千日デパート火災 千日デパートについて

千日デパート火災

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 22:45 UTC 版)

千日デパートについて

千日デパートは、1958年(昭和33年)12月1日に大阪ミナミの繁華街千日前の千日前交差点・南西角に建っていた初代大阪歌舞伎座を改築し、新装開業した複合商業施設である[21]。経営者は日本ドリーム観光(1958年12月当時の社名は千土地興行。1963年に改称)で[21]、個人店舗が数多く出店して専門店街を形成し、そのほかに劇場、オフィス、催事場、飲食店、遊技場、キャバレーなどがテナントとして入居していた[21]。なおデパートと名乗っているが、旧百貨店法の百貨店業を営む者または百貨店業者には該当しない[21][68]。火災焼失の1972年(昭和47年)5月14日から全館休業状態になった[69]。その後、一度も営業を再開することなく、1980年(昭和55年)1月14日に千日デパートビルの取り壊しが決まり[70]、千日デパートは、13年5か月あまりの歴史に幕を降ろすこととなった[70]

千日デパートの開業

1954年(昭和29年)に千土地興行(日本ドリーム観光の前身)の社長に就任した松尾國三は、その当時において不採算に陥っていた大阪歌舞伎座大阪楽天地[71]の跡地に1932年(昭和7年)9月28日竣工)を閉鎖して新たに新歌舞伎座を難波駅近くの難波新地5番町に建設し[72]、空いた旧大阪歌舞伎座の建物を改造して商業施設に改装する構想を立てた[72]アシベ名店街の成功によって自信を持った松尾は、新装開業させる商業施設を心斎橋の既存百貨店に匹敵する小売店舗の集合ビルにするべく計画スタートさせた[72]。新しい商業施設は、新歌舞伎座開業予定の1958年(昭和33年)10月に続き、同年12月の開業を目指すこととなった[72]。改装費は総額10億円とした。これが千日デパート誕生のきっかけである。開業前は日本初の大規模ショッピングセンターまたは立体的商店街と銘打ち[73]、当初テナントから賃料と保証金および付加使用料(共同管理費)を徴収する賃貸方式で経営を予定していたため、小売店舗の集合ビルという意味で千日センターと呼ばれるはずだった[74]。経営の目論見としては専門店と百貨店の長所を盛り込んで「高級路線のショッピングセンター」を狙っていた。ところが歓楽街という土地柄や、開業のタイミングが不景気と重なったことが影響してテナントの募集に対して応募が低調になり、大衆向きに路線を変更せざるを得なくなった。そこで商業施設側が売場を直接経営し、入店するテナントに売場の営業権を与え、商品を納入させて売り上げ金の一定割合をテナントから徴収する納入方式に変更することにした[75]。そのことにより名称を千日デパートへ変更して営業する運びとなった[75]。1958年12月の開業当初よりデパートの運営は3つの組織によって為され、主体は千土地興行、管理は新しく設立された株式会社千日デパート、そこにテナント300店で組織する商人会が経営に加わった。

開業当初の千日デパートの大きな特色は、営業時間が10時から22時までで年中無休であること[76]、本町などの繊維問屋100店が直接商品をデパートに納入して「特売場」と称する4階売場で販売することから、最大3割の安売りが実現できることにあった。包装紙を共通化してコストを下げ、セルフサービスの導入や、配達を無料にするなど「大阪一の繁華街ミナミ」という地の利を生かして集客力を高めて利益を出すことが見込まれた。その一方でテナントやライバルの百貨店からは、千日デパートの目算に疑問の目が向けられた。その理由は、賃料や管理費などの出店経費が高く、一定の売り上げが見込めなければ赤字は長期化してテナントに利益が出せないこと、「歓楽街ミナミ」にショッピングセンターを設けても客層に買い物客は少なく、夜間遅くまで営業するといっても飲食店以外に集客を見込めるかどうか定かではなかったこと、近鉄線の難波延伸(上本町・難波間)が実現する目途が立っていなかったことからも集客力に疑問を持たれていたことである。また千日デパートビルは、旧歌舞伎座を改装した建物ということで、商業施設としては構造上の欠点を抱えていると指摘する向きもあった。元々は地階から4階までの建物中央付近に旧劇場部分(旧客席)の大きな吹き抜けがあったことから、開業してからも1階と2階部分にその名残があったこと(開業当初において。のちに2階部分全体にフロアを増床した)、また5階から7階の中央付近にも劇場があることから、建物全体として多くの売場面積を確保できず、総床面積の57パーセントが通路や階段、吹き抜けの部分で占められていることから、残りの43パーセントの売り場面積だけでは売り上げ的に不利だと見られていた(開業当初)。

