日本の福祉 歴史

日本の福祉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/12 07:31 UTC 版)

歴史

日本の社会福祉の最初期のものとしては、6世紀に伝来した仏教の教えに基づいた聖徳太子の「悲田院」などの救済施設があり、律令時代には天皇による賑恤(賑給)制度も存在した。 その後も源頼朝による未納年貢免除措置や賑給、北条泰時による領民救済、武田信玄上杉謙信による租税免除、熊本藩細川重賢米沢藩上杉治憲の農村復興策などに代表されるような各地領主による仁政諸施策が推奨された[17]。江戸時代には「無告の窮民」への援助を君主の義務とする救済論が貝原益軒荻生徂徠山鹿素行儒学者によって体系化し、浮浪者の収容保護など窮民政策が具体化した[17]

日本の近代国家としての福祉政策は、明治時代の「恤救規則」を皮切りに大正時代から昭和初期にその発展が見られるが、当時は、貧民や弱者に対しては慈善的・救貧的・恩賜的要素が強く、その他の国民に対しては富国強兵としての要素が強かった。

明治初期に福祉の基礎と貧民や弱者の保護の為の福祉組合と救貧組合と相互扶助組合が作られたが当時の日本人は理解を示さず、明治の終わりごろには治安警察法の厳しい取締り、活動が小さく行われた。国家の責務として、本格的に始まったのは第二次世界大戦後で、まずは敗戦処理として始まった。まず復員軍人や遺族の経済問題に対処するため生活保護法が作られ、続いて戦争孤児のため児童福祉法が制定、児童養護施設が次々と民間でつくられた。次に傷痍軍人などを救済するため1950年に身体障害者福祉法が施行されるなど、福祉政策として確立していくようになる。以上の3つの法律を「福祉三法」と呼ぶ。その後1960年代に現在の知的障害者福祉法老人福祉法、母子福祉法(のちの母子及び父子並びに寡婦福祉法)が制定された。これらを併せて「福祉六法」と呼ぶ。

本格的な少子高齢社会を背景に1997年に児童福祉法が改正、2000年には、高齢者向けの保健・福祉サービスを統合した介護保険法が施行され、児童福祉や高齢者福祉サービスを皮切りに福祉政策はこれまでの措置制度から契約中心の制度へと大きく転換し、2006年には障害者自立支援法が施行されることとなったが、一連の改革を「社会福祉基礎構造改革」と呼んでいる。

戦前・戦中

日本の社会保障は、第二次世界大戦前にドイツのオットー・フォン・ビスマルクの社会政策にならい社会保険制度が作られた[18]

医療保険
日本で最初の社会保険は、1922年に施行された健康保険法である[19]。また、農村に対する救済策として1938年に国民健康保険法が制定された[19]
年金
古くは明治時代から、官吏軍人に対する恩給、官業労働者に対する退職年金があったが、民間労働者に対する公的年金制度はなかった。1941年には、肉体労働者(ブルーカラー)を対象とした労働者年金保険法が創設され[19]、これは前年に発足した船員保険の年金制度とともに、最初の民間労働者を対象とする年金制度であった。


明治後半から昭和にかけて、日本の産業経済の形態が近代化した。それに伴い資本主義体制のもとでは必然的に発生してくる貧富の差の拡大、経済不況による失業者の増大等々の内部矛盾を和らげるため、つまり階級妥協を図る面から、労働者の生活安全対策として社会保険の必要性が高まり、労働者を対象に健康保険制度が創設された。

1922年に施行された健康保険法は、大企業[注釈 2]においてそれぞれ独立した基金で運営される健康保険組合による組合管掌保険制度 と、それ以外の企業の労働者を対象として政府が一つの基金で運営する政府管掌健康保険制度 の二つから成り立っていた。

この健康保険制度により、民間企業の共済組合が営んできた傷病給付は健康保険組合に吸収されることになった。いっぽう公共部門の共済組合は、この制度とは独立に医療保険業務を継続した。

