大國魂神社 (府中市)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2013/12/01 07:57 UTC 版)
大國魂神社 | |
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拝殿 |
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所在地 | 東京都府中市宮町3-1 |
位置 | 北緯35度40分02.87秒 東経139度28分44.19秒座標: 北緯35度40分02.87秒 東経139度28分44.19秒 |
主祭神 | 大國魂大神 |
社格等 | 武蔵国総社 旧官幣小社 別表神社 |
創建 | (伝)第12代景行天皇41年 |
本殿の様式 | 三間社流造銅板葺 |
別名 | 六所宮 |
札所等 | 東京五社 |
例祭 | 5月5日 |
主な神事 | くらやみ祭(4月30日-5月6日) |
東京五社の一社[注 1]。また、武蔵国の一之宮(一宮)から六之宮までを祀るため、「六所宮」とも呼ばれる。
目次
概要
古代、国司は各国内の全ての神社を一宮から順に巡拝していた。これを効率化するため、各国の国府近くに国内の神を合祀した総社を設け、まとめて祭祀を行うようになった。当社はそのうちの武蔵国の総社にあたる。
当社は府中市中心部に鎮座するが、「府中」の市名はかつて武蔵国の国府があったことに由来する。当社の境内地がかつての武蔵国の国府跡にあたり、境内地と市道を挟んで東側の市有地は「武蔵国府跡(武蔵国衙跡地区)」として国の史跡に指定されている。東側市有地は「武蔵国衙跡地区」として整備されており、柱跡が表示されて展示室が設けられている(「武蔵国府跡」も参照)。また、当社は府中宿の中心部近くにあり、大鳥居から武蔵国分寺や武蔵国分尼寺までの道が整備されていた。
当社の創建は景行天皇41年と伝えられ、源頼朝が妻の安産祈願をし、また源頼義と義家が奥州戦に向かう際に戦勝祈願をするなどの伝承がある。
境内は多くの社殿からなるほか、重要文化財の木造狛犬を初めとした文化財を多数伝えている。駅近くの市街地中心部に位置するにも関わらず緑の森に囲まれており、参道の馬場大門のケヤキ並木は国の天然記念物に指定されている。
例大祭は「くらやみ祭」として有名で、関東三大奇祭の一つに数えられている。
祭神
本殿の祭神は以下の通り。武蔵国の総社として、当社創建当時の武蔵国一之宮から六之宮まで(通称:武州六社明神)を祀っている。
- 中殿
- 大國魂大神 (おおくにたまのおおかみ) - 主祭神。大国主命と同神とされる。
- 御霊大神 (ごりょうおおかみ)
- 国内諸神
- 東殿
- 一之宮:小野大神 - 小野神社(東京都多摩市)を指す[注 2][注 3]。
- 二之宮:小河大神 - 二宮神社(東京都あきる野市)を指す[注 4]。
- 三之宮:氷川大神 - 氷川神社(埼玉県さいたま市大宮区)を指す[注 2]。
- 西殿
- 四之宮:秩父大神 - 秩父神社(埼玉県秩父市番場町)を指す。
- 五之宮:金佐奈大神 - 金鑚神社(埼玉県児玉郡神川町)を指す[注 4]。
- 六之宮:杉山大神 - 杉山神社(神奈川県横浜市緑区)を指す[注 5]。
創立の初期には、創建日の5月5日に武蔵国中の神官が集まり祈祷を行っていたと伝えられる。
歴史
創建
社伝『府中六所社伝』などに記された伝承によれば、景行天皇41年5月5日に大國魂大神がこの地に降臨し、それを郷民が祀った社が起源という。その後出雲臣の祖神天穂日命の後裔が武蔵国造に任ぜられ社の奉仕を行ってから、代々の国造が奉仕してその祭務を行ったと伝承されている[1]。このときの社号は「大國魂神社」。
概史
大化元年(645年)の 大化の改新時、武蔵の国府が社有地内に置かれて社を国衙の斎場とし、国司が奉仕して国内の祭務を総轄する社となった。国司が国内社の奉幣巡拝・神事執行等の便により国内諸神を配祀し、武蔵総社の起源になった。このときに社号は「武蔵総社」となったという。
その後、武蔵国内の著名の神、六所(6社の神)を奉祀して、社号が「武蔵総社六所宮」と変わった。
康平5年(1062年)、前九年合戦平定の際に源頼義・義家父子が、欅の苗千本を寄進した。これは現在、国の天然記念物に指定されている「馬場大門のケヤキ並木」の起源である。また、神前にすももを供物として供したことから、後年この日とされる7月20日に毎年「すもも祭り」が行われるようになった。
寿永元年(1182年)、源頼朝が葛西三郎清重を使節として、政子の安産の祈願が行われた。文治2年(1186年)源頼朝は武蔵守義信を奉行として社殿を造営した。貞永元年2月(1232年)、執権北条泰時の代で社殿の修造が行われた。
天正18年(1590年)8月に徳川家康が江戸へ入城してからは、 武蔵国の総社として、社領500石が寄進されて社殿及びその他の造営が行われた。
正保3年(1646年)10月、類焼により社殿が焼失。寛文7年(1667年)、徳川家綱の命により、久世大和守広之が社殿を造営し現在に至る。慶応年間(19世紀中半)には、檜皮葺が銅板葺に改められた。
明治元年(1868年)、勅祭社に準ぜられた。明治4年(1872年)、社号を「大國魂神社」に改称。明治7年(1875年)、近代社格制度において県社に列せられた。明治18年(1886年)、官幣小社とされた。
平成23年(2011年)、齋館の新築、随神門の改築、手水舎の移設が行われた。
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- ^ 他の四社は東京大神宮、靖国神社、日枝神社、明治神宮(東京五社めぐり参照)。
- ^ a b 当社では、当社創建当時の一宮として小野神社を祀っているが、歴史を通しては氷川神社や氷川女体神社を一宮とする説もある(「武蔵国#一宮以下について」・「氷川神社#一宮・三宮に関する議論」参照)。
- ^ 現府中市内の小野神社は現多摩川の水害を受け、現多摩市の小野神社に遷された。
- ^ a b 当社では、当社創建当時の二宮として二宮神社を祀っているが、歴史を通しては五宮の金鑚神社を二宮とする説もある(「武蔵国#一宮以下について」参照)。
- ^ 当社では六宮を緑区西八朔町の杉山神社としているが、武蔵国六宮の杉山神社には複数の論社がある(「杉山神社」参照)。
- ^ すもも祭において、烏の絵が描かれた「からす団扇・からす扇子」の頒布が特別に行われる。
- ^ 東京府 (編) 「大國魂神社」『東京府西多摩郡南多摩郡北多摩郡名所旧蹟及物産志』 東京府、1912年、pp. 92f。
- ^ 滝神社(猫のあしあと[個人サイト])より。
- ^ 国天然記念物:馬場大門欅並木と八幡太郎義家銅像
- ^ 府中市役所
- 1 大國魂神社 (府中市)とは
- 2 大國魂神社 (府中市)の概要
- 3 境内
- 4 祭事
- 5 文化財
- 6 参考文献
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