アルジェリア 概要

アルジェリア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/28 15:38 UTC 版)

概要

アフリカ世界地中海世界アラブ世界の一員であり、アフリカ連合アラブ連盟地中海連合アラブ・マグレブ連合に加盟している。

2011年の南スーダン独立によりスーダンが分割され領土が縮小したことで、スーダンを超えてアフリカ大陸において最も領土が広い国となっている。

同国は世界全体でも第10位の領土面積を誇る国家である。

国名

正式名称は、الجمهورية الجزائرية الديمقراطية الشعبيةラテン文字転写: al-Jumhūrīya al-Jazā'irīya al-Dīmuqrātīya al-Shaʿbīya)。アラビア語における通称はアル=ジャザーイル الجزائر (al-Jazā'ir)。

日本語表記は、アルジェリア民主人民共和国。通称アルジェリアで、英語Algeria に由来する。漢語表記は、阿爾及利亜または阿爾及

アラビア語の国名は、首都アルジェのアラビア語名 الجزائر (アル=ジャザーイル) に由来する。両者ともに同じ綴り・発音で、国名については「アルジェがある国」のような意味合いを持つ。オスマン帝国時代にアルジェ含む一帯を都市と同名で呼んだのが起源で、南方の砂漠地帯と共にフランス領となった際にもその呼び名が引き継がれた。

英語名 Algeria は、アルジェのフランス語名である Alger に地名語尾の -ia を付して作られたもので、「アルジェの国」のような意味合いを持つ。

末尾に「人民共和国」とあるが、これはかつて社会主義標榜していたからであって、現在は実質的に社会主義を放棄している。

歴史

古代アルジェリア

新石器時代の住人は、タッシリ・ナジェール遺跡を遺した。紀元前には内陸部にベルベル人が存在した。沿岸部にはカルタゴ植民都市が存在したが、ポエニ戦争を経てカルタゴは滅亡。ベルベル人のヌミディア王国ユグルタ戦争ローマ内戦を経て、最終的にユリウス・カエサルの征服によってローマ共和国属州となった。その後、ゲルマン系ヴァンダル族東ローマ帝国の征服を受けた。

イスラーム帝国期

8世紀にウマイヤ朝などアラブ人イスラーム勢力が侵入し、イスラーム化した。アルジェリアには内陸部にルスタム朝が栄え、イスラーム化と共に住民のアラブ化も進み、11世紀のヒラール族の侵入によって農村部でのアラブ化が決定的になった。

イスラーム化した後もある程度の自治は保ち続けた。西から進出したムラービト朝ムワッヒド朝の支配を経た後に、1229年にハフス朝が成立。1236年にトレムセンを都としたザイヤーン朝が成立した。

オスマン帝国領アルジェリア期

16世紀に入ると東からはオスマン帝国の、西からはスペイン帝国の進出が進み、1533年にはアルジェを根拠地とした海賊バルバロッサがオスマン帝国の宗主権を受け入れた。1550年にオスマン帝国はザイヤーン朝を滅ぼした。オスマン帝国の治下ではトルコ人による支配体制(オスマン帝国の属州という形であったが、実際にはエジプトのムハンマド・アリー朝のような提督による間接支配に相当)が築かれ、アルジェのデイは沿岸のキリスト教国の船をバルバリア海賊を率いて襲撃していた。

これに対してアメリカ合衆国が武力行使し、第1次バーバリ戦争(1801年 - 1805年)。第2次バーバリ戦争1815年)と一連のバーバリ戦争が勃発。1817年8月27日には西欧諸国によるアルジェ砲撃が起きた。

フランス領アルジェリア期

フランス人のアルジェリア征服に抵抗したアブド・アルカーディル(アブデルカーデル)

1830年フランスがアルジェを占領した。フランスによる征服に対してアブド・アルカーディルが激しく抵抗したが、1847年にフランスは全アルジェリアを支配した。アルジェリア北岸にはアルジェ県、オラン県コンスタンティーヌ県が置かれ、これら三県はフランス本土と同等の扱いを受け、多くのヨーロッパ人がフランス領アルジェリアに入植した。

1916年トゥアレグ族の貴族Kaocen Ag Mohammedが、トゥアレグ族居住地域内のアガデスで蜂起した(en:Kaocen Revolt)。フランス軍が鎮圧したものの、第一次世界大戦が終わると独立運動が激化し始めた。

第二次世界大戦中の1942年のトーチ作戦以降は反ヴィシー政権の拠点となり、シャルル・ド・ゴールを首班とするフランス共和国臨時政府もアルジェで結成された。第二次世界大戦が終結すると独立運動が再び激化し始めた。1954年には現地人(アンディジェーヌ)と入植者(コロン)の対立に火が付きアルジェリア戦争が勃発、100万人に及ぶ死者を出した。アルジェリア戦争中の1960年代にはサハラ砂漠フランスの核実験が行われた。「ジャミラ・ブーパシャ」も参照。

