千日デパート火災 火災の教訓とその後の対策

千日デパート火災

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/01 17:29 UTC 版)

火災の教訓とその後の対策

千日デパートビル火災は、日本のビル火災史上において最大の被害を出す火災となった[注釈 9]。それは半世紀ほど経過した2022年現在においても変わらずに最大のままである。本件火災が発生する半年ほど前に大韓民国の首都ソウルで大然閣ホテル火災が起こり、死者163人を出した[495]。そのときに日本の消防当局や宿泊施設関係者の間では「仮に日本で韓国のような火災が起きた場合でも、我が国においては法律や設備が整えられているので、小規模で食い止められる。備えは万全だ。」と言われた。さらには「あれは外国の火災であり、その国の特殊な事情によって被害が拡大した。日本には当てはまらない」「国力も社会的背景も違う。日本では同様の火災は起こらないだろう」という意見があり、危機感などは感じられなかった[496][497]。しかしながら、その一方で消防関係者や防災専門家、マスコミは違った意見を持っていた。「日本の建築物にも盲点や死角があるのは確かで、建築上の欠陥や消防設備の不備、自主防火体制の不徹底などにより、消火が遅れれば大然閣と同様の被害が出る恐れはある。特に古い建築物が危険だ」と懸念を示す向きもあった[498]。それから僅か半年足らずで本件火災の発生によって安全への自信と期待は脆くも崩れ、懸念のほうが的中する形となった。そして日本社会全体や消防防災関係者に大きな衝撃と失望、悲しみが広がった。大阪市消防局にとっては衝撃が特段に大きかった。同消防局は消防設備や消火技能の警防面、査察や指導の予防面、そのいずれにおいても充実度が全国の中でもトップレベルにあることを誇りにしていた。実際に他の消防当局が視察に訪れることが日常化していて、それは名実ともに確かなものであった。だが未曾有の火災は発生し、優れた警防面と予防面を以ってしても甚大な被害を防ぐことはできなかった[499]

大阪市消防局にとっては1970年の天六ガス爆発事故に続き管轄内で発生した都市災害であったことから、なおさら深刻に受け止められた。高度経済成長期は都市の広がりを「上下方向」に伸びることを求め、「雑居ビル」という新語が作り出されるほどビルの営業形態は複雑化していた。ビルや地下街での火災に対する懸念は深刻に捉えられていて、もしも大阪で大きな火災が起きるならば、その最たる場所は「キタ」または「ミナミ」だろうと予測されていたところに本件火災が起きた。場所の予測は的中したが、火災規模と人的被害が全くの想定外だったことの衝撃も大きかった[500]。本件火災の影響は、政府や各省庁、各自治体、消防関係者、さらには一般社会に至るまで、煙死による人的被害の甚大さによって国民全体に計り知れない恐怖感と危機感が植え付けられた。ビル火災の再発防止に向けた消防当局によるビル消防設備等の緊急査察、国会審議、法令や制度の改正、民間で避難訓練を実施する傾向が強まるなど、その社会的な影響は広範囲に及んだ。

千日デパート火災の余波

国や自治体、消防当局を中心に再発防止に向けた動きは迅速だった。雑居ビルや高層ビルを中心に消防用設備や避難器具、非常階段などの設置状況について緊急点検が全国で実施された。また国会では、衆参の各委員会で本件火災が議題として取り上げられ、火災の概要や様々な問題点について連日議論された。避難訓練を実施する動きは全国に広がり、特に救助袋を実際に使用しての訓練が官民ともに盛んに行われた。建築および消防関係の法令を改正する議論も活発になり、火災被害から建物の利用者を護るための方策が検討された。