この健康保険制度は、1934年の健康保険法改正を経て、多くの零細企業労働者までを被保険者としてカバーした。しかしながら、大企業の労働者か中小企業の労働者かによって適用される保険制度が異なっていたほか[20]、大企業労働者も企業ごとの健康保険組合によって、保険料や給付水準が異なるものであった。このように、官と民、企業ごとに分断された保険制度は、第二次世界大戦後も続いており、日本の社会保険制度の特徴となっている[21]

1940年には健康保険法の対象外だった本社職員等を対象に職員健康保険が実施されたが、1942年の健康保険法改正により翌1943年から健康保険に統合された。1938年から実施された国民健康保険制度は、労働者以外の住民を対象とし、当時の農村漁村不況対策の一環として発足した。もともと、日本の農村漁村の衛生状態は悪く、疾病も多発する状態にあったが、1929年に始まる世界恐慌は、地域住民を非常に不安な状態にした。その対策として国民健康制度が企画され、幾多の曲折の後実現した。さらに1944年には対象を職員や女子にも拡大する形で厚生年金保険法が制定された。

この頃は、日中戦争が起こり日本が戦争体制に突入した時期でもあり、本来の目的とは別に、兵力供給源である 農村漁村の保健対策としての戦時政策の側面もあった。

日本国憲法の理念

第二次世界大戦後に緊急対策として求められたのは、引揚者や失業者などを中心とした生活困窮者に対する生活援護施策と劣悪な食糧事情や衛生環境に対応した栄養改善とコレラ等の伝染病予防だった。1946年に生活保護法が制定され[19]、不完全ながらも国家責任の原則、無差別平等の原則、最低生活保障の原則という3原則に基づく公的扶助制度が確立された。

1946年に制定された日本国憲法第25条においては社会保障が以下のように記され、生存権の根拠とされている。

一、すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
二、国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

日本国憲法の理念に基づき、各分野における施策展開の基礎となる基本法の制定や体制整備が進められ、1947年に児童福祉法、1949年に身体障害者福祉法、1950年に生活保護法の改正[19]、1951年に社会福祉事業法が制定された。

1950年に社会保障制度審議会(内閣総理大臣の諮問機関として 1949年に設置された)が発表した「社会保障制度に関する勧告」中で[19]、社会保障制度を次のように規定している。

『社会保障制度とは、疾病、負傷、分娩、廃疾、死亡、老齢、失業多子その他困窮の原因に対し、保険的方法又は直接公の負担において経済保障の途を講じ、生活困窮に陥った者に対しては、国家扶助によって最低限度の生活を保障するとともに、公衆衛生及び社会福祉の向上を図り、もってすべての国民が文化的社会の成員たるに値する生活を営むことができるようにすることをいうのである。』
『このような生活保障の責任は国家にある。国家はこれに対する綜合的企画をたて、これを政府及び公共団体を通じて民主的能率的に実施しなければならない。この制度は、もちろん、すべての国民を対象とし、公平と機会均等とを原則としなくてはならぬ。またこれは健康と文化的な生活水準を維持する程度のものたらしめなければならない。そうして一方国家がこういう責任をとる以上は、他方国民もまたこれに応じ、社会連帯の精神に立って、それぞれその能力に応じてこの制度の維持と運用に必要な社会的義務を果さなければならない。』 — 社会保障制度に関する勧告』(PDF)(レポート)社会保障制度審議会、昭和25-10-16https://www.ipss.go.jp/publication/j/shiryou/no.13/data/shiryou/syakaifukushi/1.pdf 

またGHQ答申を受け、総理府には首相所属の諮問機関として社会保障制度審議会が設置され、「内閣総理大臣及び関係各大臣は、社会保障に関する企画、立法又は運営の大綱に関して、あらかじめ、審議会の意見を求めなければならない」と定められた[22]

労災保険と雇用保険の創設

1947年に労働基準法が制定され、業務上の災害について事業主の補償義務を明確にし、さらに労働者災害補償保険法が制定されて健康保険と屋外労働者を対象とする労働者災害扶助責任保険により保護されていた労働者の業務上の災害については、労働者災害補償保険制度(労災保険)として独立した。また、終戦による失業者の増大により、失業者の生活を安定させ、社会的混乱を防ぐ必要から1947年に失業保険法および失業手当法が制定された。その後、雇用構造の改善、労働者の能力開発・向上その他労働者の福祉の増進のために、1975年に雇用保険法が施行され、失業保険法は廃止された。