開業から5年半ほど経過した1964年(昭和39年)5月以降は、日本ドリーム観光(旧千土地興行)の本社組織内に千日デパート管理部を創設し、以降の経営を担うことになった。開店当初の営業形態は、地下1階から地上5階までを商業施設、6階を演芸場千日劇場と食堂、7階を大食堂、屋上は遊戯施設としていた[要出典]。千日デパートは「まいにちせんにち、千日デパート」のコマーシャルソングで知られ[要出典]、また屋上に1960年(昭和35年)から設置された観覧車は大阪の名物となっていた。ビル正面には丸にS(Sen-nichiから)の緑色のマークが掲げられ、千日デパートのシンボルとなっていた[77]

ニチイ入店

千日デパートは、日本初の大型ショッピングセンターとして話題を呼び[78]、開店当初は売り上げが好調だった。年中無休で元日から営業するなど買物客から人気を集めた[78]。だが、しばらくすると開店景気も落ち、全体の売り上げは下降線を辿った[78]。そこへ1967年(昭和42年)3月1日、大手衣料品スーパーニチイ[注釈 11]が4階にテナントとして出店することになった[78]。1958年のデパート開業以来、初の大型テナントの入店である。ニチイ入店の3か月前、すべてのテナントに対する契約が納入方式から賃貸方式に変更された[79]。既存の4階各テナントは、賃料と保証金および付加使用料の新たな支払い契約に応じず、4階フロアから撤退し、4階売場のすべてをニチイが独占し、ニチイ千日前店として営業を始めた[79]。その後にニチイは、同年10月に3階にも出店して大成功を収め、その売り上げは全国のニチイの中で一番になり、千日デパート全体の売り上げも相乗効果で上昇した[78]。千日デパートは、ニチイ入店を機に地階から3階までを「名店街」と称して新装オープンした。ニチイ入店に際して3階既存テナントの一部は、開業当初からの賃貸契約業者だったためにデパート側からの立ち退き要請に応じず裁判となったが、のちにデパート側との間で和解が成立し、同階から立ち退かずに引き続き同じ場所での営業が認められた[80]。ニチイ入店と同じ年の5月16日、7階にアルバイトサロン「チャイナサロン・プレイタウン」が入店し営業を始めた。プレイタウンは風俗店であり、営業は夕方から23時までで年中無休、店への出入りは専用の出入口とエレベーターによって管理され、他のフロアとテナントからは完全に隔絶されていた。7階プレイタウンは、6階以下の各テナントが21時30分に閉店したあともデパートビル内で唯一営業している店舗であった。

火災発生当日の千日デパート

1972年(昭和47年)5月13日(土曜日)の火災発生当日における千日デパートのおもな営業状況は、地下1階は食品館、飲食店、直営催事場(人形館)、お化け屋敷と喫茶店を組み合わせた「サタン」(千土地観光経営)[要出典]、1階と2階は計126店舗が出店する専門店街[81]、3階と4階はニチイ千日前店[81]、5階は千日デパート直営の100円・200円均一スーパー[8]、6階は遊技場千日劇場跡)[81]、7階はアルバイトサロン[注釈 6]プレイタウン(千土地観光経営)[81]、屋上は観覧車とモノレールを据えた遊園地、売店、ペットショップ、園芸店などとなっていて、その他に歯科医院や美容室、企業事務所が数社入居していた[8]。以上のように同デパートには雑多なテナントが入居し、同じ商業施設内でも各売場ごとに営業者が異なる雑居ビル寄合百貨店)の状態となっていた[82][83]。テナントの総数は176店舗だった(企業事務所を含む)[84]。この出店営業形態は、1958年に同デパートが開業して以来、変わらずに続いていたものであり、1967年(昭和42年)9月には火災当日の使用状態において貸店舗としての建築確認を済ませていた[85]。営業時間は10時から21時までで、定休日は水曜日だった[86]。7階「プレイタウン」は、デパート閉店時刻以降も館内で唯一営業しているテナントであり、23時まで営業していた。なお「プレイタウン」は年中無休であった[87]

