3.65m・幅20.5m)である。現在は秋田県立美術館に展示されており、藤田が設計に携わった平野政吉美術館での展示から、秋田県立美術館での展示になったことへの批判も存在する。

晩年に手がけた最後の大作は、没する直前に描きあげたランスの教会における装飾画である。

藤田は挿画本作家としても独自の地位を得ている。ピエール・ロティラビンドラナート・タゴールギヨーム・アポリネールポール・クローデルピエール・ルイスジャン・ジロドゥ、キク・ヤマタ、ジャン・コクトー等、大作家の著作に木版や銅版の版画を寄せ、出版社も多数にのぼる。挿画本は、絵と文に共通するテーマを設定し、それぞれの立場から表現する事を目指す共作であり競作で、挿画は単なる挿絵ではない。藤田は装画本のこうした特性をよく理解し、文を理解しつつもこれに負けない独自の表現を追求している。中でも、パリのフォーブール・サン=トノレ通りの歴史風俗を描いたド・ヴィルフォスの『魅せられた河』(1951年)は石版による傑作である。

多くのエッセイを書き残し、没後に出版されている。藤田の芸術に対する考え方、人生に対する取り組み方が興味深い。死の直前までノートに書かれたモノローグの一つに「みちづれもなき一人旅 わが思いをのこる妻に残して。1966年9月28日」がある。

藤田は当時の男性としては珍しく、裁縫や木工など身の回りの様々な物を手作りしていた。藤田本人は「デパートなどで売っているのは全て商品に過ぎないという主張で、芸術家は宜しく芸術品を身に纏うべし」と言い[29]、自身をアーティストではなくアルチザンであると語っていた。製作した物は自分が着用する服や帽子、自分の絵に使う額縁、象嵌細工を施した机や小箱など多岐にわたる。象嵌細工の机は目黒区美術館が所蔵[30]する物の他に同一デザインのものが5点ほど存在する[31]

主な作品

タイトル 制作年 技法・素材 サイズ(cm) 所蔵先 備考
にわとりとタマゴ 1901年頃 油彩・キャンバス 22x16 軽井沢安東美術館
婦人像 1909年 油彩・キャンバス 60.3x45.7 東京芸術大学 面貌から像主は最初の妻とみか。
父の像 1909年 油彩・キャンバス 59.0x44.0 東京芸術大学
自画像 1910年 油彩・キャンバス 60.6x45.5 東京芸術大学
朝鮮風景 1913年 油彩・キャンバス 78.1x114.7 下関市立美術館
スーチンのアトリエ 1913年 油彩・キャンバス 41.0x33.0 ランス美術館
キュビズム風静物 1914年 キャンバス・油彩 54.2x81.4 ポーラ美術館
巴里城門 1914年 キャンバス・油彩 33.7x41.7 ポーラ美術館
トランプ占いの女 1914年 水彩・紙 30.5x22.5 徳島県立近代美術館 キュビズム
収穫 1917年 油彩・キャンバス 92.0x73.2 個人[32]
断崖の若いカップル 1917年 油彩・キャンバス 73x92.4 ベルナール・ビュフェ美術館
雪のパリの街並み 1917年 油彩・キャンバス 45.5x38.0 ベルナール・ビュフェ美術館
ル・アーヴルの港 1917年 油彩・キャンバス 45.8x60.9 横須賀美術館
パリ風景 1918年1月 油彩・キャンバス 84.0x103.5 東京国立近代美術館
モンルージュ、パリ 1918年 油彩・キャンバス 41.0x33.5 静岡県立美術館
巴里風景 1918年 油彩・キャンバス 46.0x55.2 ブリヂストン美術館
風景 1918年 油彩・キャンバス 46.2x38.0 名古屋市美術館
聖誕 於巴里 1918年 油彩・キャンバス 114.0x146.0 松岡美術館(東京都港区)
二人の子供と鳥籠 1918年 油彩・キャンバス 81.0x65.0 松岡美術館