国の対応

消防庁、各都道府県に対し雑居ビルに対する緊急点検実施を通達
  • 千日デパート火災を受けて消防庁は、火災から2日後の1972年(昭和47年)5月15日に全国の都道府県に対し、危険性のあるビルの総点検を早急に行うよう通達した。特に対象とされたのが、劇場、キャバレー、百貨店などビルの高い階に不特定対多数の人々を収容する用途に供される防火対象物で、また商店、事務所、飲食店などがひとつの建物に入居している「雑居ビル」については、避難体制、通報体制、防火消火設備の機能性について重点的に調べることにした[501][502]
    • 消防庁通達を受けて大阪市消防局は、5月15日から1週間かけて大阪市内の雑居ビル1,284か所のうち、キャバレーや飲食店が入居し、不特定多数の利用者が出入りする「火災発生要注意ビル」と判定された277か所に対し、防火設備や防火対策などの18項目について総点検を実施した。6月8日に総点検結果がまとまり、一般に公表された。点検対象となった雑居ビル277か所のうち、合格はわずか42か所で残りの235か所のビルが合計1,861件の問題点を指摘され「防火管理不適当」と判定された。235か所のうちの133か所のビルは「消防法令違反」と判定された471件の違反について改善命令が出された。改善指示のおもな内訳としては「誘導灯の設置が不適当」が171件、「誘導灯の維持管理が不適当」が163件、「非常警報設備の設置および維持」が計289件に及んだ。さらに「通路および階段に雑品放置」で改善を指示されたビルは140件、「自衛消防訓練実施」の改善指示が145件、「避難器具の故障や破損」の改善指示が121件に及んだ。営業しながら改装工事を行っていた24か所のビルに対しては、防火安全性の確保を改善指示した。避難関連施設の改善指示は合計1,014件に達し、6月3日の時点で右の改善指示された事項が未完になっているとして、消防法第17条や第8条などの規定に基づき改善命令が出されたビルは193件だった。防火管理面に関する改善指示は340件、改善命令は120件だった。警報設備関連の改善指示は507件、改善命令が74件だった。大阪市消防局は「3か月以内に改善命令が実現しない場合は、告発や建物の使用停止措置を講じる」とした[503][504][505][506]
    • 東京消防庁においても同通達に基づき、5月15日夜に都内の雑居ビル1,980か所のうち、代表的な7か所の盛り場について抜き打ちで査察した。その結果は、救助袋の破損があったり、従業員が救助袋の正しい使い方を知らなかったりと、「プレイタウン」とまったく同じ状況がみられた。またビル外壁の垂れ幕が救助袋の窓を塞いでいたり、救助袋の収納方法が間違っていたり、避難階段や避難通路が物置状態になっていたりした店もあった。そもそも救助袋の存在自体を知らない従業員がいるなど、火災時の避難に対する無関心さが浮き彫りになった。その後、東京消防庁管内の各消防署が6月10日までの間に雑居ビルや百貨店を中心に火災時の避難と安全性および防火管理について査察を行った。対象は、劇場、キャバレー、百貨店、ホテル、飲食店などの不特定多数を収容する4階建て以上の1,442か所のビルで、消防法における特定防火対象物である。結果は、対象の90パーセントが欠陥ビルと判定され、AからDまでの4ランクに分けた判定では、安全性の高いAランク判定がわずか7パーセントという結果となった[507][508][509][510]
建設省、雑居ビルに「第十条」に基づく改善命令を通達
建設省は16日「雑居ビルなどの総点検を実施し、必要なら建築基準法『第十条』に基づく改善命令を出すなど、安全対策について強力な措置を講じるように」とする事務次官通達を各都道府県知事宛に出した。総点検は雑居ビルを始め、不特定多数の人々が利用する建物や地下街が対象とされ、防火や避難設備の現状、維持管理、有効な設置方法を重点的に点検するよう検討する、とした[511]。建築基準法第十条とは、既存不適格の建築物でも保安上危険な場合は、知事などが該当する建物に対して改善、移転、使用禁止を命令できる強制力を伴う条項である。通常は新築の建物が対象になるのが一般的だが、既存の建物にも適用すべきとの意見が出され、「千日デパートビルには第十条命令を出すべきだった」と建設省内には反省の声もあることから、今後は雑居ビルへの改善命令を厳しく発していくように強調された[511]
政府、中央防災会議で政令指定都市を中心に既存不適格ビルの総点検実施を協議
政府は16日、中央防災会議の各省連絡会議を開き、千日デパートビル火災に関連して既存不適格ビル(1970年以前に建てられたビル)の防災点検を実施することを決め、政令指定都市にある2千数百か所の建物を総点検の対象とした。また防火管理者の管理責任を強化する法的措置も検討された。有毒ガス発生の原因となったとみられる化繊製品について、品質や取扱量などを規制するかどうかの検討を通産省を中心に行うこととなった[511]
本件火災、国会で議題に
5月16日、第68回国会・参議院地方行政委員会会議において「千日デパート火災に関する件」が「地方行政改革に関する調査」の議題として取り上げられた。火災の教訓として「避難誘導の周知徹底、避難訓練の実施」「複合用途ビルの共同防火管理体制の強化」「避難路を煙から守るための措置」が重要であるとして、建設省や自治省、消防庁などの関係省庁が今後の対策に万全を期すことを確認した。また建築基準法や消防法の「既存不適格建物」および「法律不遡及の原則」の問題についても議論された[512]。そのほかにホステスの労災について、はしご車を中心とした消防救助設備について、なぜ火災で燃えていない7階で多くの犠牲者が出たのか、またなぜ適切な避難誘導がなされなかったのか、などについて、午前の時間を目一杯使って集中議論された[512]。また同日開かれた衆議院地方行政委員会においても、午前および午後の会議で本件火災が議題として取り上げられた。内容は同日の参議院地方行政委員会とほぼ同じであるが、プレイタウンの防火管理者(支配人)について、ある委員は「(プレイタウンで)一番の責任者が救助袋の入口を開け、非常口の鍵を開けるべき人が、一番先に逃げて助かっていて、117人が死亡しているのはどういうことなのか。あとに残された者は何もしようがない」と政府委員に質問した[513]。同日開かれた参議院建設委員会、参議院議員運営委員会、衆議院法務委員会においても本件火災が議題として取り上げられた[514][515][516]。同日の参議院議員運営委員会においては「議員調査団」の派遣が決定され、本件火災現場で現地調査を実施することになった[515]。同様に衆議院においても被害状況調査のための議員調査団の派遣が決められた[105]。現地調査の結果は、参議院では5月26日の議院運営委員会において[517]、また衆議院では5月24日の災害対策特別委員会で報告された[105]。そのほかにも下記の国会各委員会で本件火災が議題として取り上げられた。
  • 5月17日、参議院災害対策特別委員会[373]
  • 5月18日、参議院社会労働委員会[518]
  • 5月23日、参議院運輸委員会[519]
  • 6月8日、6月16日、衆議院地方行政委員会[69][70]
自治大臣、都内盛り場などをパトロール
5月17日夜、渡海元三郎自治大臣が消防庁幹部らを伴い、東京都内の地下街や盛り場、屋上ビアガーデンなどを安全パトロールした。地下街については排煙設備、緊急通報体制、防火区画など、最新の設備が整っていて自治大臣も満足したが、その後に訪れたキャバレーと屋上ビアガーデンの避難設備があまりにもお粗末で一転して機嫌が悪くなった。あるキャバレーでは、避難する際に6階からエレベータ室を改造した場所から避難はしごで屋上に出て、隣のビルの7階に移動するというが、隣のビルの窓が避難はしごの代用であり、その窓は普段から鍵が掛かっているところを非常時にボーイがハンマーで叩き割るのが手順である、という実態を聞かされた渡海自治大臣は「これじゃあ安心して酒も飲めないじゃないか」と感想を述べた。その後に大臣一行は、9階建て雑居ビルの屋上で営業するビアガーデンを訪れ、避難設備や避難経路を確認したが「火災時には調理室を通り、1階下の9階まで降りてから同階の救助袋が設置された従業員用窓まで辿り着き、その後に救助袋で降下する」という複雑な避難経路も目の当たりにした。パトロールを終えた渡海自治大臣は「建築基準法改正前に建てられた古いビルに問題が多い。それらに改善命令を出すか用途制限を掛けるかしたい」と述べた[520][521]
行政監察局、本件火災についての行政運用面を調査
5月22日、近畿管区行政監察局は、千日デパート火災における行政の運用面を調べ、行政管理庁に報告した。その結果、建築基準法、消防法、労働基準法や防災行政に多くの疑問点があることがわかったことから、翌月中旬から全国15都道府県の大都市で行政監察を始めることになった。対象とされたのは地下街、修学旅行生が宿泊する旅館の防災体制全般であった。行政管理庁は6月7日、先に決められた地下街と旅館に加え、雑居ビルも行政監察の対象とすることを決め、行政管理委員会に監察の計画を説明した。監察の重点項目としては、消防行政機関の体制及び活動状況、ビルや地下街の防火管理体制、避難訓練の実施状況、防災意識の徹底などである。監察を終えたあとは、自治省や建設省などの関係省庁に対して改善慣行を出す、とした[522][523]
国民生活審議会、8項目の改善策を提言
5月22日、首相の諮問機関である国民生活審議会の「消費者保護部会(分科会)」は、千日デパートビル火災のような被害を出さないために防火対策として8項目の改善策をまとめた。改善策は、国民生活審議会に諮ったうえで建設省、通産省、自治省、消防庁などに提出する、とした。改善策は以下のとおりである[524]
  1. 既存不適格の対象物に対して法令を遡及適用する。
  2. 屋外避難階段や二方向避難経路を設けるための指導を徹底する。
  3. 火災の際に有毒ガスを発生させる恐れのある新建材に対する製造、使用、販売の規制強化。化繊商品を大量に扱う場合の防火設備の強化。
  4. 建築や防火の監視員を増やし、広範な監視網を設ける。
  5. 複合用途ビルや地下街の共同防火管理義務の徹底を図る。また災害時の連絡通報体制を確立する。
  6. 防火訓練を慣行化させ、その実施状況を報告する義務を負わせる。
  7. 消費者に対する防火教育の充実。
  8. 高層建築や地下街の安全を図るため、構造的基準の見直しを検討する。
消防審議会、法令改正の検討事項提出
6月2日、消防庁は消防審議会に対して千日デパート火災を教訓にした新しい検討事項を提出し、了承された。消防法に基づき防火管理体制や消防用設備の基準を強化する目的で、防火対象物の管理権原を持つ者の責務、防火管理者の責務、消防計画の提出、避難訓練の届出について具体的な項目が盛り込まれた。また防火管理と消防用設備面で広い範囲にわたって施設側に義務を課す項目が数多く並んだ。これらの検討項目は審議を経て、のちに消防法と建築基準法の施行令改正の形となって具体化することとなった[525][526]

自治体および消防当局の対応

全国消防長会総会、再発防止について議論
5月18日、東京・五反田で第24回全国消防長会総会(総会)が開かれ、火災の再発防止に向けて至急取り組むべき課題が議論された。本件火災に基づいて国に要望すべき事項とされたのは以下のとおりである[422][527][528]
  1. 防火管理責任体制および規定の強化
  2. 高層ビルと地下街における業種別の用途制限ならびに可燃物量を階ごとに制限
  3. 内装の不燃化基準強化
  4. 防火区画、排煙設備等の基準強化
  5. 避難経路の安全確保のため屋外階段またはバルコニーやタラップ設置義務の強化
  6. 災害発生時に作動する非常扉の自動閉鎖装置取付
  7. 既存建物に対するスプリンクラー設備や自動火災報知設備、避難設備などの消防用設備等の遡及適用および設置基準の強化
  8. 消防設備士の業務範囲拡大
総会において、これらについて提案がなされ、関係法令の改正を自治省消防庁を通じて関係省庁に要望することが緊急決議された。1972年(昭和47年)8月31日、全国消防長会会長から自治省消防庁長官に対して、政令強化についての要望書が提出された。その後、総会の要望書は自治省消防庁で検討が重ねられ、関係各省庁間の折衝を経て12月1日に消防法施行令の一部改正が公布され実現するに至った。
大阪市、地下街の防災面を緊急総点検
大阪市建築局は、6月12日から1週間掛けて、大阪市内の地下街9か所すべてで総点検を行った。これは建設省や行政監察局が全国の雑居ビルや地下街などの不特定多数が利用する施設に対して、防災面や運用面などの調査を行う動きに合わせて実施されたものである。総点検の重点項目は「防火区画や防煙区画の実態とその改善策」「非常口や階段の状況」「店舗や地下道における可燃物使用の実態」で、点検の結果によって著しく危険だと判断された場合は改善勧告を出す、とした[529][530]
大阪市消防局は、6月21日朝8時から難波の地下街「虹のまち」で市消防局員40人と同地下街の自衛消防隊員ら100人も参加して防火設備の点検を行った。テナントの喫茶店の厨房で発煙筒を10本焚き、煙を発生させて設備の作動状況を確認した。発煙30秒後に煙感知器が作動し、防火シャッターが自動で降下、排煙装置も正常に作動した。更に15分後、防火シャッターを開けると内側に煙が滞留しており、煙の流出を防ぐことが確認できたが、煙の排出までに30分を要した。また停電状態にして非常照明の点灯試験も実施され、バッテリーが機能して地下街を明るく照らす様子が確認された。ミナミの「虹のまち」に関しては1969年の建築基準法改正以降に造られた地下街ということで消防用設備も含めて新しい基準が採用されており、点検の結果は「及第」だと評価された[531][532]
地下街は、雑居ビルよりも災害発生時の危険度が特段に高いとされ、「雑居ビルの横倒し版」だと形容されている。雑多なテナントが地下の狭い閉鎖空間に密集して営業し、地上への連絡口は階段のみに頼っていることからも、ひとたび地下で火災が起これば利用者は煙に巻かれて地下空間に閉じ込められ大混乱を起こし、雑居ビル火災の比ではないほど人的被害は甚大になると予測されている。その懸念は、千日デパートビル火災が起こる以前から建築や防災の専門家らによって示されていた[533]。大阪市内には1972年の時点でキタとミナミを中心に大規模な地下街が造られており、特にキタの「旧ウメダ地下街」[注釈 64]に該当する部分が防災上において問題を抱えていると指摘されていた。右地下街が戦中の1942年(昭和17年)に造られた地下通路を基に発展したことにより、迷路のように複雑な形状をしていることで空間の把握が難しく、地上と連絡している階段の数が不足していることやスプリンクラー未設置など、防災面の充実が図られていない問題があった[533]。また管理体制が「35」の責任組織に分かれており、通報や避難誘導に関して一元的に行える設備が無いなど、災害時の安全面に対して日本科学者会議などで構成される「地下街問題研究会」の識者から問題が指摘された[534]。大阪市の管理体制も杜撰だと指摘され、道路建設局や土木局などが防災面に関して運営側との間で管理体制の連携を築けておらず、指導監督面での不安も覗かせた[534]。緊急の提言としては「大阪市による一元的な管理体制を取ること」「危険性のある地下街をこれ以上造らないこと」「旧ウメダ地下街については、追加で新しい階段を14か所設置し、7か所の階段を拡幅すること」「地下街の防災問題を調べるための調査研究機関の設置」などが出された[535][536]。この提言を受けて「旧ウメダ地下街」は、早急に誘導灯45個を取り付けた。今後は更に誘導灯や誘導標識を増設し、階段の増設や排煙装置の設置を検討するとした。また大阪市では、総合計画、土木、建築、消防の各部局が集まって「地下街問題協議会」を設置して対策の検討を開始した[537]