独立

1962年7月5日にアルジェリア民主人民共和国として独立を達成し、8月4日に誕生した初代のベン・ベラ大統領は社会主義政策を採り、キューバ革命後のキューバと共に非同盟運動と世界革命路線を推進した。一方、独立によってトゥアレグ族居住地がアルジェリアとマリニジェールに分割されていたが、域内アガデス州アーリットアクータ鉱山から産出する、冷戦下で重要性が高まっていたウランを巡って、第1次トゥアレグ抵抗運動英語版(1962年-1964年)が勃発した。産出するウランの一部は日本に出荷されている。1963年10月、西サハラ国境(ティンドゥフ県ベシャール県)をめぐる砂戦争英語版モロッコと交戦した。

1965年ウアリ・ブーメディエン英語版が軍事クーデターでベン・ベラ政権を打倒し、ベン・ベラを幽閉した。ブーメディエンは、現実的な国造りを進め、社会主義政策に基づいて経済成長を達成した。1976年1月、西サハラのアムガラ英語版でモロッコと交戦(第1次アムガラの戦い (1976年)英語版)し、西サハラ戦争英語版1975年 - 1991年)にサハラ・アラブ民主共和国1976年2月独立)側で参戦した。1978年にブーメディエンが死去した後、1980年代に入ると民族解放戦線(FLN)の一党制によるアラブ人主導の国造りに対して、ベルベル人からの反発が高まった。

進行していた経済危機の影響もあって1989年に憲法が改正され、複数政党制が認められた。1980年代後半からシャドリ・ベンジェディード英語版政権でのFLNによる一党制や経済政策の失敗に不満を持った若年層を中心にイスラーム主義への支持が進み、1991年の選挙でイスラム原理主義政党のイスラム救国戦線英語版(FIS)が圧勝したが、直後の1992年1月世俗主義を標榜した軍部主導のクーデターと国家非常事態宣言によって、選挙結果は事実上無効になった。このクーデターにより国内情勢は不安定化し、軍とイスラム原理主義過激派の武装イスラム集団(GIA)とのアルジェリア内戦1991年12月26日 - 2002年2月8日)により10万人以上の犠牲者が出た。内戦末期の1998年9月にはGIAから「説教と戦闘の為のサラフィー主義者集団」(GSPC、2007年以降はイスラーム・マグリブ諸国のアル=カーイダ機構)が誕生した。

1995年に大統領に就任したリアミール・ゼルーアル英語版大統領は2000年の任期満了を待たずに辞任したため、1999年4月に行われた大統領選挙でアブデルアジズ・ブーテフリカ大統領が選出された。一時、国情が沈静化しつつあったものの、北部や東部ではAQIM(イスラーム・マグリブ地域のアル=カーイダ組織)によるテロが頻発し、犠牲者が多数出ており、その後も国家非常事態宣言は発令されたままの状況が続いた。

2004年トランス・サハラにおける不朽の自由作戦に加わった。2009年4月9日大統領選挙が行われ、ブーテフリカ大統領が90.24%で3選されたと同国内務省が10日発表した。任期は5年。投票率は70.11%であった。

2010年-2011年アルジェリア騒乱が発生したこともあり、発令より19年が経過した2011年2月24日になってようやく国家非常事態宣言が解除された[3]

2013年1月16日イリジ県イナメナスにある天然ガス関連施設でアルジェリア人質事件が起こった。

2019年、5回目の再選を目指すブーテフリカ大統領に対する大規模抗議運動(en:2019 Algerian protests)が起き、ブーテフリカは続投を断念することとなった。その結果、同年の大統領選に立候補していた元首相のアブデルマジド・テブンが当選を果たした。

2021年8月24日、カビリー地方の独立運動やアルジェリア国内の山火事にモロッコが関与しているとして、アルジェリアはモロッコとの国交断絶を宣言した[4]。断交の背景には、西サハラの領有権を主張するモロッコと、その独立を支援するアルジェリアの対立がある[5]

政治

元大統領アブデルアジズ・ブーテフリカ(1999年4月~2019年4月)
現大統領アブデルマジド・テブン(2019年12月19日~)

元首

大統領を国家元首とする共和制を敷いており、現行憲法は1976年憲法である。大統領は民選で、任期は2期5年とされていたが、2008年に当選回数制限は解除され、2014年の大統領選挙でブーテフリカが4度目の当選を決めた。2019年4月18日に予定されていた大統領選挙英語版に出馬し5選を目指す意向を示していたが、国内で反対デモが相次いだため3月11日に出馬断念を表明。同時に大統領選挙の延期を発表したほか、ヌレディン・ベドゥイ英語版内務大臣を新首相に任命した[6]。同年4月1日、4月28日の任期満了までに大統領を退くことを発表[7]。翌2日、正式に辞任した[8]。その後、2019年大統領選挙により、アブデルマジド・テブンが当選し、2019年12月19日に大統領に就任する[9]

