田中義一 親族

田中義一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/24 21:21 UTC 版)

親族

栄典

位階
勲章など
外国勲章佩用允許

著作


注釈

  1. ^ 『田中義一伝記』などはこれを否定するが、古島一雄の回想録によれば、軍人出身の田中がどこから票を集めるのかと問い質したところ、「俺は在郷軍人300万を持っている」と応えたと記していること、また政友会総裁就任に伴う和歌山県での在郷軍人会副会長退任演説で政友会が主張していた両税委譲の必要性を説くなど、遠回しに政友会へ支援を求める発言も行っている。
  2. ^ 当初は前内閣が任じた出淵勝次次官が留任していた。
  3. ^ 田中が死亡したのが別宅であったことから、妾宅で腹上死したのではないかという憶測がある。『田中義一伝記』によるとこの女性は、入籍はしていないが田中を長年支えてきた女性であるという。これとは別に、自殺説がある。松本清張は『昭和史発掘』において、中島亀次郎「田中義一大将の切腹」(『文藝春秋臨時増刊 昭和の三十五大事件』1955年、所収)を引用し、田中の死について、一部で腹上死説、さらには自殺説が流布していることを紹介し、「田中の死が発表どおり狭心症の発作であったか、または自殺だったかは判断のしようがない」としている[15]
  4. ^ 「この事件あつて以来、私は内閣の上奏する所のものは仮令自分が反対の意見を持つてゐても裁可を与へることに決心した」『昭和天皇独白録』(文藝春秋、1995年(平成7年))

出典

  1. ^ 岩波新書編集部編『日本の近現代史をどう見るか』2010年2月 67頁 (第3章「日清・日露戦争は日本の何を変えたのか」原田敬一) 岩波新書
  2. ^ 「政友会後任総裁問題で退役を願い出る」『中外商業新報』1925年4月8日(大正ニュース事典編纂委員会 『大正ニュース事典第7巻 大正14年-大正15年』本編pp.386-387 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
  3. ^ 「いよいよ予備役編入」『大阪毎日新聞』1925年4月10日(大正ニュース事典編纂委員会 『大正ニュース事典第7巻 大正14年-大正15年』本編p.387 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
  4. ^ 機密費事件は証拠不十分で不起訴に決定『東京朝日新聞』昭和元年12月28日(『昭和ニュース事典第1巻 昭和元年-昭和3年』本編p380-381 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
  5. ^ 望月和彦「大正デモクラシー期における政界再編」2010年3月(『桃山法学 15』)
  6. ^ 総選挙抱負をレコードに吹き込む『大阪毎日新聞』昭和3年2月1日(『昭和ニュース事典第1巻 昭和元年-昭和3年』本編p381 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
  7. ^ 上野駅で暴漢に襲われる『東京朝日新聞』昭和3年6月9日夕刊(『昭和ニュース事典第1巻 昭和元年-昭和3年』本編p381 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
  8. ^ 襲撃犯人は変質者『東京日日新聞』昭和3年6月12日(『昭和ニュース事典第1巻 昭和元年-昭和3年』本編p381 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
  9. ^ a b c 中野正剛『國民に訴ふ 中野正剛大演説集』平凡社、1929年4月5日、201頁。 
  10. ^ a b c d e 秦郁彦『昭和史の謎を追う』 上、文藝春秋、1999年12月10日、50-57頁。 
  11. ^ a b 後藤致人『内奏』、109-114
  12. ^ a b 原田熊雄著『西園寺公と政局 第一巻』岩波書店、1950年。
  13. ^ 秦郁彦『昭和史の謎を追う』 上4、文藝春秋、1999年12月10日、56-57頁。 
  14. ^ 『拝謁記』の張作霖爆殺事件における昭和天皇発言と定説との違い(坂東太郎)”. Yahoo!ニュース. Yahoo!. 2023年11月27日閲覧。
  15. ^ 松本清張「「満州某重大事件」」『昭和史発掘』 3巻、文藝春秋文春文庫〉、1978年8月25日、80-81頁。 
  16. ^ タモリ、本名の由来に驚きの声「不思議なご縁」”. ザテレビジョン (2018年5月27日). 2021年8月6日閲覧。
  17. ^ a b c 『「家系図」と「お屋敷」で読み解く歴代総理大臣 昭和・平成篇』竹内正浩、実業之日本社, 2017/07/25、「田中義一」の章
  18. ^ a b c d e f g h i j k 陸軍大将男爵田中義一特旨叙位ノ件」 アジア歴史資料センター Ref.A11113507600 
  19. ^ 『官報』第1034号「叙任」1886年12月9日。
  20. ^ 『官報』第2571号「叙任及辞令」1892年1月28日。
  21. ^ 『官報』第3510号「叙任及辞令」1895年3月15日。
  22. ^ 『官報』第5046号「叙任及辞令」1900年5月1日。
  23. ^ 『官報』第6401号「叙任及辞令」1904年10月29日。
  24. ^ 『官報』第7352号「叙任及辞令」1907年12月28日。
  25. ^ 『官報』第8290号「叙任及辞令」1911年2月13日。
  26. ^ 『官報』第967号「叙任及辞令」1915年10月21日。
  27. ^ 『官報』第1858号「叙任及辞令」1918年10月11日。
  28. ^ 『官報』第2467号「叙任及辞令」1920年10月21日。
  29. ^ 『官報』第3443号「叙任及辞令」1924年2月18日。
  30. ^ 『官報』第3858号「叙任及辞令」1925年7月3日。
  31. ^ a b c 『官報』第828号「叙任及辞令」1929年10月1日。
  32. ^ 『官報』第3862号・付録「辞令」1896年5月16日。
  33. ^ 『官報』第5525号「叙任及辞令」1901年12月2日。
  34. ^ 中野文庫 旧・金鵄勲章受章者一覧
  35. ^ 『官報』第205号・付録「辞令」1913年4月9日。
  36. ^ 『官報』第1310号・付録「辞令」1916年12月13日。
  37. ^ 『官報』第1850号「叙任及辞令」1918年10月2日。
  38. ^ 『官報』第2431号「叙任及辞令」1920年9月8日。
  39. ^ 『官報』第2903号「叙任及辞令」1922年4月10日。
  40. ^ 『官報』第2858号・付録「辞令」1922年2月14日。
  41. ^ 『官報』第1499号・付録「辞令二」1931年12月28日。
  42. ^ 『官報』第644号「叙任及辞令」1914年9月22日。
  43. ^ 『官報』第1695号「叙任及辞令」1918年3月30日。
  44. ^ 『官報』第235号「叙任及辞令」1927年10月8日。
  45. ^ 『官報』第777号「叙任及辞令」1929年8月1日。


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