火災発生当日は、母の日の前日ということで、デパート正面にはニチイ千日前店の「母の日」商戦の宣伝用垂れ幕「5月14日は母の日です」と「お母様に感謝のプレゼント」が1本ずつ掲げられていた[88]。ほかに「竹雀の帯・和装品2階」と「南太平洋博・奈良ドリームランド」の宣伝用垂れ幕も掲げられていた[88]。ニチイ千日前店は、同デパートのキーテナントということで、ビルの壁面に大掛かりな看板(ビル北側および西側)とネオンサイン(ビル南側)が掲げられていた[89]。また7階「プレイタウン」も主要なテナントの一つであったことから1階専用出入口上部に宣伝用看板とネオンサインが掲げられていた[90]。そのほかに6階および屋上で遊技場と遊園地を営業する「レジャープラザ」のネオンサインも北東正面と北側西寄の2ヵ所に掲げられていた[91]。1階の主要な各テナントは、外周部のシャッターや日除け幕に店舗名を入れていた[92]

館内のイベントとしては、地下1階直営催事場で「恐怖の地下室」と題するスリラー人形展(お化け屋敷)が開催されていた。この催し物は、火災発生当時においては同デパートの目玉企画だったと考えられ、各出入口の上部には宣伝用の看板が掲げられ、人形を使ったディスプレイも用いて大々的に宣伝されていた[89][93][94]。館内にも宣伝用ポスターが主要な場所に貼られ、同イベントに提携して営業されていた「お化け喫茶サタン」の看板も地下出入口上部に掲げられていた[88]。その他のイベントとしては、5階の直営均一スーパーで化粧品メーカーの「100円均一フェア」が開催されており、「スリラー人形展」と同じく正面入口上部に宣伝用の看板が掲げられていた[88][92]

火災発生当日は、館内で2件の工事が行われていた。1件は、ニチイ千日前店の3階と4階の売場改装に伴う電気配線増設工事である。5月22日から一週間かけての本格的な工事を前に5月6日から準備工事が開始されていたもので、火災当日はデパートの開店と同時に3階で工事が始まった。当該工事はデパート営業中にも実施された。進捗状況の関係から閉店後の夜間も工事を行う手筈となっていて、翌朝4時までを予定していた。もう1件は、6階の旧千日劇場跡をボウリング場に改装する工事が4月28日から行われていた。火災当日は22時30分までの予定で工事が進められていた[95][96][97][98]#火災発生当日の館内工事


