スパカン! 番組の歴史

スパカン!

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/23 00:29 UTC 版)

番組の歴史

TOYOTA SUPER COUNTDOWN 50時代

TOYOTA SUPER COUNTDOWN 50
愛称 スパカン
ジャンル リクエスト番組
ランキング番組
放送方式 生放送
放送期間 1990年10月14日 - 1994年4月3日
放送時間 日曜日 13:00 - 16:30(210分)
放送回数 182
放送局 文化放送
パーソナリティ 竹内靖夫
井上みよ
出演 森功至遠藤武
提供 トヨタ自動車
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1976年(昭和51年)4月改編で立ち上げられた『決定!全日本歌謡選抜』が全面リニューアルすることになり、1990年(平成2年)10月14日、その後継番組『TOYOTA SUPER COUNTDOWN 50』がスタートした。当時の放送時間は毎週日曜日 13:00 - 16:30。

出演者は上記の竹内アナと井上のコンビに加え、集計ルームから声優の森功至1992年10月以降は同じく声優の遠藤武)がレポートを担当していた[5]

番組構成は前番組をほぼ踏襲していた(トヨタ自動車が冠スポンサー[6]だった点も同じ)が、ベスト50の発表開始時刻がやや早まり、11位以下の注目曲は1コーラス程度流れるようになった。またベスト10発表時のオペレーターの拍手は開始当初廃止されていたが、その後復活した。またリクエスト受付用の電話回線がNTTINSネット1500ベースに切り替えられたことにより強化され、電話リクエストの番号末尾制限が前番組の「番号順」から1992年に「奇数・偶数」に緩和。放送日移動直前の1994年(平成6年)1月に末尾制限は廃止された。

さらに前番組で行われていた、紅白(男女別)での得点による勝敗制度[7] も廃止された。

『歌謡選抜』を放送していた地方局もパーソナリティや放送時間を継承して『TOYOTA SCD50』を放送したが、東海ラジオは後に自社制作のワイド番組編成開始で11:00 - 13:00の2時間番組となり、企画ネット局での時間統一が崩れている。

文化放送以外の状況

ちなみに、HBCラジオでは、1971年(昭和46年)の『ベストテン』立ち上げ当初は平日の16時からの放送で、それに加えて『週間ランキング』が土曜日午後の『ダイナミックサタディ』(→『夢色土曜日』)に内包されており、1988年(昭和63年)10月改編で夜ワイドに移行するまで全日のいずれかの時間帯に、また1999年(平成11年)までは土曜日を除く6曜日に自社制作のランキング番組が長年にわたって編成されていた。
  • ラジオ大阪版は当初は前番組同様、立原啓裕横山由美子のコンビでの放送であったが、1993年10月からは前塚厚志(現:前塚あつし)[8] と東田真美(現:マーミン・マヤ)のコンビに交代した。1994年に文化放送が『FRIDAY〜』に移行すると同時に『決定!オールジャパン・ザ・ベストヒット』(日曜 11:00 - 12:30)という90分番組に縮小、前塚・東田コンビもそのままに暫く継続されたが、『オールジャパン』と同時にスタートした中央競馬中継ドラマティック競馬』の放送時間を事実上拡大するため、1997年4月改編で打ち切られた。文化放送版とは異なり、紅白(男女別)での得点による勝敗制度も『TOYOTA SCD50』の間は継続された(『オールジャパン』には引き継がれず)。