避難訓練

衆議院議員会館で避難訓練実施
5月19日、衆議院議院運営委員会「院内の警察および秩序に関する小委員会(小渕恵三委員長)」は、永田町の衆議院第二議員会館で消防演習および避難訓練を実施した。避難訓練については「会館7階で出火、館内に煙が充満、逃げ遅れ多数」という想定で実施され、特に救助袋を使った避難に重点が置かれた。小渕恵三委員長(のちの内閣官房長官首相)も救助袋の中に入って避難を体験した[538][539][540]
日本各地で実施された消防避難訓練
5月26日午前には大阪府庁舎で消防避難訓練が行われた。先ずは各課の火気取扱責任者約200人が参加して「別館8階の食堂から出火」を想定した消火訓練が行われ、その後に屋上で「消火器取扱い訓練」へと進んだが、屋上出入口の鍵が開いていなかったために守衛が慌ててカギを取りに行くという不手際があった。その後に救助袋を使った避難訓練へと移っていった。東消防署のはしご車など4台の消防車両も訓練に参加した。救助袋は庁舎の高さ25メートルから30メートルに設置され、23人の職員が実際に袋の中を滑り降りて避難を体験した。高層階から滑り降りることを尻込みする人も多く、脱出に成功する度に拍手が起こるなど、全体としては緊張感に欠ける避難訓練となった[541][542]
大阪市内では6月9日午後に「雑居ビル」での避難訓練も行われた。銀行や飲食店など22テナントが入居する阿倍野区の9階建て商業ビルで「1階から出火、火災は上層階に延焼、逃げ遅れ多数」という想定で訓練が実施された。ビルの自衛消防隊員約70人が避難誘導の手順と経路を確認した。阿倍野消防署からは、実際にはしご車など計6台の消防車両がサイレンを鳴らして出場し、屋上に取り残された人や煙に巻かれて逃げ遅れた人をビル内部に進入して30分足らずで救助した。また救助袋を使った避難訓練も実施され、ビル利用者らはビル6階から9階の3か所に設置された救助袋を使って避難を体験した[543]
6月20日午前には、心斎橋の百貨店と南消防署合同で消防訓練が実施された。「7階の屑入れにタバコが投げ込まれ、紙ごみが燃え出して文具売り場に延焼した」という想定で訓練が始まった。百貨店側が119番通報し、すぐに館内放送で火災発生を全館に報知した。その後に非常口を開け、防火シャッターを降し、店内の消火栓を使用して消火、出場した消防隊員を火元へ誘導するという一連の手順を確認した。屋上での逃げ遅れを想定してはしご車による救出訓練も行われた。店員47人と南消防署の消防車両5台が訓練に参加した[544]
東京都内では、高層雑居ビルが多く林立する新宿などの繁華街で避難訓練を実施する動きが相次いだ。特にキャバレーや飲食店が入居する小規模な雑居ビルで火災に対する危機感が強く、東京消防庁の管轄する消防署に避難訓練実施を要請するビルが多く見られた。消防署員から避難訓練の方法や注意事項の説明を受けたあと、実際にはしご車や救助袋を使ってビルの窓から地上へ脱出する訓練が各所で行われた。百貨店やホテルなどでは防災設備の点検を中心とする内容となった。都内では訓練が行われる度にビルの下には大勢の見物人が集まって訓練を見守り、世間のビル火災に対する関心の高さを伺わせた[545]
地方都市でも高層ビル火災に対する危機感は強く、長野市消防局は5月29日に長野駅前の百貨店で「中高層ビル立体消防訓練」と題する消防総合訓練を実施した[546]。訓練には従業員の他に買い物客も参加した。7階からの出火を想定し、発煙筒を焚くと同時に従業員による避難誘導訓練が開始され、7階滞在者は救助袋を使用した避難を体験した[547]。火災延焼の想定のもと放水訓練も実施され、消防車5台によって一斉放水がおこなわれた[547]。人命救助訓練では、ビルの内部探索やはしご車による救助、高所救助者に対してロープを打ち込み、レスキュー隊員がロープを伝って救助を実演することもおこなわれ、従業員らも右訓練を体験した[547]

検証実験および火災実験の実施

千日デパートビル火災では、防火管理者や失火の容疑者に対して刑事責任を追及するために、科学的な検証データを必要としたことで捜査当局が火災現場で燃焼実験や救助袋を使った降下検証実験を行った。また大規模なビル火災の再発防止の観点から、関係各省庁などが現存する建物を燃焼させて延焼の過程や煙の流動性を検証し、防火防煙対策の策定、消防用設備や建築防火設備の有効性を確かめるための実験が行われた。「煙死」に至る過程や化繊および新建材が燃焼する際に出す「一酸化炭素」や「有毒ガス」を検証するための動物実験も実施された。

救助袋の降下検証実験

1972年6月13日午後、大阪府警捜査一課・南署特別捜査本部は、千日デパートビル火災に関して防火管理者の刑事責任を追及するため、7階「プレイタウン」に設置されている救助袋の機能を確認する降下検証実験を火災現場で実施した[548]。同救助袋は、火災発生直後から様々な欠陥があることは既に判明していた。例えば救助袋の入り口付近にネズミによって齧られてできたと推定される大きな穴が数か所開いていたり、出口先端部分が地上へ投下された際に機能する「誘導用の砂袋」が取り付けられていなかったりという欠陥である[549]。救助袋自体も1952年に設置された古い器具であり、保守管理もされていなかったことから老朽化が指摘されていた[注釈 22][549]。降下検証実験では、火災の際に使用された実物の救助袋を地上に投下し、府警科学捜査研究所員および大阪市消防局員の立会いの下で実施された[548]。先ず降下実験に先立って先端部分の砂袋が取り付けられるロープを検証したところ、長さがわずか「30センチメートル」しかないことが判明した。当該ロープは、地上誘導の役割だけではなく、地上で救助を補助する者がロープを手繰り寄せて救助袋に適切な張りと角度を付けるための機能もあることから、最低でも救助袋と同じ程度の長さが必要とされている。プレイタウンの救助袋は31.35メートルの長さがあることから、降下実験に際しては「50メートル」の長さのロープを出口先端に取り付けてから実験が開始された[548]。地上に投下されたプレイタウンの救助袋は、係員によってロープを引っ張り、十分に展張させた。ところが地上から7階までの高さ25.5メートルに対して袋の長さが「31.35メートル」では出口付近の地面に対する傾斜角度が「55度(ビル壁面基準では35度)」と、かなり急になることが判明した[注釈 22][549]。理想の角度は「45度(地面基準)」よりも緩くなることが望ましいとされているなかでは、プレイタウンの救助袋は安全に脱出できる状態からは程遠かったのは明らかである[548]。45度の傾斜角度にするためには、救助袋の長さは最低でも36メートルよりも長くする必要があったが、プレイタウンの救助袋は、1963年に移動式から固定式へ改造された際に入り口側を「5メートルから6メートル」切断していた[549]