国民皆保険・皆年金の確立

国民健康保険制度は、戦時中は相当の普及をみたが、戦後、財政事情の悪化に伴って多くの市町村で休廃止されていた。1955年頃は、農業、自営業などに従事する人々や零細企業従業員を中心に、国民の約3分の1に当たる約3000万人が医療保険の適用を受けない無保険者だった。しかし1955年に始まった大型景気により日本の経済は本格的な経済成長過程に入り、急速に成長を遂げ国民生活も向上していく。このため、1957年度から4ヶ年計画により全市町村に普及せしめることとし、1961年に完全普及されてユニバーサルヘルスケア(国民皆保険)が達成された。

労働者年金保険制度についても、1944年に厚生年金保険に改称され対象が職員や女子にも拡大された。戦後、家族制度の動向や老齢人口の増加等を背景に地域住民に対する年金制度の要望が高まり、1959年に国民年金法が制定され、1961年に国民年金制度が発足し、国民皆年金が確立された。さらに、1985年に高齢化社会においても健全で安定した年金制度を樹立するための抜本的改革が行われ、国民年金は国民共通の基礎年金を支給する制度に改められた。


革新自治体による高齢者無償化と拡大

1967年の東京都知事選挙で、社会党と共産党は美濃部亮吉、自民党と民社党は松下正寿を候補とし、美濃部が当選した[23]。東京の美濃部知事などを筆頭に革新自治体が日本全国に誕生し、「老人医療費無料化」政策は彼等の「支持を集めるための格好の材料」となった[24][25]。1969年に秋田県と東京都で最初に高齢者医療費無償化された[26]

1972年時点で2県以外で高齢者医療費が無償化された[26][25]。NHK教育テレビの『ハートネットTV』によると、本来は老人医療費無料化の両輪であった「予防健康管理」が置き去りにされたことで、社会的入院の問題を引き起こし、高齢者医療費の増大を招く原因になったと指摘している[24]

革新自治体が始めた老人医療費無料化(高齢者医療費無償化)に対して、日本政府や自民党は「枯れ木に水をやるようなものだ」と批判していた[27]。しかし、1971年の総理府が実施した「老人問題に関する世論調査」における「老人の生活と健康を守るために国の施策として一番力をいれてもらいたい」中でも、老人医療費無料化が44%で1位の世論となっていた[26] 。このような方針転換を迫られる状況に、当時の日本政府(自民党)は危機感を抱いた[26][28]

自民党の危機感・福祉元年

革新自治体の誕生と躍進、参議院での保革伯仲国会などの当時の政治状況への危機感から、 田中角栄内閣は1973年を福祉元年と位置づけ、社会保障の大幅な制度拡充を実施した[29]。 国民の声に押され[24]田中角栄内閣にて改正老人福祉法を1972年6月の国会で成立させ、高齢者医療費無償化を全国化させた(翌1973年1月施行)[25][28]。しんぶん赤旗は、1969年の美濃部都知事の「老人医療無償化」が革新自治体で広がり、各地でも住民運動が起きたおかげて、日本国における老人医療無料制度を1973年12月に勝ち取ったと報道している[30]。権丈善一慶應義塾大学商学部教授は高齢者医療費無償化を「歴史的失策」「歪みをもたらす政策」であると批判的だが、革新自治体から老人医療の負担率引き下げや無料化が進められ、自民党は導入した時は、高齢者医療費無償化未実施の都道府県が2県のみとなった1972年6月時点であるため、「だから自民党を責めることもできない。」と述べている[25]大蔵省や厚生省などは反対していたが、当時の世論やマスコミ、学者など幅広く、賛同していた。「老人医療費を無料にすると、病室が患者であふれる」という大蔵省(現財務省)の反対意見を、1972年1月12日の朝日新聞は「変な言い訳」と切って捨てている[28]。1972年2月2日参議院本会議において、公明党の二宮文造参院議員は日本政府が医療無償化議論をしだしたことについて、「飛躍的拡充どころか、これまでの施策の立ちおくれを追認したに過ぎない」と批判をしている。厚生省官僚らは高齢者医療費無償化前後の当時について、「結果的に政治サイドの要求も強くて、スタートした」「高度成長時代をバックにした、迎合福祉の最初」「保険局はもともと無料化に反対していましたが、政治的に押し切られた」などと振りかえっている[28]