ドランプル街の中庭、雪の印象 1918年 油彩・キャンバス 27.6x35.4 個人(日本)[33]
花を持つ少女 1918年 油彩・キャンバス 65.4x54.0 栃木県立美術館
二人の女 1918年 油彩・キャンバス 92.2x73.3 北海道立近代美術館
聖母子 1918年頃 油彩・金箔、キャンバス 58.0x48.0 ヴァチカン美術館
自画像 1921年 油彩・キャンバス 100.0x80.5 ベルギー王立近代美術館 同年のサロン・ドートンヌ出品作3点のうちの1点
私の部屋、目覚まし時計のある静物 1921年 油彩・キャンバス 130x97 フランス国立近代美術館ポンピドゥー・センター内) 同年のサロン・ドートンヌ出品作3点のうちの1点
横たわる裸婦と猫 1921年 油彩・キャンバス 72x115 プティ・パレ美術館(パリ) 同年のサロン・ドートンヌ出品作3点のうちの1点の可能性がある。
私の部屋、アコーディオンのある静物 1922年 油彩・キャンバス 130x97 フランス国立近代美術館(ナンシー美術館寄託 同年のサロン・ドートンヌ出品作3点のうちの1点。他は《裸婦》《学校》という題名は判明しているものの、作品は特定されていない。
寝室の裸婦キキ 1922年 油彩・キャンバス 130x195 パリ市立近代美術館 その大きさから、同年のサロン・ドートンヌ出品作3点のうちの《裸婦》の可能性がある。
ジュイ布のある裸婦 1922年 油彩・キャンバス パリ市立近代美術館
横たわる裸婦 1922年 油彩・キャンバス 72.5x115 ニーム美術館
エミリー・クレイン・シャドボーンの肖像 1922年 テンペラ、銀箔・キャンバス 89.5x146.1 シカゴ美術館
バラ 1922年 油彩・キャンバス 81.0x65.0 ユニマットグループ[34] アンリ・ベルンスタン旧蔵
アントワープ港からの眺め 1923年 油彩・キャンバス 170.0x224.0 島根県立石見美術館
長い髪のユキ 1923年 油彩・キャンバス 100.0x65.0 ユニマットグループ[34]
裸婦 1923年 油彩・キャンバス 144x87.5 フォール美術館フランス語版
裸婦 1923年 油彩・キャンバス 54.5x100 公益財団法人 ひろしま美術館
五人の裸婦 1923年 油彩・キャンバス 169x200 東京国立近代美術館 同年秋のサロン・ドートンヌ出品
座る女性と猫 1923年 油彩・キャンバス 114.0x77.0 鹿児島市立美術館
タピスリーと裸婦 1923年 油彩・キャンバス 130.0x96.0 京都国立近代美術館
室内、妻と私 1923年 油彩・キャンバス 145.8x114.0 笠間日動美術館 ソシエテ・ナショナルのサロン出品作
人形を抱く少女 1923年 油彩・キャンバス 73.4x54.3 群馬県立近代美術館
ヴァイオリンをもつ子ども 1923年 油彩・キャンバス 116x73 熊本県立美術館
友情 1924年 油彩・キャンバス 146.0x89 フランス国立近代美術館リブルヌ美術館寄託) 同年のサロン・ドートンヌ出品作2点のうちの1点。
ユキ(雪の女王) 1924年 油彩・キャンバス プティ・パレ美術館 同年のサロン・ドートンヌ出品作2点のうちの1点。
横たわる裸婦(ユキ) 1924年 油彩・キャンバス 54x73 ユニマットグループ[34]
エレーヌ・フランクの肖像 1924年3月 油彩・キャンバス 142.0x115.0 イセ文化基金
動物群 1924年 油彩・キャンバス 97x145.5 目黒区美術館
10人の子どもたち 1924年 油彩・キャンバス 114.0x144.3 目黒区美術館
貝殻のある静物 1924年 油彩・キャンバス 73.0x61.0 高知県立美術館