行政

行政府の長は首相で、大統領が任命する。首相は各大臣を任命する権限がある。1995年以降は複数候補による大統領選挙が行われている。

立法

立法権は議会に属し、議会は、1996年まで一院制をとってきたが、憲法改正により両院制(二院制)へ移行した。下院は380議席、上院は144議席からなる。

主要政党としては民族解放戦線(FLN)、民主国民連合である。その他にも、平和のための社会運動(MSP)、アルジェリア希望の集まり(TAJ)、穏健改革イスラム党連合(MFB)、社会主義勢力戦線(FFN)、アルジェリア人民運動(MPA)などが挙げられる。

司法

司法権は最高裁判所に属している。


  1. ^ a b UNdata”. 国連. 2021年11月7日閲覧。
  2. ^ a b c d e IMF Data and Statistics 2021年10月16日閲覧([1]
  3. ^ “アルジェリアが非常事態宣言を解除、反体制派に譲歩”. ロイター (ロイター). (2011年2月25日). http://jp.reuters.com/article/worldNews/idJPJAPAN-19716720110225 2011年2月25日閲覧。 
  4. ^ a b c アルジェリア、モロッコと国交断絶 「敵対行為」めぐり” (日本語). AFP. 2021年8月25日閲覧。
  5. ^ a b アルジェ 対モロッコ強硬「西サハラで主権」反発『読売新聞』朝刊2021年11月22日(国際面)
  6. ^ “アルジェリア大統領、5選出馬撤回=抗議デモで転換、投票も延期”. 時事ドットコム. 時事通信社. (2019年3月12日). https://www.jiji.com/jc/article?k=2019031200202&g=int 2019年3月12日閲覧。 
  7. ^ “Le président algérien Abdelaziz Bouteflika démissionnera avant le 28 avril”. France 24. (2019年4月2日). https://www.france24.com/fr/20190401-algerie-abdelaziz-bouteflika-demission-avant-28-avril-mandat-presidence 2019年4月3日閲覧。 
  8. ^ “アルジェリアで大統領が辞任 20年の長期政権に批判高まり”. BBC News. BBC. (2019年4月3日). https://www.bbc.com/japanese/47796417 2019年4月4日閲覧。 
  9. ^ ピエリック・グルニエ (2019年12月18日). “大統領選で無党派のテブン元首相が勝利、反体制運動は激化も(アルジェリア)”. 独立行政法人日本貿易振興機構. 2022年10月23日閲覧。
  10. ^ “西サハラが“日本デビュー”、政府は国家として未承認も、AU側招待を黙認”. 毎日新聞. (2019年8月30日). https://mainichi.jp/articles/20190830/k00/00m/030/010000c 2019年8月30日閲覧。 
  11. ^ a b アルジェリア基礎データ 日本国外務省
  12. ^ 私市正年編『アルジェリアを知るための62章』pp.254-256
  13. ^ 私市正年編『アルジェリアを知るための62章』p.257
  14. ^ Algeria - Military Spending”. GlobalSecurity.org (2016年1月14日). 2018年7月20日閲覧。
  15. ^ “アルジェリア軍機が墜落 死者77人、生存者1人”. CNN. (2014年2月12日). http://www.cnn.co.jp/world/35043735.html 2014年2月12日閲覧。 
  16. ^ IMFによるGDP
  17. ^ 内閣府による県民経済計算 (PDF)
  18. ^ « Algérie : les chinois révèlent le coût de la grande mosquée d'Alger » , sur Observ'Algérie, 29 avril 2019
  19. ^ East-West Highway - Road Traffic Technology”. 2010年10月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年11月9日閲覧。
  20. ^ “鹿島建設・大成建設・西松建設・間組・伊藤忠商事の共同企業体がアルジェリアで高速道路建設工事を受注”. 鹿島建設. https://www.kajima.co.jp/news/press/200609/20m1fo-j.htm 2018年7月25日閲覧。 
  21. ^ “Algerian East-West Expressway Project”. 中信建設. http://construction.citic/en/content/details_47_2362.html 2018年7月25日閲覧。 
  22. ^ “Algeria deals with Chinese firm to complete last artery motorway section”. 新華社. http://www.xinhuanet.com/english/2017-11/23/c_136772600.htm 2018年7月25日閲覧。 
  23. ^ “中国企業建設のアルジェリア高速道路が一部開通”. 人民網. http://j.people.com.cn/n3/2018/0421/c94476-9452174.html 2018年7月25日閲覧。 
  24. ^ 私市正年編『アルジェリアを知るための62章』p.35
  25. ^ “Algeria recognises Berber language” (英語). (2016年2月7日). https://www.bbc.com/news/world-africa-35515769 2019年6月15日閲覧。 
  26. ^ https://www.cia.gov/library/publications/the-world-factbook/geos/ag.html 2009年4月2日閲覧
  27. ^ 私市正年編『アルジェリアを知るための62章』p.355
  28. ^ 私市正年編『アルジェリアを知るための62章』p.72





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