実行された具体的内容として、老人医療費無料制度の創設(70歳以上の高齢者の自己負担無料化)[29]、健康保険の被扶養者の給付率の引き上げ[29]高額療養費制度の導入[29]、年金の給付水準の大幅な引き上げ、物価スライド・賃金スライドの導入[29]などが挙げられる。


1973年昭和48年)4月1日施行の老人福祉法に基づいて、全国でも満70歳以上の老人医療費は全額公費負担となり[31]、満70歳以上の自己負担はゼロ(無料)となった[32][33]。高齢者医療費無償化は、「病院のサロン化」や過剰診療などモラルハザード問題が起き、さらに高齢化の進展と医療の高度化により、国民健康保険の財政悪化が問題となった[34][25]。病院経営側が高齢者をわざと集め、不必要医療をすることで診療報酬を得る「老人病院」まで登場した[35][36]


第一次石油危機を契機とした先進諸国が低成長以降、税収が減少し、社会保障の抑制の必要性がされるようになる。下記のように高齢者への無償福祉や低額福祉導入後、先進諸国における人口の急激な高齢化・少子化は社会保障の役割と規模の拡大によって社会保障費が増大し続けている。

日本の社会保障給付費の推移[4][37]
年度 金額 国民所得
1980年 24兆9290億円 12.23%
1985年 35兆6894億円 13.70%
1990年 47兆4238億円 13.67%
1995年 64兆9918億円 17.10%
2000年 78兆4062億円 20.10%
2005年 88兆8529億円 23.89%
2010年 105兆3647億円 28.89%
2015年 116兆8133億円 29.75%
2020年 132兆2,149億円 35.22%
2021年 138兆7,433億円 35.04%
2025年
(2018年の予測[38][注釈 3]
140兆8000億円
2040年
(2018年の予測)
188兆5000億円
日本の社会的支出(兆円)。緑は医療、赤は年金、紫はその他[39]

社会保障給付費の対GDP比は、2018年度の21.5%(名目額121.3兆円)から、2025年度に21.7%~21.8%(同140.2~140.6兆円)となる。その後15年間で2.1%~2.2%ポイント上昇し、2040年度には23.8%~24.0%(同188.2兆円~190.0兆円)となる[38]

社会保障負担の対GDP比は、2018年度の20.8%(名目額117.2兆円)から、2025年度に21.5%~21.6%(同139.0兆円~139.4兆円)となり、2040年度は23.5%~23.7%(同185.6~187.3兆円)へと上昇する。
その内訳をみると、保険料負担は2018年度の12.4%(同70.2兆円)から、2025年度に12.6%(同81.2兆円~81.4兆円)となり、2040年度には13.4%~13.5%(同106.1兆円~107.0兆円)へと上昇、公費負担は2018年度の8.3%(同46.9兆円)から、2025年度に9.0%(同57.8兆円~58.0兆円)となり、2040年度には10.1%~10.2%(同79.5兆円~80.3兆円)へと上昇する。(「2040年を見据えた社会保障の将来見通し(議論の素材)」(2018年5月厚生労働省推計)[38] の「計画ベース・経済ベースラインケースによる」のケースによる)。

保障制度の見直し

1973年秋にオイルショックが勃発し、原油価格の高騰がインフレを招き企業収益を圧迫し、高度経済成長時代の終焉をもたらした。また、低成長化による税収減と同時に、インフレに対して給付水準を合わせていくため社会保障関係費が急増したため、財界(特に第二次臨時行政調査会の「増税なき財政再建」や「日本型福祉社会論」)や大蔵省からの抑制圧力が加わった。自民党政権は、選挙への影響を考慮して当初は「見直し論」を抑え込んでいたものの、1980年の衆参同日選挙での自民党の大勝を受けて、安定成長への移行及び国の財政再建への対応、将来の超高齢化へ適合するよう、社会保障制度の見直しが行われた。

