島津治子
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島津 治子(しまづ はるこ、1878年(明治11年)7月7日 - 1970年(昭和45年)2月14日)は、男爵島津長丸(旧宮之城領主)の夫人。男爵島津珍彦(旧重富領主)の娘で、母は島津斉彬の四女・典子。正五位勲四等。神政龍神会事件で不敬罪に問われ検挙された[1]。
注釈
出典
- ^ a b 『昭和の皇室をゆるがせた女性たち』第八章「元皇后女官長が不敬罪で逮捕」
- ^ a b c d 二見剛史「鶴嶺女学校について」『研究紀要. 鹿児島女子大学』第5巻第1号、志學館大学、1984年2月、159-185頁、CRID 1050011771506835072。
- ^ 島津治子の君『鹿児島県紳士録附淑女録 : 大典記念』二宮彦助 等編 (鹿児島県紳士録編纂事務所, 1916)
- ^ 官報. 1912年03月26日
- ^ 官報. 1920年03月06日
- ^ a b 井上 2008, p. 12「第一章 オカルティズムと宮廷人」
- ^ a b 井上 2008, p. 13「第一章 オカルティズムと宮廷人」
- ^ 古久保さくら「1930年代における母役割の再編」『人権問題研究』第2巻、大阪市立大学人権問題研究会、2002年3月、59-70頁、doi:10.24544/ocu.20171221-105、ISSN 1346-454X、NAID 110000091757。
- ^ 神政龍神会報告書. 8(司法研究 ; 第21輯) / (司法省調査課, 1937)
- ^ a b 井上 2008, p. 25「第一章 オカルティズムと宮廷人」
- ^ 井上 2008, p. 26-27「第一章 オカルティズムと宮廷人」
- ^ 井上 2008, p. 334-335「学術文庫版へのあとがき」
- ^ a b c d 滝本シゲ子「刑事司法精神鑑定の研究」『OSIPP Discussion Paper』DP-2010-J-003、Osaka School of International Public Policy, Osaka University、2010年5月、57-65頁、hdl:11094/13722。
- ^ 井上 2008, p. 14「第一章 オカルティズムと宮廷人」
- ^ 井上 2008, p. 21-22「第一章 オカルティズムと宮廷人」
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