FRIDAY SUPER COUNTDOWN 50時代

FRIDAY SUPER COUNTDOWN 50
愛称 スパカン[9]
ジャンル リクエスト番組
ランキング番組
放送方式 生放送
放送期間 1994年4月15日 - 2012年3月30日
放送時間 金曜日 21:30 - 24:00
放送回数 914(通算1096)
放送局 文化放送
ネットワーク 秋田放送(22:00飛び乗り)
パーソナリティ 一覧を参照
公式サイト 公式サイト
特記事項:
開始当初から1997年4月4日までは『斉藤一美のとんカツワイド FRIDAY SUPER COUNTDOWN 50』。1997年4月4日より『FRIDAY SUPER COUNTDOWN 50』となる。秋田放送でのネット開始は2011年4月8日から。
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1994年4月15日から、当時の帯番組であった『斉藤一美のとんカツワイド』の金曜版の位置づけとして『斉藤一美のとんカツワイド FRIDAY SUPER COUNTDOWN 50』(さいとうかずみのとんカツワイド フライデースーパーカウントダウン・フィフティ)となった。この時、企画ネット各局では『TOYOTA SCD50』が終了している(これに伴いラジオ大阪は前述の通り『オールジャパン』に企画移行した)。日曜放送時と比較して1時間縮小されたこともあり、ゲストトークなどのコーナーは撤廃され、純粋にカウントダウンのみの番組となった。いわゆるスペシャルウィーク(聴取率調査週間)の実施週でも、プレゼントが通常より増強される程度で、番組内容には変更がない。

また、『とんカツ』と同様にプロ野球中継『ライオンズナイター』が放送時間延長となった場合、当時は試合終了まで放送した関係でその分時間短縮となった。

1997年(平成9年)4月改編で『とんカツ』の終了に伴い、番組名から『とんカツ』の文字が外れて単に『FRIDAY SUPER COUNTDOWN 50』となった。斉藤アナもスポーツ部へ配置転換のため降板し、田中雄望(現:田中雄介)と吉田涙子アナがパーソナリティを担当。2人はこの後2006年(平成18年)4月改編まで、番組歴代最長の9年間に渡ってコンビを組んだ。番組中に通算放送回数がアナウンスされていたが、これは『TOYOTA SCD50』となった1990年10月14日放送からの通算回数であり、第183回放送分から『FRIDAY SCD50』となっている(ただし年間ランキング発表もしくは番組内容変更の場合はカウントしない)。また、番組テーマ曲も『TOYOTA SCD50』から変更されていない(第500回より若干アレンジされた)。

次の1997年10月改編では、『歌謡選抜』よりも前の1962年(昭和37年)から放送されてきた『全国歌謡ベストテン』が終了することになり、『全国歌謡』をネットしていた地方局向けに当番組のランキング上位10曲のみを紹介する録音ダイジェスト番組『SUPER COUNTDOWN 10』が新たに立ち上げられた。こちらには田中は出演せず、吉田アナが1人で担当した。

1996年から1999年にはニッポン放送[10]TOKYO FM[11]FM-FUJI[12] がそれぞれ金曜の同じ時間帯にカウントダウン番組をスタートさせ、一時期はNHK-FM[13] を含めた5番組が乱立したが、本番組は当日受け付ける電話リクエストを最大の武器に、それら裏番組を軒並み短期間で終了に追い込み、首都圏民放ラジオ局を代表するヒットチャート番組として確固たる地位を築いた。2000年BSQR489の開局時はBSQR489でも時差ネットされた。

2008年4月から『レコメン!』のパーソナリティであるK太郎(砂山アナ)が本番組のメインパーソナリティも担当したが、斉藤担当時代と違って『レコメン!』の冠は付かず、従来通り『FRIDAY SUPER COUNTDOWN 50』のままだった。また、『レコメン!』番組内では、報道系以外の速報(気象・交通情報)はK太郎自身が伝えるが、本番組では石田アナが担当した。

2008年8月15日放送分は電話リクエストの受付を行ったものの、番組自体は金曜日移動となってから初めて休止となった。これは、直前に放送していた北京オリンピック野球予選・日本対オランダ戦の中継(20時〜)に引き続いて、なでしこジャパンが出場した、北京オリンピックサッカー女子準々決勝・日本対中国戦を中継することが、急遽決まったためである。

スペシャルウィーク実施週であった2009年4月24日の放送は、新譜紹介コーナーを中断して、前日に公然猥褻現行犯逮捕され、放送当日に釈放された、SMAP草彅剛の記者会見の模様をニュースの扱いで6分間放送した(担当は扇一平アナ)。同会見の模様は、直前枠の『ライオンズナイター』でも当日放送カードの「西武×ロッテ」が早く終了したため放送していたが、本番組内でも再度取り上げられた。コーナーを中断して速報以外のニュースを取り上げるのは、本番組では異例のことである。