ギターを持つ少年と少女 1924年 油彩・キャンバス 72.8x60.0 樋田コレクション[35]
砂の上で 1925年 油彩・キャンバス 70.3x160.8 姫路市立美術館
座る裸婦 1925年 油彩・キャンバス 73x60 アンドレ・マルロー美術館
舞踏会の前 1925年 油彩・キャンバス 168.5x199.5 大原美術館
横たわる裸婦(夢) 1925年 油彩・キャンバス 142x123 国立国際美術館
横たわる貴婦人 1925年 油彩・キャンバス 65.2x80.5 宮城県美術館寄託
夢から醒めて 1925年 油彩・キャンバス 142.0x123.0 テレビ朝日
1925年 油彩・キャンバス 142.3x123.4 岐阜県美術館
青衣の女 1925年 油彩・キャンバス 55.0x38.0 愛知県美術館
二人の女 1926年 油彩・キャンバス 92x73 プティ・パレ美術館
2人の裸婦 1926年 油彩・キャンバス 50x73 ユニマットグループ[34]
横たわる裸婦 1926年 油彩・キャンバス 53.0x63.8 神奈川県立近代美術館(北河原コレクション)[36][37]
横綱栃木山の肖像 1926年 水彩、木炭・絹 115.2x89.5 グルノーブル美術館 同年のサロン・ドートンヌ出品作
アトリエの自画像 1926年 油彩・キャンバス 81.0x61.0 リヨン美術館
インク壺の静物 1926年 油彩・キャンバス 22x26.9 ブリヂストン美術館
アンナ・ド・ノアイユの肖像 1926年頃 油彩・キャンバス 167.1x108.4 DIC川村記念美術館
シュジー・ソリドールの肖像 1927年 油彩、金箔・キャンバス 97x63 カーニュ=シュル=メール・シャトー美術館
裸婦 1927年 油彩・キャンバス 63.5x98.5 ベルギー王立美術館 薩摩治郎八が、外交官安達峰一郎の仲介を経て王立美術館に寄贈
横たわる裸婦 1927年 油彩・キャンバス 81.0x100.0 茨城県近代美術館
猫のいる自画像 1927年頃 油彩・キャンバス 54.3x45.5 三重県立美術館
受胎告知・三王礼拝・十字架降下 1927年 油彩、金箔・キャンバス 前2者が150.0x100.0
後者が150.0x150.0
公益財団法人 ひろしま美術館 三連祭壇画を意識して制作されたと推測される。
ライオンのいる構図 1928年 油彩・キャンバス 300x300 エソンヌ県議会
犬のいる構図 1928年 油彩・キャンバス 300x300 エソンヌ県議会
争闘1 1928年 油彩・キャンバス 300x300 エソンヌ県議会
争闘2 1928年 油彩・キャンバス 300x300 エソンヌ県議会
裸婦 1928年 油彩・キャンバス 73.0x101.0 個人(名古屋市美術館寄託)[38]
座る女 1929年 油彩、金箔・キャンバス 110.0x125.0 国立西洋美術館
自画像 1929年 油彩、鉛筆、金箔・キャンバス 81.4x65.5 名古屋市美術館
自画像 1929年 油彩・キャンバス 61.0x50.2 東京国立近代美術館 同年10月の第10回帝展出品
欧人日本へ渡来の図 1929年 油彩、金箔・板パネル張り 300x600 パリ日本館
馬の図 1929年 油彩、金箔・板パネル張り 235x462 パリ日本館
二人の友達 1929年 油彩・キャンバス 81x54 DIC川村記念美術館
二人の裸婦 1929年 油彩・キャンバス 178.0x94.2 富山県美術館[39][40]
二人裸婦 1930年 油彩・キャンバス 143.0x125.0 神奈川県立近代美術館[41]
三人の女 1930年 油彩・キャンバス 142.5x124.6 エソンヌ県議会
死に対する生命の勝利 1930年 油彩・キャンバス 161.0x183.5 パーフェクト リバティー教団