注釈

  1. ^ 火災当時はデパートの敷地が二つの住所に跨っていて、東寄り4分の3が三番町一番地、西寄り4分の1が四番町一番地であった。現在の住所は大阪府大阪市中央区千日前2丁目10番1号。
  2. ^ 防火管理者らの業務上過失致死傷罪を裁いた刑事訴訟第一審判決の判決理由のなかで、大阪地裁は「本件火災は、工事監督が3階東側を歩いている際に煙草を吸い、その煙草若しくはこれに点火する際に用いたマッチの火が原因となって発生した疑いが濃厚であるが、工事監督の行動を証拠上確定することは出来ず、火災の原因は不明と言わざるを得ない」と述べたことによる。また大阪高等裁判所で開かれた控訴審判決の判決理由においても火災原因は不明とされた。
  3. ^ 大阪地裁第3民事部に対して大阪市消防局が回答文書を示し、1973年(昭和48年)9月28日付けの大阪市消防局・南消防署署長作成「火災原因決定意見書」で「火災原因は不明である」との決定が下された。大阪地検は、重過失失火などの容疑で書類送検した電気工事監督を不起訴処分としたことで、火災原因については「不明」と決定した。
  4. ^ 大阪府警察本部の検証結果では「本件火災は、3階で電気工事に携わっていた工事監督がタバコを吸う際に点火したマッチの擦り軸を火が消えていないままの状態で商品の布団の上に投げ捨てたことによって発生した(煙草の不始末)」と断定し工事監督を書類送検したが、証拠不十分などの理由により、被疑者を起訴するには至らなかった。
  5. ^ 内訳は、プレイタウン関係者47人、消防隊員27人、警察官6人、通行人1人である。
  6. ^ a b c d e 素人の女性がアルバイト感覚で客を接待する大衆サロンのこと。キャバクラの元祖。昭和30年代から40年代に掛けて、主に関西で流行った。別名アルサロとも呼ばれる。
  7. ^ a b c 死亡者数ベースにおいて最大のビル火災である。2022年時点でも最大である。
  8. ^ a b 日本国内で近現代に発災した建物火災全体では、1943年の布袋座火災で死者208人を出した被害が最大である。
  9. ^ 事件名、公文書、学術書、出版物においては「千日デパートビル火災」と呼ぶのが一般的である。
  10. ^ a b c 7階プレイタウンへ大量の煙が流入してきた22時42分から43分ごろにA1エレベーターで地下1階から7階へ昇ってきた男性客1人とホステス1人は、7階エレベーターホールに充満した煙に驚き、同エレベーターで地下1階へ脱出した状況が確認されているが、この2人についてはプレイタウン滞在者に含めていない。
  11. ^ 企業としては1996年にマイカルに社名変更、2011年にイオンリテールに吸収されて解散。店舗ブランドとしては1990年にサティに転換し消滅。
  12. ^ a b 千日デパートビルの延べ床面積は、資料によって数値が異なる。例えば大阪地裁の認定では2万7,514.64平方メートル、大阪高裁認定では2万6,227平方メートル、また大阪市消防局の調べでは2万5,923.81平方メートルなどとしている。これは屋上の床面積(塔屋1階と同一フロアのうち、外部を指す)を含めているか、また1階および2階床面積の解釈上の違いによって生じているものである。当記事では屋上の床面積を含めた大阪地裁の数値を使用している。資料によっては大阪市消防局の数値を四捨五入して2万6,500平方メートルとしているものもある。
  13. ^ 本件火災発生当時(1972年5月)の消防法施行令・別表1に定める防火対象物区分では、いわゆる「雑居ビル」「複合用途」という概念は明確にされておらず、当時の「16項」が規定していた用途とは「前各項(1から15項まで)に掲げる防火対象物以外の防火対象物で、その一部が前各項に掲げる防火対象物の用途のいずれかに該当する用途に供されているもの」であり、これはすなわち「店舗と住居を兼ねた建物」を念頭に置いたものであった。したがって千日デパートビルは、特定防火対象物「4項(=百貨店、マーケットその他の物品販売業を営む店舗又は展示場)」に分類されていた。
  14. ^ 現行(2022年)の消防法令に照らした場合、千日デパートビルは「16項(イ)=複合用途防火対象物のうち、その一部が劇場・集会場等、酒場・風俗店等、飲食店、百貨店・スーパーマーケット、旅館・ホテル、病院・養介護施設・保育園等、サウナにおいて、これらの防火対象物の用途に使われているもの」に相当するが、本件火災発生当時(1972年5月)の16項は「(イ)と(ロ)」に区分されていなかった。区分されたのは1972年12月の消防法施行令の改正からである。(ロ)とは「(イ)で掲げた複合用途防火対象物以外の複合用途防火対象物」のことである。