実際の降下実験の段階では、出口を6人の係員が把持し、7階から人間に見立てた「2種類の土嚢(重さ30キログラムと60キログラム)」を救助袋の中に入れて投下した[549]。出口を既定人数の6人で支えても、地上からの出口の高さは1.5メートルよりも低くならず、55度の急傾斜の影響で土嚢はわずか5秒弱で地上へ滑り落ち、出口から5メートルも飛ばされた[548]。この実験からは、仮に袋の入り口が開いていて、避難者が袋の中を滑り降りたとしても安全に脱出できたかどうか確証が持てない結果となった[549]。また土嚢を投下するたびに元から開いていた「穴」や「裂け目」が擦り切れたり、穴が更に広がったりする現象も確認され、出口では5回目の投下で「50センチメートルの新しい穴」が開いた[548]。南署特捜本部は、以上の降下検証実験の結果から、デパートビルやプレイタウンの防火管理者が救助袋の点検や整備を怠っていたのは明らかであり、従業員が救助袋の使い方を知らなかったことが立証できたとして、関係者の刑事責任を追及する方針とした[548]

出火推定場所における燃焼実験

大阪府警捜査一課・南署特捜本部は、1972年6月22日午前10時過ぎから約4時間を費やし、出火元と推定される千日デパートビル3階東側・ニチイ千日前店の寝具売場で「燃焼実験」をおこなった[283][550]。失火の疑いが掛けられている工事監督には、供述や関係者の証言以外に直接的な証拠が存在せず出火原因を特定できないこと、またデパートビル側の防火管理の不備などについて刑事責任を追及するには科学的な立証が必要ということで、出火するまでの時間的経過や煙の流れを科学的に分析するために燃焼実験は不可欠とされた。実験に際しては、商品や装飾などを火災当日の状態に復元し、火災前の現場状況を再現した。この燃焼実験には、大阪地方検察庁、大阪市消防局、大阪府警科学捜査研究所、鑑識課員20人、火災発見者の工事作業者4人、デパート保安係員2人も実験に立ち会った[283]。当初は火災現場での本格的な燃焼実験は、建設省・千日デパート火災調査委員会から「実際の火災条件とは違うことから正確なデータが得られない」と意見が出されていて、実施が断念されていた。しかしながら捜査当局は「防火管理者らの刑事責任を追及するには科学的な検証が必要である」として、何らかの形で火災現場においての燃焼実験を模索していた。その結果、捜査当局は火災の完全再現実験は断念し、発火に至る時間的経過や煙の流動性を検証することに限定した燃焼実験を実施する方針を固めた[551]。燃焼実験に際しては、出火推定場所である3階寝具売場の木製商品台(高さ10センチメートル)の上に「夏用洋布団(化繊)」を10枚重ねで3列並べ(高さ1メートル)、鑑識課員が火の点いたマッチのすり軸を洋布団の上に投げ捨てて実験が開始された[283]。1回目は消えて失敗したが、2回目で着火に成功した。マッチの火は洋布団の上で約5分間は燻り続けたが、6分30秒後に30センチメートル四方が発火し、7分後には高さ80センチメートルの炎が勢い良く燃え上がった[283][550]。この発火の状況は、火災の第一発見者である工事作業者の目撃証言と概ね一致しており、実験現場から南西へ40メートル離れた火災当日の作業現場で待機していた4人の工事作業者の確認も得られた[550]。洋布団から燃え上がった炎と煙は、その後に天井(スラブ)まで立ち昇り、表面を這うようにエスカレーター開口部へ流れていく様子が確認された。燃焼実験の後に発煙筒を使って煙の流動性も確認された[550]

翌23日の午後からも引き続き火災現場で燃焼実験が行われ、実験2日目は「7階プレイタウン」への煙の流動性について調べられた[552]。実験の立会いは前日と同様に大阪地方検察庁、大阪市消防局、大阪府警科学捜査研究所、鑑識課員ら80人が参加していたが、そこに建築学の専門家である京大助教授も加わった[553]。出火推定場所の3階寝具売場に「夏用洋布団」計69枚を2メートル四方、高さ1.1メートルに積み重ね、14時37分にマッチで点火して実験が開始された。洋布団に着火した火は瞬時に燃え上がり、立ち昇った煙は階段、ダクト、天井やエレベーターの隙間へ吸い込まれるように流れて行く様子がモニターで確認された。実験開始から14分15秒後に7階プレイタウンの南側エレベータードアの隙間から煙が噴き出す様子が確認された。18分後にクローク前の周辺に煙が充満し、酸素ボンベを装着していない人は、その場に留まれる状態ではなくなった。更にそれから2分後にはプレイタウンのホール全体に煙が充満した[553]。この実験結果から、遅くとも出火から20分以内には、プレイタウンに煙が充満することが確認された。実際の火災では、膨大な燃焼物から発生した煙と熱は実験とは比べ物にならないほど多量であり、窓などの開口部もその多くが閉じられて閉鎖空間となっていたことから、遥かに短時間で多量の煙がプレイタウンに充満したと推測された[553]。大阪府警捜査一課・南署特別捜査本部(特捜本部)は、2日間の燃焼実験のデータを解析して工事監督の失火容疑を固め、防火管理者らの刑事責任を追及する、とした[283]。また同特捜本部は、大阪市消防局の調査結果および2日間の燃焼実験の結果を基にした「煙のデータ解析」を建設省建築研究所および京大工学部に鑑定依頼した[554][555]。これは延焼階で発生した多量の煙がどのような経路を伝ってプレイタウンに流入したのかという流動性と、多くの犠牲者を出す原因となった煙について、その速さ、量、濃度、成分がどれくらいであったかという危険度を算定する目的で為されたものである[554]。同特捜本部は、鑑定結果が発表され次第、業務上過失致死傷容疑で防火管理者らの刑事責任を厳しく追及し、書類送検する方針だ、とした[554]

厚生省旧庁舎ビル燃焼実験

1973年(昭和48年)5月9日、東京・霞ヶ関の空きビルとなった「厚生省・旧第一別館(5階建て)」を使って千日デパートビル火災の燃焼状況を調査するための実物火災実験が行われた。実施したのは建設省建築研究所、自治省消防研究所、通産省製品科学研究所で、実験は午前6時40分から開始された。本件火災の完全再現実験ということで東京消防庁から6台の消防車両が出場し警戒にあたった。同館2階フロアの一部分(225平方メートル)に千日デパート火災の3階出火当時と同じ量に相当する合計4トンの可燃物(化繊2トン、木材2トン)を設置し、アルコールを撒いて点火した。実験の時間経過と結果は以下のとおりであった[556][557][558][559]

  • 点火30秒後 化繊の衣類が燃え上がり、2階フロアの天井に黒煙が立ち込めた。
  • 1分30秒後 赤黒い炎がフロア全体を覆い、窓から黒煙が出始めた。
  • 3分40秒後 破裂音とともに窓ガラスが飛び散り、炎が窓外へ噴き出した。2階の天井全体に炎が走り、フラッシュオーバー現象が確認された。
  • 14分後 黒煙が急激に増え、階段を伝って上階に流れ始めると同時に最上階の5階に充満した。5階には「ハツカネズミ」30匹を置いていたが、煙の流入により激しく暴れて苦しがる様子が計測装置に記録された。
  • 33分後 1階の階段入り口から大型送風機を使い、毎分1,000立方メートルの強制送風を開始したところ、階段部分の煙は薄らいだが、2階出火階はバックドラフト現象を起こして激しい炎に包まれ、室内の温度は摂氏1,200度に達した。上階の煙はより一層濃くなり黒煙で視界が利かなくなった。5階のハツカネズミは3分の1が動かなくなった。
  • 60分後 2階の火勢は衰えず、窓枠が損傷して落下した。5階の一酸化炭素濃度は1立方メートルあたり0.07パーセント、酸素濃度は10パーセントを切り、人間が同階で生存不可能な状態に達した。

87分後に建物裏側(中庭)で輻射熱により隣の建物へ延焼し始めたため消火作業が開始された。火災実験はそこで打ち切りとなった。この実験で各階における煙の流動性、一酸化炭素濃度と強制送風による避難路確保の可能性などについて計測し、今後のビル火災対策上の貴重なデータを得た。特に火災の延焼の速さには専門家から驚きの声が上がった。また煙をビル内から排出する目的で強制送風を行った実験(点火33分後)では、本件火災と全く同じ状況が再現されたことから、外部から大量の空気をビル内に入れることは火勢と煙を増やすことに繋がるので危険性が高いとされた[注釈 65][558][559]

