島津斉彬 官歴

島津斉彬

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/24 09:59 UTC 版)

官歴

島津斉彬像(照国神社
明治5年12月2日新暦換算:1872年12月31日)までの日付は、一次資料に基づく旧暦が主体で、新暦は換算結果である。その後の日付は新暦を主体とする。

系譜

斉彬の娘たちの写真。左から典姫・暐姫・寧姫

多数の子女のうち成人したのは須磨との間の娘3人のみで、全員が弟・久光の息子の妻となった。さらに、養嗣子の忠義に嫁いだ娘2人はいずれも難産で死去し、無事に成人まで子が育ち自身も命を長らえたのは典姫ただ一人であった。斉彬の血筋は六男・哲丸が3歳で夭折したことにより男系子孫は途絶え、典姫を通じて女系は島津家の諸分家などで続いた。斉彬の母、弥姫(周子)は鳥取藩主・池田治道仙台藩主・伊達重村の娘、生姫との子であり、織田信長徳川家康伊達政宗毛利元就の血を引いている。

脚注


注釈

  1. ^ 同年6月(旧暦)に斉興は第10代藩主となる。
  2. ^ 旧暦の嘉永4年7月1日と7月30日(同月最終日)は、新暦グレゴリオ暦)では1851年7月28日と8月26日にあたる。
  3. ^ 鹿児島市照国町に鎮座する照国神社の祭神でもある。
  4. ^ 維新後その技術は断絶し、当時のものは希少な骨董として高い価値を持つ。近来になり復元・復興に成功し、薩摩切子の名で生産されている。
  5. ^ 旧暦の嘉永6年11月1日と11月29日(同月最終日)は、新暦(グレゴリオ暦)では1853年12月1日と12月29日にあたる。
  6. ^ 267万両がにせ天保通宝。

出典

  1. ^ 島津斉彬コトバンクhttps://kotobank.jp/word/%E5%B3%B6%E6%B4%A5%E6%96%89%E5%BD%AC-18466 
  2. ^ 集成館コトバンクhttps://kotobank.jp/word/%E9%9B%86%E6%88%90%E9%A4%A8-77094 
  3. ^ 日本写真協会:6月1日「写真の日」について”. 日本写真協会. 2019年6月1日閲覧。
  4. ^ 岩波文庫、復刊1995年、序文は牧野伸顕
  5. ^ a b 『逸事史補』
  6. ^ 『西郷隆盛言行録』
  7. ^ 「海舟全集 第十巻」
  8. ^ 『亡友録』
  9. ^ a b 「逸話文庫 通俗教育 志士の巻」
  10. ^ a b c 『伊藤侯,井上伯,山県侯元勲談』近代デジタルライブラリー
  11. ^ a b 「島津氏正統系図」(島津家資料刊行会)


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