ブラックビスケッツ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/21 16:16 UTC 版)
この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。(2020年9月) |
ブラックビスケッツ | |
---|---|
出身地 | 日本 東京 |
ジャンル | J-POP |
活動期間 |
1997年 - 1999年 2002年3月 2022年12月3日 2023年12月31日 |
レーベル | BMG JAPAN(現:ソニー・ミュージックレーベルズ) |
メンバー |
南々見狂也 天山ひろゆき ビビアン |
旧メンバー | ケディ(1999年5月 - 1999年7月、2002年3月) |
ウッチャンナンチャンの南原清隆(南々見狂也)、ビビアン・スー(ビビアン)、キャイ〜ンの天野ひろゆき(天山ひろゆき)の3人で結成された。のちにケディ・ティン(ケディ)が加わり4人組となる。
1997年から1999年まで活動、同年より活動休止中。 以降は2022年12月3日、同局のベストアーティスト2022にて復活。2023年12月31日、『第74回NHK紅白歌合戦』の特別企画に選出されたため復活している。
主な発表曲として、100万枚以上の売上を記録した『Timing』がある。同番組から誕生したユニットの中で最大の売り上げとなっている。 同番組のポケットビスケッツと共に、番組が生んだ2大ユニット[1]、2大スター[2]などと呼ばれた。
1999年の活動休止後には、南々見組、ブランニュービスケッツなどの派生ユニットが結成されたが、同ユニットのようなヒットには恵まれなかった。
沿革
デビューまでの経緯
1997年(平成9年)1月10日初登場。当初はポケットビスケッツを潰すために結成された、南々見、天山、ビビアンの悪者3人グループであり、ポケビの曲が流れると耳を塞いでわめいたり、ゲームで勝利することでエンディングで流れるポケビ曲の時間を削り、その時間をブラビ3人で歌う演歌のカラオケ等で埋めるなど意地悪を行っていた。
一時はメンバー引き抜きを賭けたミニ四駆対決に勝利して、テルとウドの引き抜きに成功し、ポケビを消滅寸前に追い込んだものの、最終決戦となった綱渡り対決でサーカス団に頼み込んでまで練習を重ねた千秋のポケビ存続への執念の前に敗れ去り、ポケビ消滅計画は脆くも崩れ去った。ちなみに彼らのヒール的行動は台本によるものであるが、真に受けた視聴者からブラビへの批判・苦情が殺到。番組内で多数紹介された。
その後、ポケビグッズ[3]に対抗して作ったブラビグッズ[4]が(わざと)高価だったこともあり全く売れず、それをなんとかして売る企画を開始すると共に徐々に悪役からシフトチェンジ。1997年(平成9年)10月17日の放送で、地味さ・悪者風を強調した黒系の衣装を[注釈 1]、2代目の赤を強調した衣装へ変更して以降は大幅なイメージチェンジをし、『Timing』発売時にはオレンジ色の衣装となるなど、それ以降の衣装は明るくなっていった。
楽器のポケビに対し、ダンスユニットとしてのブラビをアピールしていた。途中、「貧乏脱出」の為、南々見の作ったおかしな人形[5]の販売に振り回されたりとおもしろぶりも発揮した。「私、歌売れなかったら台湾人気無い、日本女優は言葉出来ない。行くとこない!」というビビアンの執念も功を奏し大活躍をはたす。
デビュー後
1997年(平成9年)12月、先輩格のポケットビスケッツに続いて『STAMINA』で待望のCDデビュー。オリコン初登場25位以内に入らなければ即消滅[6]いう条件が設けられていたが、これを初登場2位でクリアした。
ブラビの目標は「アジア進出」。NHKのアジア歌謡祭に出場したりとアジア進出を行った。第3弾シングルの『Relax』が南々見と天山によるメインボーカルになったのは、「台湾での売り上げがいいのはビビアンのおかげというのは感じている。アジア進出の為には、ビビアンの人気にいつまでもおんぶするわけにはいかない」という南々見の考えからである。
このブラビの活動により、ビビアンの母国である台湾でもウリナリの放送が行われた。ウリナリの全編が放送されていた為、台湾では全くと言っていいほど活動していないポケビのファンになった台湾の視聴者も数多くおり、放送局へポケビ宛のファンレターも届いていた。その事を知った南々見と天山は、「あいつら台湾に来て大人気になったらどうするんだ!」と焦っていた。
200万枚のミリオンセールス
