赤城敏正とは? わかりやすく解説

赤城敏正

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/03 18:14 UTC 版)

赤城 敏正(あかぎ としまさ、1957年昭和32年〉9月3日[1] - )は、元北海道放送(HBC)のアナウンサー北海道函館市出身[注釈 1]北海道大学水産学部水産増殖学科卒業[1]血液型B型[1]

略歴

1981年4月HBC入社[1]卒業論文執筆のための実験でワカメの栽培中にサーモスタットが壊れたために実験をやり直したために就職活動も遅れ、就職試験の遅かった北海道放送を受験したら合格したというエピソードを持つ[2]。本社アナウンス部に配属後、1982年8月に釧路放送局に異動して数々のローカル番組を担当し、1986年8月に本社アナウンス部へ異動(復帰)となり、その直後に、ナイターオフシーズン期の1986年10月から1987年3月まで放送されたラジオのリクエスト番組「赤城敏正 宵の口ワイド」を担当し好評を得たことから、1987年4月から1988年3月までの1年間にわたって「ベストテンほっかいどう」のパーソナリティを担当。以後、主にラジオを中心に活躍している。

テレビではナレーションを担当することが多く、顔を出して番組に出演するケースが(特に末期は)非常に少なかった[3]

HBCのアナウンス部長を務めていたが、2012年6月28日付で社長室広報部長兼コンプライアンス室経営管理部長に異動となった。[4]。なお、アナウンサー時代に収録していた日曜深夜のラジオ放送におけるクロージングアナウンスの音源や一部のラジオCMは人事異動後も流れていた。

2017年10月頃にアナウンス部に復帰し、アナウンサー業へ復帰。

担当番組

テレビ

ラジオ

釧路放送局

  • 釧路市民の時間(1982年8月 - 1986年8月)
  • QLタイム釧路からこんにちは(1982年8月 - 1986年8月)
  • まつだワイワイプレゼント(1982年8月 - 1986年8月)
  • 十条ドッキリ生放送(1982年8月 - 1986年8月)
  • 赤城敏正のLPランド(1982年8月 - 1986年8月)

本社アナウンス部

脚注

注釈

  1. ^ 札幌市出身としている資料もある[1]

出典

  1. ^ a b c d e DJ名鑑 1987三才ブックス、1987年2月15日、201頁。
  2. ^ ラジオパラダイス 1987年11月号「中波47局全国行脚 北海道放送の巻」p.22
  3. ^ 2006年12月1日「久しぶりのテレビ番組・・」(赤城 敏正) - HBCアナウンサー日記
  4. ^ 2012年5月25日付北海道新聞より

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