労働省旧庁舎ビル燃焼実験

旧厚生省ビルでの火災実験から約1か月後の6月3日、東京消防庁は東京千代田区大手町の「労働省・旧庁舎ビル(3階建て)」を実際に燃やして火災実験をおこなった。実験の目的は、消防用設備などが実際にどのような働きをするのかを確かめるためであった。各階にスプリンクラー、防煙シャッター、熱感知器、煙感知器、誘導灯などを設置し、1階と3階で同時に点火してその効果を確認した。午前7時15分に点火し実験が開始され、点火6分後に建物全体に煙が充満した。実験の結果では、煙感知器と熱感知器を比較すると、煙感知器のほうが早く反応したため、本件火災においては出火から2分30秒から3分までが避難の限界だったとされ、熱感知器および煙感知器の設置が不可欠だったとされた。だが実際には千日デパートビルの出火階と延焼階(2階ないし4階)に煙感知器はおろか熱感知器すら設置されていなかった。当実験では、階段に1か所「防煙シャッター」が設置され、煙の遮蔽性が調べられたところ、煙の流動が始まってから約10分間は煙を完全に遮断することが確認された。これらの実験結果を受けて東京消防庁は、防煙対策は防火管理上において必要不可欠として、ビルの管理権原者が防煙対策を怠った場合には、厳しく告発するとした[560]

調査研究

千日デパート火災調査委員会

建設省は、千日デパートビル火災について、建築構造的な見地から本件火災事故を調査し、被害が拡大した原因を解明することで今後の防災対策を図るため、臨時に「千日デパート火災調査委員会(委員長・星野昌一)」(以下、調査委員会と記す)を設けた[561]。本件火災事故は、未曾有の被害を出した上に特異な原因や状況が見られたことから徹底した現場検証を行ったうえで調査検討がなされた。調査委員会メンバーは、11人の委員と5人の専門委員で構成され、建築学の権威や関係各省庁などの専門家らが参加した[561]。火災発生の同年8月31日に「中間報告」を発表し、基本的見解をまとめた[562]。火災事故から間もない時期に中間報告を発表した理由は、再発防止策を社会的に実施していくうえで行政の準備と対応が早急に必要であったからである[562]

調査委員会が中間報告でまとめた見解では、火災被害拡大の根本原因として以下の2点が挙げられた[562]

  1. 大量の可燃物が燃焼したことでエスカレーター開口部などの竪穴を通じて上下階に火災が延焼拡大したこと。
  2. 大勢の人々が滞在していた7階プレイタウンに火災の情報伝達が為されず、避難誘導が不適切だったことと相まって避難する機会を失ったこと。

千日デパートビルの建築構造上の欠陥については、空調ダクトやエレベーターシャフトおよび階段区画の防煙措置の不完全、避難階段および避難通路の不備、給排気システムの不備が挙げられた[561]。建築構造上の欠陥には、設計計画上および維持管理上の不備も含まれており、空調リターンダクト内の防火ダンパーが3か所設置されていたにもかかわらず、一つも作動していなかったことはその典型例とされ、ビル設備の常時点検や維持管理の必要性が指摘された。また法令による定期検査の強化も必要とされた[562]。建築構造上の欠陥に対する火災被害防止対策としては、大量の可燃物の取り扱いに対する安全対策、情報伝達の整備、排煙および給気システムの整備、避難路の整備、救助活動と消火活動の検討、上階への煙流入の防止対策などが提言された[563]。また今後の研究対象としては、避難路確保の技術的解明が必要とされた[564]

調査委員会は、火災発生から1年5か月後の1973年12月、最終報告書をまとめた。

建設省建築研究所による煙に関する鑑定報告

建設省建築研究所は、千日デパートビル火災の際に延焼階で発生した煙に関して、7階プレイタウンに流入した経路、量や質、濃度、危険度などの6項目について、大阪府警捜査一課・南署特別捜査本部(特捜本部)から鑑定を依頼されていたが、1973年3月27日にその結果がまとまり、同月29日に同特捜本部へ提出された[64][565]。この鑑定書は1972年6月22日、23日両日に南署特捜本部が火災現場で実施した「燃焼実験」の結果および大阪市消防局の火災調査の結果を基に同建築研究所が10か月の期間を掛けてコンピューター解析し、作成したものである。同特捜本部は、同建築研究所の鑑定結果から刑事責任追及は妥当だと判断し、千日デパートビルの防火管理者や7階プレイタウンの防火管理者らを業務上過失致死傷の容疑で送検する方針だ、とした[64][565]

建設省建築研究所の鑑定によれば、3階の出火推定場所で工事監督が充分に消えていないマッチの擦り軸を商品の洋布団の上に投げ捨てたことにより、その5、6分後に火の手が上がり、10分後には高さ3.15メートルの天井まで火柱が到達した。その直後に火は天井面を這ってフロア内部を流れてフラッシュオーバーを起こし、輻射熱で3階の温度は摂氏300度に達してフロア全体が火の海になった。その後に同階の防火シャッターが閉まっていなかったエスカレーター開口部や階段出入口から上下階へ延焼し、火災発生18分後に延焼階の温度は摂氏600度から800度に達した。延焼していない7階プレイタウンの室温は、流入した煙と熱気の影響で摂氏80度に達したと計算された[64][565]

火災で発生した煙の量は、ピーク時で毎分あたり3トン、容積換算では7000立方メートルをはるかに超え、和室6畳間の容積を基準に比較すると実に233倍以上だと計算された[64]。7階プレイタウンに流入した煙は、火災発生6分後には7階プレイタウンに到達した。その流入した割合は、発生した煙全体の10パーセントだったと計算され、流入経路はおもに事務所前のリターンダクト、らせん状のF階段、南側エレベーターシャフトからで、その噴出割合はリターンダクトからが18パーセント、F階段67パーセント、南側エレベーターシャフト15パーセントだと計算された[64][565]。煙の流れは異常なほど早く拡散しており、その要因としては、千日デパートビルは商業施設ということで各階が開放型売場であることから壁や間仕切りなどで細分化されておらず、煙の拡散を遮断できなかったことが影響した。さらには北東正面などの出入口が消火作業のために開放されたことにより、大量の空気が流れ込んだ影響で煙の流れが加速された[565][64]。7階プレイタウンでは、外窓の開口部が小さく、更には非常口や屋上出入口が閉ざされていたために煙の排出が殆ど為されなかったことから、同階に流入した煙の濃度は、室内の見通し距離から濃度を算定する「減光係数」では最大「24」だと解析された。この数値は「0.1から0.2」で避難安全限界に達するとされていることからすれば、実に200倍以上の猛煙だったことになり、プレイタウンの避難者には一寸先も見えなかった[64][565]

延焼階で燃焼した物品は、おもに化繊商品や新建材で、その量は25トンだった。煙の成分はおもに一酸化炭素で有毒ガスも発生したが、その量は微量だったと解析された。7階プレイタウンにおける酸素濃度は、延焼が進むにつれて急激に減少し、煙の流入から17分後には酸素と一酸化炭素の濃度は同比率となり、その2、3分後には一酸化炭素の濃度が極端に増えて、プレイタウン滞在者の煙死に繋がった。火災で煙の詳細な鑑定や解析が為されたのは、わが国では初の事例であった[64]

民間における調査研究

本件火災の調査研究は、公的機関以外に民間でも調査研究が行われた。代表的な例として「防災都市計画研究所」および「MANU都市建築研究所」が合同で行った調査研究が挙げられる。その成果は一冊の報告書「千日デパート火災研究調査報告書・防災の計画と管理のあり方を検討する(村上處直高野公男著)」にまとめられた[566]。本件火災は、人的被害および物的被害が甚大で未曾有の大災害であったが、そのなかにおいて63名の生存者がいたことで、公的機関による調書や報道インタビューから多くの証言が得られた。そこを手掛かりに火災の時間的な経過を出火場所、1階保安室、7階プレイタウン、消火救出活動に分け、時系列的に各所における人々の行動や事象をすり合わせて検証することが可能な事例として詳細な調査研究が期待された[567]。従来の日本の火災調査では、原因や死傷者数、損害などについて詳細に述べられるのが定番だったが、延焼中の建物内における人間の動きや煙の充満過程など、実際にどのようなことが起こっていたか、時系列的に検討された報告書は無かったという[567]

本調査研究では、実際に調査員らが鎮火直後の火災現場に赴き、写真撮影を含めてデパートビル内を綿密に調査し、報道や証言などを加味しながら本件火災を多角的に検証した。現地調査は2度にわたり行われた[568][569]。特に重視されたのは、人々が実際に7階プレイタウン内で取った避難行動を解析し、建築構造的にどのような対策を立てれば火災時に避難を円滑にして人的被害を最小にできるのかについての検討である[570]。調査研究の成果から、防災計画についての新たな方策や知見が得られたことから、以降の超高層ビル建設などにその成果が活かされることになった[571]。火災に際して煙の流入と拡散を建物の空間に及ぼさない、または煙の拡散を可能な限り遅らせることが人命を守るうえで重要であることから、本件火災以降の超高層ビルの建設にあたっては、避難階段や廊下を加圧すること、ダクト内の防煙ダンパーを確実に作動させることの概念が普及し、加圧防煙システムが取り入れられるようになった[572]

