大園古墳
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/26 20:10 UTC 版)
大園古墳 | |
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![]() 大園古墳跡 説明板 |
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所在地 | 大阪府高石市西取石8丁目 |
位置 | 北緯34度30分56.85秒 東経135度26分25.87秒 / 北緯34.5157917度 東経135.4405194度座標: 北緯34度30分56.85秒 東経135度26分25.87秒 / 北緯34.5157917度 東経135.4405194度 |
形状 | 帆立貝形古墳 |
規模 | 墳丘長53m(または57m) |
埋葬施設 | 不明 |
出土品 | 埴輪片 |
築造時期 | 5世紀末 |
史跡 | なし |
特記事項 | 墳丘は非現存 |
地図 |
大園古墳(おおぞのこふん)は、大阪府高石市西取石にあった古墳。形状は帆立貝形古墳。現在では墳丘は失われている。
概要
群 | 古墳名 | 形状 | 規模 | 築造時期 | |
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北 | 和泉黄金塚古墳 | 前方後円墳 | 94m | 4c末 | |
南 | 丸笠山古墳 | 前方後円墳 | 96m | 4c末 | |
南 | 鍋塚古墳 | 円墳 | 60-70m | 5c初 | |
南 | 王塚古墳 | 帆立貝形古墳 | 46m | 5c中 | |
北 | 信太貝吹山古墳 | 帆立貝形古墳 | 60m | 5c前 | |
北 | カニヤ塚古墳 | 帆立貝形古墳 | 不明 | 5c後 | |
北 | 大園古墳 | 帆立貝形古墳 | 50m | 5c末 | |
北 | 富木車塚古墳 | 前方後円墳 | 48m | 6c中 | |
南 | 狐塚古墳 | 前方後円墳 | 58m | 6c後 |
大阪府南部、信太山丘陵北西麓の低位段丘上に築造された古墳である。1974・1976年(昭和49・51年)に大阪府教育委員会・高石市教育委員会による発掘調査が実施されたのち、現在は消滅している[2]。
墳形は前方部が短小な帆立貝形の前方後円形で、前方部を北西方向に向けた。調査時点では既に墳丘は完全に削平されていたが、墳丘長は約53メートル[2](または約57メートル[3])、後円部は直径約34メートル、前方部は幅約25メートルを測った[2]。墳丘外表には葺石・埴輪が存在したとみられ、いずれも周濠内に転落したものが出土している[2]。特に埴輪には円筒埴輪のほか、多数の形象埴輪(家形・人物形・馬形・鶏形・草摺形・盾形・靫形・蓋形・剣形埴輪)が認められている[2]。また墳丘周囲には幅3-4メートルの周濠が巡らされる[2]。埋葬施設は削平のため明らかでない。
築造時期は、古墳時代中期の5世紀末頃と推定される[2][1]。本古墳を含む一帯の大園遺跡は古墳時代の大規模集落(掘立柱建物群)として知られ、本古墳はその首長墓に位置づけられる。また和泉地方北部では首長墓古墳として北群・南群の2群が認められるが、北群・南群にはそれぞれ時期的空白が認められることから両群が輪番制で首長を担ったと推定され、本古墳はそのうちの1つに位置づけられる[1][4]。
ギャラリー
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人物埴輪
大阪府立弥生文化博物館企画展示時に撮影。 -
鶏形埴輪
大阪府立弥生文化博物館企画展示時に撮影。 -
鶏形埴輪
大阪府立近つ飛鳥博物館展示。 -
大園遺跡 大園1号埴輪窯 埴輪片
大園古墳への埴輪供給窯出土品。大阪府立弥生文化博物館企画展示時に撮影。
脚注
参考文献
- 史跡説明板(高石市、1994年設置)
- 「大園遺跡」『大阪府の地名』平凡社〈日本歴史地名大系28〉、1986年。ISBN 458249028X。
- 松村隆文「大園古墳」『日本古墳大辞典』東京堂出版、1989年。 ISBN 4490102607。
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