  15. ^ 南消防署提出の消防計画書による。消防計画書は毎年1回更新されていたが、1971年(昭和46年)5月更新の時点では7階プレイタウンは、千日デパートの自衛消防組織および防火管理責任組織に組み込まれていなかった。
  16. ^ プレイタウン1階専用出入口(B出入口)に直結したB階段昇り口には、木製扉が設けられていて、プレイタウン閉店時には同店従業員が7階B階段出入口と同時に同扉を施錠していた。
  17. ^ 1958年(昭和33年)当時は、全国共通の消防法施行令は制定されておらず、地方自治体が独自に定めた施行条例の基準で設置されていた。消防法施行令の制定は1961年(昭和36年)からである。
  18. ^ 6階旧千日劇場跡は、ボウリング場改装工事中であり、火災時にスプリンクラーの機能が残っていたかどうかは不明である。ただし大阪市消防局の検証では、スプリンクラーヘッドから水が噴射された形跡はあったとされる。
  19. ^ 基本的には常時閉鎖状態だったが、一部のホステスは、普段からE階段出入口を任意に解錠してデパートの売場内に出入りしていたと証言している。火災当日の同扉の施錠は、21時閉店後の巡回時にデパート保安係員によってE階段側から為されていた。
  20. ^ 保安係員1班6人のうちの1人は、年休を取るために必ず休む決まりになっており、通常の夜間勤務は実質5人体制であった。
  21. ^ a b c d 大阪府警捜査一課・南署特別捜査本部の調べによれば、7階プレイタウンの救助袋は、旧歌舞伎座ビル時代の1952年(昭和27年)に4階から屋上までの各階に設置された計5つの救助袋のうちの一つである。また南消防署の調べによる設置年は、1958年12月の千日デパート開業時を基準としており、警察との間で解釈の違いがある。救助袋の納入業者によれば、1963年以前は年に数回の保守点検を行っていたが、1963年に入ってから日本ドリーム観光側から契約を解除されて以降の保守点検については、新しい業者の責任であるので不知だという。展張時の長さについては、南消防署の調べでは30.21メートル、大阪府警捜査一課・南署特別捜査本部の調べでは31.35メートル、報道機関によっては四捨五入して32メートルとするところもある。
  22. ^ プレイタウン店内に備わっていた懐中電灯の場所と本数=電気室3、クローク2、レジ・リスト2、事務所3。合計10本。
  23. ^ 中核派、革マル派、約620人によって行われた。「沖縄返還改策粉砕」「沖縄派兵反対」を主張し、集会を開いた後、20時からミナミ周辺をデモ行進した。
  24. ^ 右時刻は、刑事裁判において大阪地方裁判所が認定したものである。工事作業員の一人が駐車場へ車を取りに出掛けた際、3階の作業現場を離れた時刻は「22時25分」で、駐車場の駐車カードに記入した時刻は「22時35分」である。千日デパートから駐車場までの所要時間が徒歩で「9分25秒」掛かることから「出火推定時刻22時27分」を基に作業員らの行動も加味して導き出された。他の工事作業員2人の証言では、それぞれ22時35分また37分に火災を発見したとされるが、それらは個人の感覚的なものであり、いずれの時刻も認定から除外された。大阪市消防局の当初の調査では「22時30分ごろ」としていた。
  25. ^ 火災当時、消火器の使用方法は製造メーカーにより異なっていた。千日デパートで使用していた主な消火器は、旧式の「二重瓶式消火器」だった。
  26. ^ a b c 電気工事関係者は合計6人であるが、工事作業者の1人は22時25分ごろに駐車場へ車を取りに出掛けており、火災発見時にはデパートビルの中にいなかった。
  27. ^ バンドリーダーの証言によれば「3曲目の曲」とは、アイ・ジョージと志摩ちなみのデュエット曲「赤いグラス(1965年リリース。同タイトルの映画主題歌1966年)」であった。同曲の演奏中にプレイタウン店内へ煙が流れてきたという。
  28. ^ 1967年(昭和42年)10月16日1時33分ごろ、地下1階プレイタウン専用エレベーターホールに設置してあったソファーの一部がタバコの不始末により燃焼したものである。損害はソファー1個分のみで大事には至らなかった。
  29. ^ プレイタウン店内で従業員による放送が確認されているのは2回である。