2010年(平成22年)4月30日には放送回数1000回を迎えた。これを記念して、直後の5月4日5日の2日間、試合開始時間の関係でライオンズナイターが放送されない夕方の時間帯に特別番組センパツ! SUPER COUNTDOWN 50 1000回スペシャル』が放送され、『TOYOTA SCD50』以来19年6カ月・1000回分をまとめた歴代通算ベスト50を発表した(年間ランキング1位獲得曲においての順位・ポイントは下記表を参照)。

しかし同年9月24日の放送で、『歌謡選抜』時代から35年に渡って行われていた電話リクエストが翌週(10月1日)の放送分で終了し、同年10月8日の放送からはEメールと携帯電話サイト・文化放送モバイルからのリクエストになると発表された。これにより、関東のラジオ局の夜間・深夜帯のリクエスト番組からの電リクが完全に無くなったことになる(日中の番組まで含めれば現在も『三宅裕司のサンデーヒットパラダイス』(ニッポン放送)などが電リクを行っている)。

2011年(平成23年)3月11日は同日に発生した東日本大震災東北地方太平洋沖地震)の緊急報道特番のため、放送休止となった。翌週3月18日もランキング発表を休止し番組内容を変更した(なお、同日はK太郎1人で担当したほか震災関連のニュースも挿入した)。急遽放送休止となったのは、『歌謡選抜』末期の1989年(平成元年)1月8日(前日に昭和天皇崩御)以来となった。同年4月8日からは、秋田放送(ABSラジオ)への同時ネットがスタートした(22:00 - 24:00のみ放送。同局は月 - 木曜の『レコメン!』も完全ネットしている)。

スパカン! 時代

2012年(平成24年)4月6日の放送から番組が大きくリニューアルし、番組タイトルが『スパカン!』に改められた。パーソナリティに舞台俳優ムロツヨシが抜擢されたが、ムロの相方となる女性アシスタントが『歌謡選抜』立ち上げ以来37年目にして初めて付けられず、ムロは一人で2時間半の長丁場を仕切った。『FRIDAY SCD50』時代は、内容はチャート発表のみだったが、リニューアル後は、音楽バラエティ番組として、番組オリジナルの音楽チャートのカウントダウンを中心に、様々なコーナーで構成されている。また、リスナーからのメッセージを募集している他、『TOYOTA SCD50』以来18年ぶりにゲストコーナーが設けられた。

2013年(平成25年)4月5日からは2局目のネット局となるラジオ福島(rfc)への同時ネットがスタート。同年10月4日からは文化放送で20 - 21時台のベルト番組『オトナカレッジ』が編成された関係で、21時台の関東ローカル枠は撤廃。文化放送も22時開始となる。

2014年(平成26年)4月4日放送分からは、ムロ就任後の「総合音楽チャートバラエティプログラム」というコンセプトを守りつつ、その週の音楽のカウントダウンや、ゲストなど、音楽のみならず、いろんなエンターテインメントの情報を取り入れ、また、トーク番組として楽しめるコーナーも取り入れ、「週末の夜にふさわしい、総合エンタテインメントバラエティプログラムへ進化する」[14]というポリシーが定められた。一方、2年ぶりに女性アシスタントが復活し、元AKB48大島麻衣が着任した。

2015年(平成27年)3月13日の放送にて、2週先の同月27日の放送を最後に終了すると発表され、『TOYOTA SCD50』から数えて25年、『歌謡選抜』からでは39年におよんだ歴史に終止符を打つことになった[15]。またこれは、1962年(昭和37年)4月改編スタートの『全国歌謡』以来、53年間に渡った文化放送制作ヒットチャート番組の歴史が途絶えることも意味した(A&G関連曲専門の『こむちゃ』は除く)。

そして2015年3月27日の最終回は、歴代最終パーソナリティにあたるムロの「俳優仲間」たちがゲスト出演して、25年にわたって続いてきた本シリーズのフィナーレを飾った[15]

復活特番

2022年4月1日、文化放送 開局70周年ウィークの一環として、『SUPER COUNTDOWN 50 復活特番!』を放送した。放送時間は同日 11:00 - 13:00。パーソナリティは砂山圭大郎[16]アナが10年振りに担当した。年間ランキング1位 獲得曲(後述)をフルコーラスで、2006年まで紹介。歴代のパーソナリティを務めた竹内、斉藤、吉田が番組にコメントを寄せた。