調教師とライオン 1930年 油彩・キャンバス 147x91 プティ・パレ美術館
横たわる裸婦と猫 1931年 油彩・キャンバス 73.2x116.2 埼玉県立近代美術館
横たわる裸婦と猫 1931年 油彩・キャンバス 73.2x116.2 埼玉県立近代美術館
仰臥裸婦 1931年 油彩・キャンバス 96.9x162.2 福岡市美術館
横たわる裸婦 1931年 油彩・キャンバス 64.7.x80.5 長島美術館[42]
横たわる裸婦 1932年 油彩・キャンバス 71.5x91 個人[43]
横たわる裸婦(マドレーヌ) 1932年 油彩・絹 69x99 ユニマットグループ[34]
横たわる裸婦と猫 1932年 油彩・キャンバス 65.0x100.0 ブリヂストン美術館
カーニバルの後 1932年 油彩・キャンバス 98.5x79.0 公益財団法人 平野政吉美術財団
室内の女二人 1932年 油彩・キャンバス 95.0x77.0 公益財団法人 平野政吉美術財団
婦人像(リオ) 1932年 油彩・キャンバス 81.2x65.0 広島県立美術館
家族の肖像 1932年 鉛筆、パステル・紙 86.5x67.2 名古屋市美術館
ラマと四人の人物 1933年 水彩・紙 155x95 三重県立美術館 翌年の二科展出品
大地 1934年 油彩・キャンバス 244.6x968.0 公益財団法人 ウッドワン美術館 元は銀座聖書館ビル内ブラジルコーヒー陳列所を飾った幅15メートルを超える壁画。6年後に依頼主だったブラジルのアッスムソン邸に移設され、この時3割ほど切り取られた[44]
メキシコに於けるマドレーヌ 1934年 油彩・キャンバス 91.0x72.5 京都国立近代美術館
力士と病児 1934年 油彩・キャンバス 116.8x91.0 大日本印刷株式会社
空の上の空中戦 1934年 油彩・キャンバス 100x81 法人[45]
北平の力士 1935年 油彩・キャンバス 180.9x225.4 公益財団法人 平野政吉美術財団 第22回二科展出品
五人女 1935年 油彩・キャンバス 192.5x128.5 公益財団法人 平野政吉美術財団 第22回二科展出品
Y夫人の肖像 1935年 油彩・キャンバス 92x117.5 個人 第22回二科展出品
葡萄畑の女性、母と娘、ポプラ並木の女性と楽士、犬を抱く女性と楽士、貴婦人と召使い。女性と天使 1935年 油彩・キャンバス 131.0x188.0(各) 赤坂迎賓館 元は銀座コロンバン洋菓子店2階サロン天井画。迎賓館開館時に6点全て同館に寄贈された。作風は18世紀ロココ様式を代表する画家・アントワーヌ・ヴァトーに倣っている。
ノルマンディーの春 1936年 油彩・キャンバス 221.5x291.8 関西日仏学館玄関ホール
野あそび 1936年 油彩・キャンバス 160x350 志摩観光ホテル 京都の丸物百貨店喫茶店装飾画として制作。都ホテル東京を経て、2002年、現在の場所に移った[46]
自画像 1936年 油彩・キャンバス 127.7x191.9 公益財団法人 平野政吉美術財団
秋田の行事 1937年 油彩・キャンバス 365.0x2050.0 公益財団法人 平野政吉美術財団
一九〇〇年 1937年 油彩・キャンバス 144x110.5 公益財団法人 平野政吉美術財団
那覇の客人 1938年 油彩・キャンバス 114.5x89.5 公益財団法人 平野政吉美術財団 第25回二科展出品
1938年 油彩・キャンバス 100.0x80.5 沖縄県
ディナー・パーティー 1939年 油彩・キャンバス 88.5x129.6 公益財団法人 ウッドワン美術館[44]
青いドレスの女 1939年 油彩・キャンバス 57.6x71.2 島根県立石見美術館