ライバルポケビとの対決は番組の看板ともなり、毎週の対決が人気を呼んだ。1998年(平成10年)1月、ポケビと武道館ライブを賭けて対決したが敗れた[注釈 2]。3月には新曲の賭かったポケビとのガソリンすごろく対決を制し4月22日に『Timing』を発売。番組から作られたユニットのCDとしては最高のセールスを記録し、オリコン及び『CDTV』で初登場2位となり、結果約200万枚を出荷するミリオンヒットに[注釈 3]。この年のCDTV年間チャートでは第3位にランクインしている。
なお、『Timing』の売れ行きが悪かったら、メンバーがビビアンではなくスージー・カンに、天山ではなく当時アニマル梯団であったコアラに、そして南々見ではなくよゐこの濱口優に変更されるという条件があったが、大ヒットであったためメンバー変更は無かった。
発売2週間前である、4月6日にはフジテレビ系『HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP』のスペシャル番組『HEY! HEY! HEY! MUSIC AWARDS II』に出演し、『Timing』と『STAMINA』をメドレー形式で披露した。
1998年大晦日のNHK紅白歌合戦に「ポケットビスケッツ&ブラックビスケッツ スペシャルバンド」として初出場。歌唱曲『POWER & Timing 大晦日MIX』の中で『Timing』を披露した。
メンバー加入&脱退、活動停止
1999年(平成11年)4月までは前述の3人で活動していたが、5月に更なる上を目指しケディが加入し4人ユニットとなった。日本全国、CDの告知、売り上げ向上に飛び回り、ブラビ単独ライブも果たしている。
だが、ウリナリ審査委員会が了承していないとケディの加入に対して3つの条件を出した。 1つ目は人形(正式名称は信楽焼ケディ像で値段は5万円)をケディ自ら手売りすること。2つ目は利き寿司をメンバー4人でクリアすること。3つ目は第4弾シングルの『Bye-Bye』がウリナリ!!で指定された枚数の売上(発売2か月で売上73万枚[7]を上回る)を達成すること。
3つの条件を全てクリアできなければ新メンバーケディの加入を認めず、責任を取って南々見も脱退という条件が出されたが、3つ目の条件「第4弾シングル『Bye-Bye』の売上」に苦しめられることになる。
番組内でオリコン初登場4位であること、発売後1週間の売上が9万6130枚と、これまでにブラビが発売したシングルで最も低調な売上枚数であることが明らかになった[8]。
背景として『STAMINA』発売時よりCDの総売り上げが3分の2以下に落ちていた。また、同日に発売したアルバムに収録されていたことも響いた。もっとも「オリコン最高位4位」にランクインしており、結果的に番組発のユニットがCDをリリースして40万枚超を売り上げるというのは当時としても好セールスの部類である。
脱退は確実と懸念する声も多く、タイムリミット直前まで『TVおじゃマンボウ』の出演や、全国のCDショップを行脚するなどアピール活動を展開。最終日には初めての単独ライブをよみうりランドで行う[9]などアピール活動を展開したが、その後、番組内で達成できなかった旨をウリナリ審査委員会(河村亮)から告げられ[注釈 4]、南々見とケディの脱退が決定。その後はビビアンのセミリタイア宣言と、南々見、天山、ケディの3人による南々見組結成によって活動停止という形で自然消滅となった。
復活、その後
そして2002年(平成14年)3月、最終回のウリナリ祭りで特別復活を果たした。ポケビ退場後、南々見が「アイツら(ポケビ)が復活するなら、俺達も復活するぞ!」と言う台詞で登場。「みんな悪い子にしてたかぁ?」と南々見が叫び、ブラビが悪い子であることをアピール、ブラビ魂の健在を示した。『STAMINA』の途中で歌詞の一部分をビビアンが間違えるというハプニングもあったが、ライブは無事にできた。なおその時、ビビアンの歌詞間違いに気づいていたのは南々見1人だけだった。
2022年(令和4年)11月29日、南々見こと南原清隆が総合MCを務める『ヒルナンデス!』にて、12月3日放送の『日テレ系音楽の祭典 ベストアーティスト2022』にて20年ぶりに復活し、ケディを除いた初期メンバー3人で『Timing』を披露することが発表され[10]、当日に『STAMINA』も含めたメドレーで披露[11]。ビビアンとは十数年連絡を取っておらず誰も連絡先がわからなかったため、Instagramでダイレクトメッセージを送ったところ、来れると連絡が来たことを南原はヒルナンデスでの発表時に明かしていた[10]。また、『ベストアーティスト』の放送当日よりシングル4種、アルバム1種を配信リリースすることも合わせて発表された[12]。
2023年(令和5年)12月3日にはビビアンことビビアン・スーの公式Instagramで、南々見(南原清隆)、天山(天野ひろゆき)と共にライブ配信をおこなった[13][14]。