  30. ^ 7階A階段の鍵はプレイタウン事務所内に保管されており、実際のところクローク内には無かった。またA階段の屋上の鍵は、1階保安室に単独キーがあるのみでプレイタウンでは保管していなかった。ただしA階段屋上の出入口はガラス扉なので、屋上へ避難しようと思えば扉のガラスを破ること自体は可能だった。
  31. ^ E階段に関しては、プレイタウン事務所内には階段出入口の他に屋上出入口の鍵が保管されており、屋上への避難も可能だったが、E階段は完全に煙で汚染されていたため、屋上へはおろか、更衣室直結の非常扉から先へ進むことすらできなかった。
  32. ^ 6階の旧千日劇場跡にスロープで繋がる幅約10メートルの連絡通路。プレイタウンが6階でも営業していた時に使用していた。火災発生の数日前まで、通路部分に壁も無くスロープも存在していた。
  33. ^ F階段の屋上の鍵は、プレイタウン事務所内に保管されておらず、1階保安室に単独キーがあるだけだった。従って仮にF階段が煙で汚染されていなくても避難者らは屋上に脱出することはできなかった。
  34. ^ a b これは発表時点での速報値であり、のちに訂正されている。
  35. ^ 初七日法要には遺族や被害者の参列は一人も無かった。理由は主催者の手違いにより遺族側へ連絡をおこなわなかったためである。
  36. ^ 通報者は、供述により千日デパート保安係の保安係長だと確認された。
  37. ^ 1989年(平成元年)2月13日、南区と東区が合区され中央区が発足したのを機に南署を廃止し、浪速署を発足させた。
  38. ^ a b 1989年(平成元年)2月13日、南区と東区が合区され中央区が発足したのを機に東署を中央署に改めた。
  39. ^ 火災現場に出場したが、南消防本署に残留。消火活動には参加していない。
  40. ^ 東雲PR分隊は、火災現場に出場したが待機命令により活動はせずに引き揚げた。
  41. ^ 火災現場に出場後、活動はせずに東消防本署にて残留警備にあたった。
  42. ^ 火災現場に出場後、活動はせずに東消防本署にて残留。
  43. ^ 負傷者搬送に投入された救急隊(計12隊)=南、西、天王寺、東、港、福島、西成、阿倍野、生野、大正、都島、浪速
  44. ^ 遺体搬送に投入された救急隊(計7隊)=東、福島、西成、西、大正、港、南
  45. ^ 15日未明にデパートビル6階で発生した再燃火災(小火)により消火活動が再開されたことから、後に鎮火日時は15日17時30分に訂正された。
  46. ^ 14日10時55分までの総放水量。ただし泉尾TR分隊の放水量は不明なので、その分は計算に含めていない。15日未明に発生した6階小火に対する消火および防御に使用した放水量は含まない。
  47. ^ a b c 現中央消防署管内
  48. ^ a b c 現浪速消防本署
  49. ^ a b c 現浪速消防署管内
  50. ^ 現中央消防本署
  51. ^ 一部の資料ではデパート滞在者を「210人」としているが、警察と消防で情報を照合し、綿密な追跡調査をおこなった結果、客2人を新たに加えたもので「212人」が正しい数値である。
  52. ^ プレイタウンには絶えず客や従業員が出入りしていたので、滞在者の人数にはある程度の変動がある。したがって7階で火災被害に巻き込まれた者を7階滞在者とする。
  53. ^ 6階ボウリング場改装工事に携わっていた作業員の1人は、火災発生時に廃材の積み込み作業で路上にいたところ、デパートビルの窓から煙が噴き出しているのを確認し仲間に知らせるためにCエレベーターで6階へ昇った。6階到着後、煙に巻かれたため直ちにエレベーターで脱出している状況が確認されているが、その作業者はビル滞在者に含めない。ボウリング場改装工事に携わっていた作業者は10人ほどいたが、火災発生時、6階に滞在していたのは6人である。一部の資料では7人滞在していたとするものも存在する。
  54. ^ a b 3階ないし4階に残業で滞在していたニチイ千日前店の従業員4人については、22時ごろに退館しているが、火災のおおよその発火時刻と前後することからデパートビル滞在者に含めている。
  55. ^ 1階滞在者のうち、保安係員2人は火災発生時刻のころは、まだ館内巡回中(事務所関係の巡回)だった。
