島津治子とは? わかりやすく解説

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島津治子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/11 16:58 UTC 版)

島津 治子(しまづ はるこ、1878年明治11年)7月7日 - 1970年昭和45年)2月14日)は、男爵島津長丸(旧宮之城領主)の夫人。男爵島津珍彦(旧重富領主)の娘で、母は島津斉彬の四女・典子。正五位勲四等。神政龍神会事件で不敬罪に問われ検挙された[1]


注釈

  1. ^ 井上章一によると、治子が実際には入院しておらず、そのまま自宅で暮らし皇室との交流も続いていたという情報を「さるたしかな筋」から得て、確認もとったという。しかし、情報を提供した当事者は、身元の公表を拒否。井上は「彼(彼女)が、ことをひめておきたがる、やむをえない事情もよくわかる。」として、情報源を伏せた上で曖昧な表記に留めた、と著書のあとがきに記している[12]

出典

  1. ^ a b 『昭和の皇室をゆるがせた女性たち』第八章「元皇后女官長が不敬罪で逮捕」
  2. ^ a b c d 二見剛史「鶴嶺女学校について」『研究紀要. 鹿児島女子大学』第5巻第1号、志學館大学、1984年2月、159-185頁、CRID 1050011771506835072 
  3. ^ 島津治子の君『鹿児島県紳士録附淑女録 : 大典記念』二宮彦助 等編 (鹿児島県紳士録編纂事務所, 1916)
  4. ^ 官報. 1912年03月26日
  5. ^ 官報. 1920年03月06日
  6. ^ a b 井上 2008, p. 12「第一章 オカルティズムと宮廷人」
  7. ^ a b 井上 2008, p. 13「第一章 オカルティズムと宮廷人」
  8. ^ 古久保さくら「1930年代における母役割の再編」『人権問題研究』第2巻、大阪市立大学人権問題研究会、2002年3月、59-70頁、doi:10.24544/ocu.20171221-105ISSN 1346-454XNAID 110000091757 
  9. ^ 神政龍神会報告書. 8(司法研究 ; 第21輯) / (司法省調査課, 1937)
  10. ^ a b 井上 2008, p. 25「第一章 オカルティズムと宮廷人」
  11. ^ 井上 2008, p. 26-27「第一章 オカルティズムと宮廷人」
  12. ^ 井上 2008, p. 334-335「学術文庫版へのあとがき」
  13. ^ a b c d 滝本シゲ子「刑事司法精神鑑定の研究」『OSIPP Discussion Paper』DP-2010-J-003、Osaka School of International Public Policy, Osaka University、2010年5月、57-65頁、hdl:11094/13722 
  14. ^ 井上 2008, p. 14「第一章 オカルティズムと宮廷人」
  15. ^ 井上 2008, p. 21-22「第一章 オカルティズムと宮廷人」


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