2023年12月16日、大晦日に放送される第74回NHK紅白歌合戦に「ポケットビスケッツ&ブラックビスケッツ」として出場することが発表された。紅白歌合戦への出場は25年ぶり[15]。同月21日には歌唱曲が「YELLOW YELLOW HAPPY~Timing」と発表された [16]。
2023年12月31日、第74回NHK紅白歌合戦の『テレビ放送70年 特別企画「テレビが届けた名曲たち」』に出場[17]。ポケビが「YELLOW YELLOW HAPPY」を披露した後、南々見の「みんな、悪い子にしてたかー?」というかけ声と、天山の高笑いの後、客席中央に設けられたステージのセリから飛び出す形でブラビの3人が登場。「Timing」の前半を披露、南々見のサックス、テル(内村光良)のキーボード演奏を挟んで、「Timing」の後半はポケビとブラビ6人での歌唱とダンスを披露した。テレビ番組での2組の共演は21年ぶり。
ビビアンの多忙から、メンバー揃ってのリハーサルは収録当日のみだったという[18]。
2023年12月時点でのオリコンランキングにおけるシングルCDの総売上枚数は302.2万枚で、テレビ番組発の芸人音楽ユニットとしては歴代3位である[19]。
メンバー
前期メンバー
1997年1月10日 - 1999年7月30日[注釈 5]、2002年3月12日、2022年12月3日、2023年12月31日
- 南々見狂也(ななみ きょうや)
- 天山ひろゆき(あまざん - )
- ビビアン
- 台湾出身の女優・歌手。酒は飲めるが、あまり強くない。
途中参加
1999年5月21日 - 1999年7月30日(実質は1999年10月22日)、2002年3月12日
- 南々見達の妹分として、メンバーに加わった。中国の食文化から生もの[注釈 8]が苦手。一度だけポケットビスケッツと対面した事がある。解散後は日本で芸能活動をするも帰国し就職。一時期、日本でタレント再活動をするが一身上の都合で帰国。現在は地元でタレント活動を続けるなか、実業家の男性と結婚した。
ディスコグラフィー
シングル
- STAMINA(1997年12月3日)(作曲:林田健司・編曲:大坪直樹)
- オリコン最高位2位。[注釈 9]。
- 台湾版 闘志(中文訳:黄大軍・辰博)
- Timing(1998年4月22日)(作曲:中西圭三・小西貴雄 編曲:小西貴雄)
- オリコン最高位2位。
- 台湾版 時機(中文訳:VIVIAN HSU & TEAM)
- Relax(1998年10月21日 ※メインボーカルは南々見&天山)(作曲・編曲:小森田実)
- オリコン最高位3位。
- 台湾版 輕鬆(中文訳:VIVIAN HSU & 黄大軍 & 謝銘祐)
- Bye-Bye(1999年5月26日)(作曲:川上明彦・編曲:大坪直樹)
- オリコン最高位4位。
- 台湾版 再見(中文訳:黄大軍 & 謝銘祐)
全曲、作詞は森浩美&ブラックビスケッツ(STAMINAのみ「ビビアン・スー&ブラックビスケッツ&森浩美」名義)
台湾版の『STAMINA』は日本より先行発売であり、他のシングルと異なりジャケットも違う物が使われている。コスチュームイメージ、ブラビの当時の悪役としてのイメージを色濃く反映させた黒と赤の強調されたデザインであり、反対に国内版はカラフルなデザインのジャケットであった。
アルバム
ビデオ
- 『ブラビデオ』(1998年10月21日)
- 「STAMINA」「Timing」「Relax」のプロモーションビデオ・完全振り付け・未公開映像の詰まったブラビファンのためのビデオ。「Relax」と同時発売。
- 『運命のファイナルステージ ウリナリ祭り完全版』(2002年5月22日)販売元:バップ
- 2002年3月11日、東京国際フォーラムにて行われた復活ライブの模様を収録。DVDも同時発売。
以上全てBMG JAPAN(現:ソニー・ミュージックレーベルズ)より発売
Book
- 『ブラックビスケッツ写真集 日テレムック』 (1998年2月) 日本テレビ放送網 出版
ウリナリ!!以外の出演
- Music Park(1997年12月)
- 速報!歌の大辞テン
- FUN
- TVおじゃマンボウ
- ルックルックこんにちは
- 日テレポシュレ(ブラビ像を通信販売)
- 午後は○○おもいッきりテレビ
- HEY!HEY!HEY! MUSIC AWARDS II(フジテレビ系列)
- 天才てれびくん(現:天才てれびくん)(NHK教育テレビ(現:Eテレ))
- ナイトシャッフル(福岡放送)
- 日テレ系音楽の祭典 ベストアーティスト2022
NHK紅白歌合戦出場歴