法令の改正

千日デパート火災を教訓として、全国消防長会総会、消防審議会などで再発防止に向けた議論および検討がなされた結果、国会審議を経て消防法令、消防規則、建築基準法令が改正されることになった[573][574]

本件火災以降に改正された消防法令および規則は、1972年(昭和47年)12月1日に消防法施行令の一部改正(政令第411号)、1973年(昭和48年)6月1日に消防法施行規則の改正(自治省令第13号)、1974年(昭和49年)6月1日に消防法の一部改正(法律第64号)、1974年6月1日に消防施行令改正(政令第188号)、1974年7月1日に消防法施行令の一部改正(政令第252号)、1974年12月2日に消防法施行規則の一部改正(自治省令第40号)である[573]。また建築基準法令については、1973年(昭和48年)8月23日に建築基準法施行令の一部(政令第242号)が改正された[575]。本節では、改正された法令のうち消防法令の「消防法施行令・政令第411号(1972年)」と「消防法・法律第64号(1973年)」について、消防法施行規則「自治省令第13号(1973年)」について、また「建築基準法令の建築基準法施行令・政令第242号(1973年)」について記す。また表示制度の端緒となった「消防用設備等『良』マーク表示制度」についても併せて記すことにする。

なお、この節の本文で記した法令の内容、用語、条項は、当該法令が改正された当時(1972年から1974年まで)のものである。したがって現行(2022年)の法令とは異なる部分がある。

消防法施行令の一部改正(政令第411号)

1972年(昭和47年)12月1日、消防法施行令を一部改正する政令が公布された(政令第411号・第17次改正)[576]。施行は1973年(昭和48年)6月1日で、一部は公布日に施行された[577]。本件火災では、火災発生の報知と情報がプレイタウン滞在者に伝わらなかったことで多数の逃げ遅れにつながったこと、管理権原者および防火管理者の責務と役割に不明確な部分があったため、避難誘導や防火管理の不手際につながったこと、また安全な避難口(B階段)の場所がプレイタウン滞在者には分からなかったことなどにより、多大な人的被害を出したことへの教訓を活かすため、これらを重点的に見直す内容となった[578]。この政令は、消防用設備のうち「自動火災報知設備」については既存不適格な防火対象物においても「遡及適用の対象」となったことから画期的な政令とされ、消防関係者の間では「千日政令」と呼ばれた[579]。改正のおもな内容を以下にまとめた。

防火管理に関する事項
1.防火管理者を定めるべき防火対象物の規定を強化した。
劇場、キャバレー、飲食店、百貨店、ホテル、病院、サウナなどの特定防火対象物の用途に使われる部分が存在する複合用途防火対象物で「収容人員が30人以上」の防火対象物は、防火管理者を定めなければならないとされた[580][581]。従来は「収容人員50人以上」となっており、不特定多数の人を収容する施設と身体的弱者を多く収容する施設について、より規定を厳しくした[582]
2.防火管理者の資格を明確化した。
防火管理者の業務を遂行するには、防火に関する知識を有している必要があり、管理権原者との間で連携が取れていなくてはならない。防火管理者の資格を有しているものは、管理する防火対象物において、適切に業務を行える管理的または監督的地位にあることと定められた[583]。従来は防火管理者の資格が定義されていなかった。
3.管理権原者および防火管理者の責務を強化した[576]
防火管理者は、防火管理上の業務を行うときは、管理権原者の指示や判断を求めなければならないとされた[581][584]。また管理権原者は、防火管理者に対して必要な指導と監督を行い、防火管理者の業務を実施させる責務を負うとされた。従来は防火管理者の責務として「誠実にその職務を遂行しなければならない」としか条文に書かれていなかった[582]。また管理権原者の防火管理者に対する指導監督的役割を明確化した。
また防火管理者は、省令の定めにより消防計画を作成し、それに基づき消火、通報、避難訓練を定期的に実施しなければならないとした[582][585]。従来は「省令の定めに」という部分が抜けていた[582]。この条項は政令公布日(1972年12月1日)に施行された[577]
4.共同防火管理を要する防火対象物の範囲を拡大した。
劇場、キャバレー、飲食店、百貨店、ホテル、病院、サウナなどの特定防火対象物に使われる部分がある複合用途防火対象物は、地下を除いて階数が3以上のものが共同防火管理が必要とされた[586]。従来は「地下を除いて階数が5以上」とされていて、以前よりも範囲を拡大し基準を厳しくした[587][588]。不特定多数の人を収容する施設と身体的弱者を多く収容する施設を対象とした。
防炎防火対象物に関する事項(省略)
消防用設備等に関する事項
1.スプリンクラー設備
(ア)特定防火対象物のうち平屋建て以外の防火対象物で床面積が6,000平方メートル以上のものには、スプリンクラーを設置しなければならないとされた(自治省令で定める部分を除く)[589][590]
従来は、百貨店などの建物で、売場面積の合計が9,000平方メートル以上かつ4階以下、または6,000平方メートル以上の場合は5階以上の建物が対象とされていたが、階数の規定をなくし、より設置基準を厳しくした[591]。また平屋建てについては避難が容易であることから設置対象から外した[591]
(イ)特定防火対象物に使用する部分がある複合用途防火対象物で、特定防火対象物の用途に使われる部分の床面積の合計が3,000平方メートル以上の階のうち、当該部分がある階全体にスプリンクラーの設置が義務づけられた[592][593]
従来は、雑居ビルなどの場合、用途ごとに防火対象物の基準を適用してスプリンクラー設置の有無を決めていたが、複合用途防火対象物は、使用時間が用途によって異なること、防火管理が別々に行われること、また不特定多数の不案内な人たちが多く利用することを考慮し、設置基準をより厳しくした[594]。該当部分だけにスプリンクラーを設置したのでは消火効果が十分に発揮できないこともあり、該当する階全体に設置するよう改められた[595]
(ウ)防火対象物の11階以上の階にはスプリンクラーの設置が義務づけられた[596][597]。従来は、11階以上の階に関して特定防火対象物で防火区画された部分以外の面積が100平方メートルを超える場合に設置義務があったが、高層階は消防活動が困難なことから、防火区画や建築基準の如何にかかわらず、設置を義務づけた[594]。またスプリンクラーヘッドの技術基準も強化された[598][599]
2.自動火災報知設備
(ア)百貨店、飲食店などの特定防火対象物で延べ面積が300平方メートル以上に自動火災報知設備の設置が義務づけられた[600][601]
従来は、500平方メートルで設置の義務があったが、不特定多数の利用者が出入りする建物については、火災の早期発見および早期通報が重要であるとして基準が強化された[602]。千日デパート火災においては、火災の報知と通報、情報伝達が早期になされなかったことで多数の死傷者を出すに至っている。
(イ)複合用途防火対象物で延べ床面積が500平方メートル以上かつ当該部分の床面積が300平方メートル以上のものは、自動火災報知設備の設置を義務づけられた[603][604]
(ウ)防火対象物の11階以上の階に設置を義務づけた[605][606]
自動火災報知設備の基準に関しては、劇場、キャバレー、飲食店、百貨店、病院、社会福祉施設、サウナおよび特定防火対象物の用途に使われる部分がある複合用途防火対象物については、既存の建物においても「遡及適用」の対象とされた[574][607]。この基準は1975年(昭和50年)12月1日から施行するとされ、設置完了までの猶予期間が設けられた[577]
3.漏電火災警報器
特定防火対象物の用途に使われる部分がある複合用途防火対象物について、延床面積が500平方メートル以上かつ当該部分の床面積合計が300平方メートル以上、契約電流50アンペアを超える複合用途防火対象物に漏電火災報知器の設置を義務づけた[606][608]
従来は、複合用途防火対象物については、「それぞれの用途」に対して適用されていたものを用途を問わず50アンペアを超える場合には設置を義務づけていた[609]
4.非常警報設備
不特定多数を収容する施設においては、火災発生時に避難が円滑に行われなければならない観点から、音声による誘導が必要であるとし、放送設備の設置が義務づけられた。
対象となったのは複合用途防火対象物で収容人員が500人以上のもの[606][610][609]。劇場、キャバレー、百貨店、飲食店、サウナ公衆浴場で収容人員300人以上のもの[609][611]。寄宿舎・共同住宅、学校、図書館・美術館で収容人員800人以上のもの[609][611]
5.避難器具
(ア)防火対象物の3階以上の階のうち、避難階または地上に直通する階段が2以上設けられていない階で、収容人員10人のものには避難器具の設置を義務づけた[612][613]。これは、いわゆる「ペンシルビル」の避難対策で新設された。
(イ)避難器具の設置および維持に関する技術基準が強化された(詳細省略)[613][614]
6.誘導灯および誘導標識
(ア)特定防火対象物に使われる部分がある複合用途防火対象物に避難口誘導灯、通路誘導灯、客席誘導灯および誘導標識を設ける場合は、建物全体に誘導灯を設置するように義務づけられた[615][616]。従来は、用途ごとに設置基準が定められていたが、避難を一体的に行う必要があることから改められた。
(イ)「避難口」を明示した表示も認められることになった[617][616]。従来の誘導標識は「避難する方向を明示するもの」と定められていた[616]。本件火災の被害拡大の一因として、唯一の安全な避難階段であるB階段の避難口の場所が分からず、ほとんどのプレイタウン滞在者が脱出できなかったことへの教訓である。
7.適用が除外されない消防用設備[注釈 66]
消防法第十七条の二第1項で定める消防用設備等のうち、自動火災報知設備に関しては、当該規定を適用する防火対象物に特定防火対象物を新たに加えた[618][619]。従来は旅館、ホテル、宿泊所、病院、療養所、文化財だけが適用の対象とされていた[620]
消防法施行令・別表第一に関する事項
従来の複合用途防火対象物「16項」を「16項(イ)」と「16項(ロ)」に区分した[621][622]
千日デパートのような特定防火対象物の用途に使われる部分がある複合用途の建物(いわゆる雑居ビル)は、建物に不慣れな不特定多数の人々が利用するため、火災が発生した場合に避難が困難になるおそれがあり、危険度がきわめて高いことから「16項(イ)」を新たに作り分類し直した。従来の「住居兼店舗」または「住居兼倉庫」を想定した複合用途防火対象物は「16項(ロ)」とした[622]
従来の「16項」の条文は、「前各項(1項から15項)に掲げる防火対象物以外の防火対象物で、その一部が前各項に掲げる防火対象物の用途のいずれかに該当する用途に供されているもの」とだけ書かれており、「16項(イ)」は、新たに「前各項に掲げる防火対象物以外の防火対象物のうち、その一部が前各項に掲げる防火対象物の用途のいずれかに該当する用途に供されているもので、1項から4項まで、5項(イ)、6項または9項(イ)に掲げる防火対象物の用途に供される部分が存するもの」と定義され、「雑居ビル」および「商業ビルなどの大規模な複合用途」という概念が明確化された[622]