  56. ^ a b 1階プレイタウン関係者10人については、客の呼び込みや送迎のためにデパートビル南側路上もしくはプレイタウン入口または地下1階ロビーにいたものであるが、火災発生時刻(22時27分)から7階に煙が充満してきた時刻(22時43分)の間に各々が2基の専用エレベータで7階との間を往復しているので、それらの者はデパートビル滞在者に含める。客については、出入り状況と素性が正確に把握できないことから火災に巻き込まれなかった場合は滞在者に含めない。
  57. ^ 2人とも当夜の宿直員である。2人は火災発生時に館内の風呂場(地階)で入浴中だった。
  58. ^ a b 7階窓からの飛降りまたは救助袋からの転落による墜落死22人の詳細な死因は、脳挫滅1人(男性)、脳挫傷12人(男性5人、女性7人)、頚椎骨折3人(女性3人)、骨盤骨折2人(女性2人)、胸腔内臓器破裂2人(女性2人)、外傷性ショック2人(女性2人)である。ただし墜落死した者のうち、誰がどの死因に該当するかは各資料には明記されておらず、不明である。
  59. ^ a b エレベーターを使って自力脱出に成功した人について、多くの資料はプレイタウン滞在者のホステス1人としている。A1エレベーターで7階へ昇ってきた男性客1人とホステス1人の計2人については、7階へ着いたときに、ちょうど煙が7階エレベーターホールに充満しているのを目の当たりにした。そこへプレイタウン滞在者のホステス1人が慌てて同エレベーターに乗り込んできて、3人はそのまま一緒に地下1階へ避難したものである。なお客1名はビル滞在者に含めていない。
  60. ^ ホステス1人以外にもプレイタウン関係者でエレベーターで往復した者もいたと思われるが、火災による煙で店内が騒ぎになった後のみ特筆する。
  61. ^ 検察審査会法第32条=検察官の公訴を提起しない処分の当否に関し、検察審査会議の議決があったときは、同一事件について更に審査の申立てをすることはできない。
  62. ^ 1967年3月、5月、10月に相次いで異なる管理権原者である「ニチイ千日前店」と「プレイタウン」が千日デパート内で営業を始めたが、その時点で1963年に提出された消防計画の内容からは実態が大きく変わっていた。火災発生当日に至るまで法令で定められた共同防火管理に基づく3者共同の消防計画が策定されなかったことは、現に存在している事実に反していたことになる。
  63. ^ 22時44分ごろ、第一出場の消防隊は消火活動を行うために内部進入を試みたが、その際に千日デパートビル北東正面入口と北西入口のシャッターを開放した。その結果、大量の空気をビル内部へ流入させることに繋がり、火勢が一気に強まって火災の延焼はさらに進んだ。そのことで7階プレイタウンにより一層の煙と有毒ガスが流入するに至った。本件火災の状況ならびに燃焼実験の結果から、煙を排出するために強制送風を実施することは必ずしも良い結果をもたらさないと結論付けられた。
  64. ^ 法令が改正された場合、新しい法令規定の適用を必ず受ける消防用設備、という意味。自動火災報知設備は、そのうちの一つ。
  65. ^ 11月6日に北陸トンネル火災が発生しているが、当該火災は鉄道車両の火災事故なので、ビル火災がテーマの当記事では考慮に加えなかった
  66. ^ 大洋デパート火災の死者数については、火災発生当日で100人、その後48時間経過した時点で3人増え、合計103人となった。ところが火災発生から7年経過した1980年12月16日に火災による一酸化炭素中毒の影響で国立熊本病院に長期入院していた負傷者1人が死亡したことにより、最終的に死者は104人となった。多くの資料はこの「7年後の死者1人」を計上していない。
  67. ^ 負傷者数については、資料によってその数は区々であるが、警察庁発行の「昭和49年度版・警察白書」によれば、最終的な負傷者数は「124人」となっている。なお大洋デパートの防火管理者や火元責任者らに対する刑事裁判においては、裁判所が認定した負傷者数は「67人」であった。これは被告らの過失によって負傷させられた客および従業員の人数なので消防隊員や消防団員などの負傷は含まれておらず、全体の負傷者数とは異なっている。
  68. ^ a b c 現行の法令が規定する「特定防火設備」に該当する防火戸のこと。遮炎性能1時間を有するものをいう。
  69. ^ a b c 現行の法令が規定する「防火設備」に該当する防火戸のこと。遮炎性能20分を有するものをいう。
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