  1. ^ ただし、番組終了直前の放送回ではリクエスト以外は、何のデータをチャート決定の集計対象としているかは明確に述べられていなかった。
  2. ^ 2008年4月末までは、ニッポン放送『三宅裕司のサンデーハッピーパラダイス』が、時間を割いてJ-POPチャートを紹介していたが、チャート発表自体を一時取りやめた。しかし、2011年4月にリニューアルした『サンデーヒットパラダイス』で復活させた。TBSラジオはワイド番組『ストリーム』で、金曜日15時台のコーナーとして20分ほど扱っていたが、同番組終了の2009年4月以降休止。2010年4月に放送が始まった『ミュージックナビ〜昨日と今日との交差点〜』でチャートをフラッシュで紹介している。
    なお、ラジオ日本では、東京のAMラジオ局で唯一、J-POPを含まない、演歌・歌謡曲チャートを『夏木ゆたかのホッと歌謡曲』で、毎週金曜日に発表している。
  3. ^ このため、オープニングでは女性パーソナリティが電話番号を告知した後、男性パーソナリティが「東京03(市外局番)地区以外の方は、落ち着いて、ゆっくりと頭に必ず「03」をつけて電話してください」と呼びかけていた。
  4. ^ 通常、番組のオープニング終盤では「9時30分から午前0時まで、2時間30分に渡ってお送りするリクエスト・フルタイム・ヒットチャート」と紹介しているが、ナイター中継が延長した場合は太線の部分が変更されてアナウンスされる。なお「リクエスト・フルタイム・ヒットチャート」の部分は、電話リクエストを受け付けていた2004年6月以前は「電リク・フルタイム・ヒットチャート」となっていた。
  5. ^ 森と遠藤はどういうわけかフルネームで呼ばれることが滅多になく、森は番組冒頭でも竹内アナから「森さん」としか呼ばれなかった(森が正体を隠したかったからなのか、竹内アナが「もりかつじさん」と言いにくかったからなのか、理由は不明)。なお、遠藤は番組冒頭ではフルネームで呼ばれることが多かった。
  6. ^ 『TOYOTA SCD50』ではセブン-イレブンおよびニチレイ(1992年4月以降)もスポンサーだった。
  7. ^ 1位を50点満点として、デュエットなら半分、混合グループならメインボーカルが該当するチームに得点の全てを与えて、50位(1点)までの点数・1275点を奪い合う方式。
  8. ^ 当時、前塚は「モンスター前塚」の芸名を用いて活動していたが、本番組へは本名で出演していた。
  9. ^ 新聞ラ・テ欄における文化放送の欄では「カウントダウン50」(一部新聞を除き放送予定内容も表記)、秋田放送の欄では「フライデー・スーパーカウントダウン50」(放送予定内容表記なし)と表記。
  10. ^ LFクールKのフライデーウルトラカウントダウン』(1998年4月 - 1999年3月)
  11. ^ スーパーフライデー DAIHATSUオールジャパンベスト20』(1996年4月 - 1998年9月)かつてのスポンサー、トヨタ自動車の子会社であるダイハツ工業がスポンサーだった(1997年3月まで)。なお、ダイハツは1998年10月から『スーパーフライデー オールジャパンベストコレクション』でスポンサー復帰、同番組終了から2年後の2002年4月から2003年9月まで土曜午後の『DAIHATSU カウントダウン・ジャパン』のスポンサーについた。
  12. ^ 『J-TOP20』(1996年4月 - 2000年9月)
  13. ^ ミュージックスクエアカウントダウン』(1995年4月 - 2009年3月)
  14. ^ 2014年文化放送春の新番組”. 2014年3月24日閲覧。
  15. ^ a b “文化放送「スパカン!」27日で終了 前身番組から25年の歴史に幕”. スポーツニッポン. (2015年3月14日). http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2015/03/13/kiji/K20150313009978200.html 2015年3月13日閲覧。 
  16. ^ マイクネームのK太郎では無く、本人名義で担当。



スパカン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/06/23 19:37 UTC 版)

スパカンとはラジオ番組の略称である。




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