消防法施行規則の改正(自治省令第13号)

1973年(昭和48年)6月1日、消防法施行規則の一部を改正する省令が公布された(自治省令第64号)。

千日デパートビル火災では、工事作業中の工事関係者による失火が火災原因と考えられていることから、防火対象物の工事に携わる管理者や補助履行者の指示および管理について、必要な防火対策を施し出火の防止に努めるよう、消防計画に定めなければならないと規定された[623]。そのほかに地震が発生した場合の自衛消火活動、通報、避難誘導についても規定された[623]。また特定防火対象物および複合用途防火対象物の防火管理者は、消防計画に基づいた年二回以上の避難訓練を実施しなければならず、訓練を実施する場合は管轄の消防署に連絡しなければならないと規定された[623]。(消防法施行規則・第三条「消防計画」に付加[624]

消防法の一部改正(法律第64号)

1974年(昭和49年)6月1日、消防法の一部を改正する法律が公布された(法律第64号)。

千日デパート火災発生から約10か月、未曾有の大災害からの警戒心からだったのか、しばらくは治まっていた大規模なビル火災が再び起こり始めていた[注釈 67]1973年(昭和48年)3月8日に起きた福岡県北九州市八幡区(現・八幡東区)の済生会八幡病院火災(死者13人、負傷者3人)を皮切りに、同年5月28日には東京都新宿区歌舞伎町第6ポールスタービル火災(死者1人)、6月18日には北海道釧路市オリエンタルホテル火災(死者2人、負傷者35人)[578]、9月28日には大阪府高槻市の西武高槻ショッピングセンター火災(死者6人、負傷者13人)が相次いで発生した。そのような状況だったことから年末に向けて、火災への警戒がより一層の高まりをみせていた。「秋の火災予防運動」も終わろうとしていた11月29日、熊本県熊本市下通の大洋デパートで白昼に火災が発生し、死者104人[625][626][627][注釈 68]、負傷者124人[628][注釈 69]を出す大惨事が再び起こった。政府や消防関係当局は、千日デパート火災の惨事を教訓に消防および建築関係法令などを改正し、避難訓練の実施を図り、消防設備などの検査や査察を強化するなど、さまざまな対策や再発防止を図ってきた。しかし、その努力が不十分だったことが明らかになり、ついに消防法令において既存不適格の防火対象物に対し「消防用設備等設置の遡及適用」を行うことになった[575][574]

消防法改正のおもな内容
既存の防火対象物に対して消防用設備などの遡及適用を新設した[573][574][575]。特に重要な内容は、特定防火対象物のうち、劇場、キャバレー、百貨店、ホテル、旅館、病院、公衆浴場(サウナ)、複合用途、地階がある建物、地下街については適用除外を除くとしたことである。つまり、それらの用途については、たとえ既存不適格状態であっても、要件を満たした場合には例外なく法令で定められた消防用設備を技術基準に従い設置する義務を負う。また用途変更の場合も遡及適用の対象とされた。さらに法施行時に既存不適格の特定防火対象物が大規模な工事(新築、増築、改築、移転、修繕、模様替え)を行っていた場合には、消防用設備などの技術基準を遡及適用するとした。用途によって消防用設備などの設置を完了しなければならない期限を具体的に定めた[629]。百貨店、地下街、複合用途の特定防火対象物については、1977年(昭和52年)3月31日までに(施行日は翌日の4月1日から)、また旅館、病院その他の特定防火対象物は、1979年(昭和54年)3月31日(施行日は翌日の4月1日から)までに消防用設備等の設置を完了することとし、その維持を義務づけた[573][629]
遡及適用される消防用設備などは、以下の設備が対象とされた。なお、火災等を感知して警報を発する設備や器具、または避難誘導に必要な器具等は、防火対象物の区分や用途に関わらず遡及適用の対象とした[629]
  • 消火設備については、消火器、屋内消火栓、スプリンクラー設備、水噴霧消火設備、屋外消火栓、動力消火ポンプ
  • 警報設備については、自動火災報知機、ガス漏れ火災警報設備、漏電火災警報器、消防機関通報設備、非常警報器具、非常警報設備
  • 避難設備については、避難器具、誘導灯、誘導標識
  • 消火活動に必要な施設については、連結送水管、排煙設備、連結散水設備、非常コンセント設備など。

そのほかには、防火管理に関する事項として、防火管理者の業務が法令や規定、消防計画に従って行われていないときは、防火対象物の管理権原者に対して必要な改善措置を命令することができるようにした。命令は、消防計画を定めていない場合、消防計画を届けていない場合、避難訓練が行われていない場合に発動することができ、違反には罰則が設けられた。また消防用設備などの検査を受けること、また消防用設備などの点検および報告を行うことが義務づけられ、違反には罰則が設けられた[574][629]

建築基準法施行令の一部改正(政令第242号)

1973年(昭和48年)8月23日、建築基準法施行令の一部を改正する政令が公布され(政令第242号・第13次改正)[630]、1974年(昭和49年)1月1日に施行された[631]。ただし第136条の改正規定は公布日から施行とされた[632]

本件千日デパート火災と1973年3月の北九州済生会病院火災においては、建築構造や防火避難設備などの建築基準法令の規制に問題があったことから、煙によって多数の死傷者を出すに至った。本政令改正のおもな要点は、煙対策と避難施設の規定に関して行われ、それらを強化する内容となった[574][630]。改正のおもな内容を以下にまとめた。

防火区画に関する規定強化
常時閉鎖式防火戸の導入を規定し、防火区画における防火戸の常時閉鎖を原則とした(防火区画・第112条)[574][630]

耐火建築物等の防火区画に用いる甲種防火戸[注釈 70]または乙種防火戸[注釈 71]は、面積が3平方メートル以内で常時閉鎖状態を保持する防火戸で、直接手で開くことができ、かつ自動的に閉鎖するもの、またはその他の防火戸は以下の各号の構造にしなければならない、とされた[633]
(ア)随時閉鎖することができること[633]
(イ)居室から地上に通じているおもな廊下、階段、その他の通路に設ける防火戸は、当該戸に近接して当該通路に常時閉鎖式防火戸が設置されている場合には、従来の規定は適用されない、とした[633]
(ウ)当規定による区画に用いる甲種防火戸[注釈 70]および乙種防火戸[注釈 71]にあっては、建設大臣の定める規定に従って、火災により煙が発生した場合または火災により急激に温度が上昇した場合のいずれかに自動的に閉鎖する構造にすること、とした[574][634]。また建築基準法令の規定による区画に用いる甲種防火戸[注釈 70]、または建築基準法令の規定による区画に用いる乙種防火戸[注釈 71]にあっては、避難上および防火上支障のない遮煙性能を有する構造とすること、とした[634]
従来においても防火戸は「随時閉鎖、手動開閉可能、火災による温度急上昇で自動閉鎖」の規定はあったが、煙が発生した場合に自動閉鎖すること、煙を遮蔽する性能を有する構造に関してまでは規定していなかった[635]。本件火災では、プレイタウンに直結していた特別避難階段「B階段」出入口の扉2枚は、ドアチェックが装備されていなかったとみられ(随時閉鎖機能がない扉)、2人の脱出者がB階段を使用して脱出したあと、扉2枚が開け放たれた状態になっていた。その影響で7階フロアから煙がB階段に逆流し、消防隊の内部探査や救出活動に支障をきたした。