サーカスの人気者 1939年 油彩・キャンバス 100.0x80.6 島根県立美術館
猫のいる風景 1939-40年 油彩・キャンバス 80.6x99.9 ブリヂストン美術館
ドルドーニュの家 1940年 油彩・キャンバス 45.5x53.3 ブリヂストン美術館
カルポーの公園 1940年 油彩・キャンバス 31.8x40.9 ブリヂストン美術館
猫(闘争) 1940年 油彩・キャンバス 78.7x98.5 東京国立近代美術館 第27回二科展出品
人魚 1940年 油彩・キャンバス 63.5x99.5 個人(香港)[47]
哈爾哈河畔之戦闘 1941年 油彩・キャンバス 140.0x448.0 東京国立近代美術館保管(アメリカ合衆国無期限貸与) 翌年7月の第2回聖戦美術展出品
アッツ島玉砕 1943年 油彩・キャンバス 193.5x259.5 東京国立近代美術館保管(アメリカ合衆国無期限貸与) 同年9月の決戦美術展出品
仏印風景 1943年 油彩・キャンバス 60.5x72.8 島根県立美術館[48]
渡洋爆撃(空中戦) 不詳 油彩・板 23.0x32.5 福富太郎コレクション 描かれている爆撃機九九式双発軽爆撃機
仏印メコンの広野 1944年 油彩・キャンバス 53.2x73.0 日本赤十字社 徳川圀順が日本赤十字社社長在任中に社長室を飾った作品。退任後そのまま赤十字社に寄贈[49]
サイパン島同胞臣節を全うす 1945年 油彩・キャンバス 181.0x362.0 東京国立近代美術館保管(アメリカ合衆国無期限貸与) 同年4月の「戦争美術展 昭和19年度陸軍作戦記録画」出品。バンザイクリフの凄惨な情景を描いた作品で、その残酷さから児童生徒には公開されなかったという。
無題 1946年 油彩・キャンバス 70.0x88.5 熱田神宮 風景画[50]
優美神 1946-48年 油彩・キャンバス 127.3x191.0 聖徳大学川並記念図書館
私の夢 1947年 油彩・キャンバス 64.3x99.0 新潟県立万代島美術館 同年5月の東京都美術館開館20周年記念現代美術展覧会出品
カフェ 1949年 油彩・キャンバス 76x64 フランス国立近代美術館
美しいスペイン女 1949年 油彩・キャンバス 76.0x63.5 豊田市美術館
占いの老女 1949年 油彩・キャンバス 101.6x76.0 公益財団法人 ウッドワン美術館
姉妹 1950年 油彩・キャンバス 60.8x45.3 ポーラ美術館
夢見る女 1951年 油彩・キャンバス ベルナール・ビュフェ美術館
ジャン・ロスタンの肖像 1955年 油彩・キャンバス 100x81 カルナヴァレ博物館
校庭 1956年 油彩・キャンバス 65.3x54.1 ポーラ美術館
家馬車の前のジプシー娘 1956年 油彩・キャンバス 山王美術館
河原にて 1956年 油彩・キャンバス 54.0.x65.1 長島美術館[42]
誰と戦いますか? 1957年 油彩・キャンバス 130x195 エソンヌ県議会 同年の「時代の証人たち」展出品
カルチェ・ラタンのビストロ 1958年 油彩・キャンバス 97.5x156 カルナヴァレ博物館
庭園の子供達 1958年 油彩・キャンバス 94.2x94.8 聖徳大学
アージュ・メカニック(機械の時代) 1958-59年 油彩・キャンバス 114.0x146.0 パリ市立近代美術館
花の洗礼 1959年 油彩・キャンバス 130.5x97.5 パリ市立近代美術館
聖母子 1959年10月14日 油彩・キャンバス 81.7x54.2 ランス大聖堂(ランス美術館寄託)
EVE 1959年 油彩・キャンバス 61.0x38.0 公益財団法人 ウッドワン美術館[44]
キリスト降架 1959年クリスマス 油彩・キャンバス 112.0x144.0 パリ市立近代美術館(ランス美術館寄託) 翌年の第1回「国際宗教美術展」(イタリアトリエステ)金賞