年度 | 放送回 | 回 | 曲目 | 出演順 | 対戦相手 | 備考 | 歌手別視聴率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1998年 | 第49回 | 初 | POWER & Timing 大晦日MIX | 11/25 | L'Arc〜en〜Ciel | 後半トップバッター ポケットビスケッツ&ブラックビスケッツ スペシャルバンドとして合同で紅組から出場 |
58.5% |
2023年 | 第74回 | 2 | YELLOW YELLOW HAPPY 〜 Timing | 特別企画 | (対戦相手なし) | 後半~テレビ放送70年 特別企画「テレビが届けた名曲たち」~に ポケットビスケッツ&ブラックビスケッツとして合同で出場 |
34.3%(2位) |
- 注意点
- 出演順は「出演順/出場者数」で表す。
脚注
注釈
出典
- ^ 『日経エンタテインメント!』1998年6月号(日経BP社)pp.46-49
- ^ 『週刊女性』1998年7月21日号、p.66
- ^ ピンバッジ
- ^ 木彫りのブラビ像で価格は1体5万円
- ^ 正式名称はブラビ像で、木彫り、信楽焼、クリスタル製がある。クリスタル製のみ10万円で、ほかは5万円。購入者には後の武道館ライブで特別席が無料で用意された。
- ^ 日本デビューに際してブラビに散々苦しめられたポケビ側が設けたルールで、ポケビのデビューシングル『Rapturous Blue』がオリコン初登場25位だったため。ポケビの「即解散」シリーズに対して、ブラビには「即消滅」という言葉が使われた。
- ^ (これはオリコン調べによる『STAMINA』の売上枚数
- ^ 初週の売上は、STAMINAが18万5880枚、Timingが35万1160枚、Relaxが14万2980枚。すべて番組内での公表値。
- ^ 同日、天野はFNS27時間テレビに出演しておりヘリコプターでの移動だった。
- ^ a b 「ブラックビスケッツ、20年ぶりに復活 『ベストアーティスト』出演へ、ビビアン・スーも緊急来日」『ORICON NEWS』2022年11月29日。2022年11月29日閲覧。
- ^ “20年ぶり復活のブラックビスケッツにSNSで歓喜の声続々「間違いなく青春」「10歳で初めて買ったCD」”. ORICON NEWS (2022年12月3日). 2022年12月3日閲覧。
- ^ 「ブラックビスケッツ復活、ビビアンが来日し「ベストアーティスト」で「Timing」披露」『お笑いナタリー』2022年11月29日。2022年11月29日閲覧。
- ^ INC, SANKEI DIGITAL (2023年12月2日). “南原清隆、ブラックビスケッツのデビュー日に再集結を告知 「3人でインスタライブをやるぞ、エーコラ!」”. サンスポ. 2023年12月19日閲覧。
- ^ “「ブラックビスケッツ」再集結!インスタライブ開催 デビューした12月3日に 昨年は一夜限り復活 - スポニチ Sponichi Annex 芸能”. スポニチ Sponichi Annex. 2023年12月19日閲覧。
- ^ Inc, Natasha. “ポケットビスケッツとブラックビスケッツ、25年ぶりNHK紅白歌合戦に出場決定”. お笑いナタリー. 2023年12月19日閲覧。
- ^ “NHK紅白特別企画「テレビが届けた名曲たち」披露曲が決定”. MusicVoice. 2023年12月21日閲覧。
- ^ 【紅白】ポケビ&ブラビ“25年ぶり”の登場「お久しぶりダニ!」 一世を風靡した楽曲披露に反響「懐かしすぎて泣いた」 https://www.oricon.co.jp/news/2309148/
- ^ 天野ひろゆき、2023年紅白歌合戦でのブラックビスケッツ復活秘話を語る!、PR TIMES、2024年3月12日
- ^ ポケビ&ブラビで紅白復活のキャイ~ン、「本当」の印税を明かす 現在とケタ違いのMV撮影も証言、ORICON NEWS、2023年12月21日。
- ^ 第49回及び第74回NHK紅白歌合戦出場時にはツノが回転するギミックが搭載された。
関連項目
- ポケットビスケッツ
- 南々見組
- ブランニュービスケッツ
- メモリーキャッツ
- ナイトシャッフル - ゲストで登場したことがある。
外部リンク
- 公式サイト 1997年7月8日時点のアーカイブ
- BLACK BISCUITS(日本テレビ『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』公式サイト内・2013年8月20日時点のアーカイブ)
- Black Biscuits(BMG JAPAN アーティストページ・2001年8月16日時点のアーカイブ)
- 1 ブラックビスケッツとは
- 2 ブラックビスケッツの概要
固有名詞の分類
- ブラックビスケッツのページへのリンク