1982年に老人保健制度が創設され[40]、老人医療費に関して公費負担から社会保険への転換が行われ、患者本人の一部負担導入や全国民で公平に負担するための老人保健拠出金の仕組みが導入された。1984年には健康保険の本人負担を1割に引き上げ[40]、退職者医療制度を導入した。1985年には全国民共通の基礎年金制度が導入される一方で給付水準が引き下げられた。

少子高齢化への対応

日本は諸外国に比べ高齢化のスピードが速く、高齢化社会の定義である高齢化率7%からその倍の14%になるまでわずか24年(1970年 - 1994年)であったため、高齢者の介護問題が老後最大の不安要因として認識された。また、1989年の合計特殊出生率がひのえうまの年を下回り、戦後最低となったことは「1.57ショック」と呼ばれた。

1989年のゴールドプラン、1994年の新ゴールドプラン及びエンゼルプラン、1995年の障害者プラン、2000年の新エンゼルプランにより保健福祉サービスの基盤が図られた[41]

日本の人口(年齢構成別)の推移、および将来予想

日本の高齢化のスピードが速かったことから、高齢者の介護問題が老後最大の不安要因として認識されて、2000年に介護保険制度が創設され、老人福祉と老人医療に分かれていた高齢者の介護制度を社会保険の仕組みで再編成した[42]。介護保険は、老人福祉と老人医療に分かれていた高齢者の介護制度を社会保険の仕組みで再編成したものであり、世界的にもドイツに続く創設であった。従来の社会福祉は、行政機関がサービス実施の可否、サービス内容、提供主体等を決定する措置制度の考え方であるのに対し、介護保険制度は、サービス利用者を中心に据えた利用者本位の考え方であり、利用者とサービス事業者が契約によりサービスを行う契約制度である。介護保険を契機に、障害福祉サービスや保育サービスも措置制度から契約制度へと考え方や仕組みが変更されてきている。

また、厚生年金の支給開始年齢の引き上げや医療費の患者負担の引き上げが行われた[42]


注釈

  1. ^ 「社会保障将来像委員会 第一次報告」(平成5年 総理府社会保障制度審議会事務局)によれば、社会保障について次のように定義している。『まず第一に、社会保障は、国民の生活の安定が損なわれた場合に、国民にすこやかで安心できる生活を保障する制度である。社会保障は、歴史的には救貧や防貧のためのものとして発展してきたが、今日ではそれより広く国民に安定した生活を保障するものとなっている。第二に、社会保障は、給付を行うことによって国民の生活を保障する制度である。各種の規制を行うことで国民の生活を健康で安全なものとするものもあるが、このような規制は他の多くの公共政策とかかわっており、必ずしも社会保障に限られるものではない。第三に、社会保障は、国や地方公共団体の責任として生活保障を行う制度である。国民が生活困難の状態に陥った場合、あるいは陥ろうとする場合、国民自身やその家族が自らの力でそれを克服しようと努めるだけでなく、社会のさまざまな人々や組織が手を差し延べて、困難な状態から抜け出すための援助を行うこともある。社会保障は、これらの中でも国や地方公共団体が公的責任として国民の生活を支えるものである。以上のことから、社会保障とは、「国民の生活の安定が損なわれた場合に、国民にすこやかで安心できる生活を保障することを目的として、公的責任で生活を支える給付を行うものである」ということができる。』
  2. ^ 健康保険組合の設置は、常用500人以上の企業では強制、常用300人以上の企業では任意であった。(1922年制定時、第二十八条、第三十一条)
  3. ^ a b 2018年度の医療・介護サービスの足元の年齢階級別の受療率等(入院・外来の受療率、サービスごとの利用率)を基に機械的に将来の患者数や利用者数を計算。また、サービスごとの単価は足元の単価に一定の伸び率を乗じて計算。単価に乗じる伸び率は、医療は、経済成長率×1/3%+1.9%-0.1%、、介護は、賃金上昇率と物価上昇率を65:35で加重平均。(社会保障・税一体改革の試算の仮定をそのまま使用。)
  4. ^ 税金や社会保険料を国民所得で割った割合。

出典

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