磔刑 1960年 油彩・キャンバス 145.0x88.0 パリ市立近代美術館(ランス美術館寄託)
アッシジ 1961年 油彩・キャンバス 38x61.2 ひろしま美術館
聖母子 1962年 油彩・キャンバス 55.0x38.2 吉野石膏[51]
礼拝 1963年 油彩・キャンバス 114.8x147 パリ市立近代美術館
マドンナ 1964年 油彩・キャンバス 60.9x38.2 ランス市立美術館

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  30. ^ 林洋子『藤田嗣治 手しごとの家』集英社新書、2010年3月、69-70頁。ISBN 978-4-08-720519-0 
  31. ^ 『開運!なんでも鑑定団』2016年8月16日放送 レオナール・フジタの円形机”. テレビ東京 (2016年8月16日). 2016年9月23日閲覧。
  32. ^ 『藤田嗣治展 東と西を結ぶ絵画』第7図。
  33. ^ 『没後50年 藤田嗣治展』第10図。
  34. ^ a b c d e 神戸市立小磯記念美術館編集 『ユニマットコレクション フランス近代絵画と珠玉のラリック展 ―やすらぎの美を求めて―』 神戸新聞社、2017年9月16日、第66-71図。
  35. ^ 『藤田嗣治展 東と西を結ぶ絵画』第26図。
  36. ^ 神奈川県立近代美術館ほか編集『「松本竣介 創造の原点」展』 神奈川県立近代美術館、2016年、p.48。
  37. ^ 横たわる裸婦 _ 神奈川県立近代美術館
  38. ^ 『藤田嗣治展 東と西を結ぶ絵画』第40図。
  39. ^ 『藤田嗣治展 東と西を結ぶ絵画』第44図。
  40. ^ 富山県美術館編集・発行『TAD 富山県美術館』(2017年)、第12図。
  41. ^ 二人裸婦 _ 神奈川県立近代美術館
  42. ^ a b 財団法人 長島美術館編集・発行 『長島美術館図録』 1989年10月5日、p.143。
  43. ^ 『藤田嗣治展 東と西を結ぶ絵画』第59図。
  44. ^ a b c ウッドワン美術館編集 『ウッドワン美術館所蔵 近代日本絵画の巨匠立たち』 青幻舎、2011年2月、pp.105-111,187-188、ISBN 978-4-86152-295-6
  45. ^ 芸術新潮』2018年8月号、p.97。
  46. ^ 芸術新潮』2018年8月号、pp.92-93。
  47. ^ 『没後50年 藤田嗣治展』第76図。
  48. ^ 島根県立美術館 収蔵品データベース
  49. ^ 徳島県立近代美術館企画・構成 今に生きる「人道博愛の心」展実行委員会 徳島県立近代美術館 日本赤十字社徳島県支部編集 『日本赤十字社徳島県支部創立130周年記念展 今に生きる「人道博愛の心」ー美術に見る日本赤十字社の歩みー図録』 今に生きる「人道博愛の心」展実行委員会、2017年4月22日、p.11。
  50. ^ 熱田神宮文化課 大原和生編集 『熱田神宮名宝図録』 1992年4月1日、第84図(白黒)。
  51. ^ 吉野石膏株式会社編集・発行 印象社制作 『吉野石膏コレクション 西洋編』 2018年8月31日、p.85。
  52. ^ 偽版画流通、丸善が公表せず 大阪の画商、17年前販売か―藤田嗣治”. 時事通信 (2021年3月31日). 2021年6月28日閲覧。
  53. ^ 関連図書に、渡部琴子『平野政吉 世界のフジタに世界一巨大な絵を描かせた男』(新潮社、2002年)






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