防火ダンパーの材質、性能などを具体的に規定した(防火区画・第112条の16)[632][574]
  1. 空調ダクトが耐火構造の防火区画を貫通する場合に設ける防火防煙ダンパーは、以下の場合に自動で閉鎖する構造にすること、とされた[634]
    (ア)火災により煙が発生した場合[636]
    (イ)火災によりダクト内が急激に温度上昇した場合[636]
  2. 防火防煙ダンパーの構造は、前記(ア)(イ)以外に以下の構造にすること、とされた[634]
    (ア)鉄製であること。また鉄板の厚みは1.5ミリ以上であること[634]
    (イ)ダンパーが閉鎖した場合に防火上支障のある隙間が生じないこと[637]
    (ウ)建設大臣がダンパーとしての機能を確保するために必要があると認めて定める基準に適合する構造とすること[637]
    従来も防火防煙ダンパーの設置は規定されていたが、その技術基準があいまいで「防火上有効にダンパーを設けること」としか規定されていなかった[638]。本件火災では、プレイタウン事務所前の廊下に設置していた空調ダクト吸入口から大量の煙が流入したことで多数の死傷者を出すに至った。ダクト内には防火防煙ダンパーが3か所設置されていたにもかかわらず、いずれも作動しなかった。
2以上の直通階段設置を義務付ける用途の範囲を拡大
2方向避難の原則から2以上の直通階段を設ける場合の適用範囲を拡大した(2以上の直通階段を設ける場合・第121条)[574][632]。建築物の避難階以外の階が以下の各号に該当する場合には、避難階または地上に通じる2以上の直通階段を設けなければならない、と定められた[639]
  1. 酒場やキャバレー、ナイトクラブなどの用途に使用する階(新設)[640]。ただし、5階以下の階で居室の床面積が100平方メートルを超えず、避難バルコニーまたは屋外通路などがあり、避難階から地上に通じる規定の直通階段が設けられており、避難階の直上または直下の5階以下の階で床面積が100平方メートルを超えないものは除外される、とした[641]
  2. 病院または診療所に対する規定に対し、新たに児童福祉施設などを加えた[642]。病院または診療所の用途に使われる階で、その階における病室の床面積の合計または児童福祉施設などの用途に使われ、その用途の居室面積の合計が50平方メートルを超えるもの、とした[642]
  3. 6階以上の階に居室がある場合[643]。ただし、1から3に掲げた用途に使用する階以外で、その階の居室床面積の合計が100平方メートルを超えず、その階に有効な避難バルコニーまたは屋外通路などおよび既定の地上へ通じる直通階段が設けられているものは除く、とした[642]。従来は「6階以上の階」とは規定されていなかった[642]
  4. 5階以下の階で居室の床面積の合計が直上階で200平方メートル、その他の階で100平方メートルを超えるもの[644]。従来は「5階以下の階」とは規定されていなかった[642]
避難階段および特別避難階段の構造を強化した(避難階段および特別避難階段の構造・第123条)[574][632]
(ア)屋内に設ける避難階段の階段に通じる出入口には、常時閉鎖式防火戸である甲種防火戸もしくは乙種防火戸、またはこれ以外の法令が規定する甲種または乙種防火戸を設置すること[645]、また直接手で開くことができ、かつ自動的に閉鎖する戸および戸の部分が避難する方向に開くことができるものとすること、と定められた[645]
(イ)特別避難階段の出入口に設ける甲種防火戸または乙種防火戸の構造は、屋内からバルコニーまたは附室に通じる出入口には規定の甲種防火戸を[646]、バルコニーまたは附室から階段に通じる出入口にも同じ甲種防火戸をつけること、と定められた[646]
地下街の区画の規定(地下街・第128条の3)
  1. 地下街の各構造が他の地下街の各構造と接する場合は、耐火構造の床もしくは壁、または法令で規定する常時閉鎖防火戸である甲種防火戸で区画しなければならない、と定めた[647]
  2. 地下道においても前項と同じ構造で区画する、とした[647]
    また新たに防火戸の技術基準を高めた規定を適用した[648]
内装制限の強化
特殊建物に対する内装制限を強化した(特殊建築物等の内装・第129条)[574]
特殊建築物の居室の壁および天井の室内に面する部分の内装仕上げは、3階以上で不燃材料または準不燃材料であること、と定められた[649]。ただし、3階以上に居室を有しない建築物は従来どおり不燃材料、準不燃材料または難燃材にすることができるとした[649]。従来は「3階以上の階」という規定がなかった[648]

なお以下の改正項目について当記事では省略した。木造等の建築物の防火壁(第113条)、共同住宅の住戸の床面積算定等(第123条の2)、非常用の昇降機の設置を必要としない建築物(第129条13の2)、敷地内の空地および敷地面積の規模(第136条)。

消防用設備等「良」マーク表示制度の導入

1972年(昭和47年)11月28日、「予防査察の強化について」と題する自治省消防庁次長通達が自治体の知事宛てに出され(消防予第198号)、「消防用設備等『良』マーク表示制度」の導入が決められた。表示制度の適用対象は、特定防火対象物の第一種査察対象物かつ耐火建築物とされた[650]。これは消防用設備などの設置が法令の基準を満たしている特定防火対象物に「良マーク」を与えて建物の入口などに表示させ、防火管理者などの認識を深めて消防用設備などの保守管理に完全履行を促し、防災意識を高めることを意図した制度である[651]。国の指導による表示制度の導入は初めての試みであった。「良マーク」表示制度は、のちの「特例認定制度(適マーク)」や「優良防火対象物認定表示制度(優マーク・東京消防庁)」などの表示制度や公表制度、認定制度全般に繋がるきっかけとなった制度である[650]

表示制度の導入は、千日デパートビル火災の前年(1971年)から東京消防庁では予防査察の結果が極めて悪質な防火対象物を公表することと併せて検討されていた[652]。実際に同庁では、大然閣ホテル火災および本件火災の発生を受けて、ホテル、旅館、雑居ビル、百貨店などに対して特別査察を実施し、特に悪質な26件の防火対象物をマスコミを通じて既に公表していた。その実績が行政監察当局から評価され、表示制度発足の後押しになった[653]。だが当初において東京消防庁では、表示制度の導入にあたっては幾つかの問題点を指摘していた。それは、消防用設備等に「良」の御墨付きを与えても、その機能と有効性が建物や施設全体について、どこまで担保されるのか定かではなく、維持管理が疎かになれば「良」を与えた設備から火災が発生する可能性もあることから、行政の責任が問われる事態を懸念したからである[654]。しかしながら社会全般の防災意識の高まりや時期的に好機だったことから、全国に先駆けて東京消防庁が「良マーク」表示制度の導入を決めた[654]

1973年(昭和48年)3月から4月にかけて、都内のホテルや旅館など2,735件の特定防火対象物について、東京消防庁・全67消防署が一斉に立ち入り検査を実施した。その結果、消防用設備などが完備され、防火管理も適正に行われている「95の施設」に対して「良マーク」が交付されることになった[651]。交付は同年5月19日から開始され、有効期間は1年、立入検査の結果によって更新されるが、有効期間内であっても法令違反などがあった場合は回収する、とした。「良マーク」は、建物の出入口の見やすい位置に掲示することが義務づけられた。自治省消防庁の通達に基づいて実施される制度であることから、各消防本部の実状に応じて全国的に実施していく予定とされた[655]。本制度の運用が広がりを見せようとした矢先、大洋デパート火災が発生し、再び甚大な被害が出てしまった。このあと消防および建築関連の法令改正が行われ、消防用設備等の技術基準も大幅に改定されたことから、既存設備が安全基準から大きく外れる事例が増えていった。法令の遡及適用が新たに導入され、既存不適格な状態が許されなくなったことからも新基準に適合させるまでの猶予が必要となり、消防用設備に対する安全性の尺度が不明確になっていった[656]。それらの事情により1974年(昭和49年)12月、東京消防庁は新基準に適合した防火対象物には継続提出で表示を与え、新規で表示を与えることを中止した[656]。同庁は「良マーク」表示制度の運用を一時凍結し、自治省消防庁と表示制度の問題点を協議することになった[650][656]








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