こんごう型護衛艦 こんごう型護衛艦の概要

こんごう型護衛艦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/08 01:10 UTC 版)

こんごう型護衛艦
DDG-175 みょうこう
基本情報
艦種 ミサイル護衛艦 (DDG)
命名基準 日本の山岳名
建造所 三菱重工業長崎造船所
石川島播磨重工業
運用者  海上自衛隊
建造期間 1990年 - 1998年
就役期間 1993年 - 就役中
建造数 4隻
前級 はたかぜ型
次級 あたご型
要目
基準排水量 7,250トン
満載排水量 9,485トン
全長 161 m
最大幅 21 m
深さ 12 m
吃水 6.2 m
機関方式 COGAG方式
主機 LM2500ガスタービンエンジン×4基
推進器 可変ピッチ・プロペラ×2軸
出力 100,000馬力
電源 アリソン501-K34ガスタービン主発電機 (2,500 kW)×3基
最大速力 30ノット
航続距離 6,000海里 (20kt巡航時)
燃料 1,785トン
乗員 300人
兵装
搭載機 ヘリコプター甲板のみ
C4ISTAR
FCS
  • Mk.99 SAM用×3基
  • FCS-2-21G 主砲用[1]×1基
  • レーダー
  • AN/SPY-1D 多機能型 (4面)×1基
  • OPS-28D 対水上捜索用×1基
  • OPS-20 航海用×1基
  • ソナー
  • OQS-102 艦首装備式×1基
  • OQR-2 曳航式[2]×1基
  • 電子戦
    対抗手段
  • NOLQ-2電波探知妨害装置
  • Mk.137 6連装デコイ発射機×4基
  • 曳航具4型 対魚雷デコイ[3]×1組
  • テンプレートを表示

    6103中期防に基づき、昭和63年度から平成5年度にかけて4隻が建造された[4]ネームシップの建造単価は約1,223億円であった[5][注 1]

    来歴

    海上自衛隊は、第1次防衛力整備計画期間中の「あまつかぜ」(35DDG)によってミサイル護衛艦(DDG)の整備に着手した。その後、第3次防衛力整備計画より建造を開始したたちかぜ型(46/48/53DDG)でシステムのデジタル化と海軍戦術情報システム(NTDS)に準じた戦術情報処理装置の導入、そして五三中業より建造を開始したはたかぜ型(56/58DDG)ではCIC能力の強化とともにプラットフォームのガスタービン化も達成するなど、順次に性能強化を図っており、とくにはたかぜ型については在来型ミサイル護衛艦の頂点に立つものと評されていた[8]

    しかし一方で、当時のソビエト連邦軍においては、射程400km、超音速を発揮できるKh-22 (AS-4「キッチン」) 空対艦ミサイルと、その発射母機として、やはり超音速を発揮できるTu-22M爆撃機、そしてこれらを援護して電子攻撃を行うTu-16電子戦機の開発・配備が進められており、経空脅威は急激に増大していた。このことから、これらの在来型ミサイル護衛艦が装備していたターター・システムでは、性能上対処困難という問題が生じ、電子戦下でも多目標同時対処可能な防空システムであるAWSの取得が志向されるようになった[4]

    海上自衛隊がAWSの導入に向けて動き始めたのは1981年ごろとされている。数度の折衝を経て、1984年には、アメリカ側より「日本に対するAWSのリリース可能」との回答がなされた。これを受けて、同年8月には「イージス・プロジェクト・チーム」が発足、1985年8月には「洋上防空態勢プロジェクト」が編成された[4]。また昭和60年度計画で予定されていたはたかぜ型3番艦の建造が中止され、イージスミサイル護衛艦の建造余席が確保された[8]

    1986年5月、防衛庁(当時)内に設置されていた業務・運営自主監査委員会を発展拡大させて防衛改革委員会が設置され、その傘下の4つの委員会および小委員会の一つとして洋上防空体制研究会(洋防研)が発足した。洋防研においては、OTHレーダー早期警戒機要撃戦闘機、そして艦対空ミサイル・システムを組み合わせることによる洋上防空体制の強化・効率化が模索されており、研究の結果、護衛艦の艦対空ミサイル・システムの性能向上についてはAWSが最適であるとの結論に至った。これらの検討結果は1987年(昭和62年)12月の安全保障会議において了承された[9]。これによって建造されたのが本型である[4]

    設計

    本型はアメリカ海軍アーレイ・バーク級ミサイル駆逐艦をモデルとしており、特にAWSの各種レーダー類の配置の必要上、上部構造物の設計は類似したものとなっている。また主機も同構成となった。一方で、船体部分の設計は従来の護衛艦と同じ手法によって行われているほか、群旗艦としての能力が要求されたこともあって、上部構造物は大型化し、排水量も同級と比して大きく増大している[10]。基本計画番号はF116[11]

    船体

    船型は、アーレイ・バーク級では艦尾甲板が1段下がっている長船首楼型であったのに対し、本型では従来の護衛艦と同様、上甲板の整一化を図り、艦尾まで平坦に続く遮浪甲板型を採用した。なお艦尾甲板はヘリコプター甲板とされているが、ヘリコプターの発着が係留装置と干渉することがないよう、艦尾甲板の舷側部はなだらかに傾斜している。これを初代むらさめ型(31/32DDA)を始めとする初期の海上自衛隊護衛艦の設計上の特徴であったオランダ坂に喩えて、ミニ・オランダ坂とも称するが、この造作はむらさめ型(03DD)をはじめとする第2世代汎用護衛艦(DD)でも踏襲された[12]

    またアーレイ・バーク級から導入された重要な要素が傾斜船型の採用である。これは、AN/SPY-1Dレーダーを設置するためには上甲板の幅を広げる必要があった一方で、艦の推進性能確保のためには吃水部分の幅を絞る必要があったことから、これらを両立させるために採用されたものであったが、レーダー反射断面積(RCS)低減にも効果があった。赤外線シグネチャー低減のため、煙突への低減装置装備や海水管の散水装置も設置されている。また水中放射雑音低減のため、プレーリー・マスカーを装備するほか、各種の防振・防音対策も講じられている[10]

    抗堪性についても、相応に配慮されている。アーレイ・バーク級では船体は鋼製としたものの、煙突やマストはアルミ合金のままであったのに対して、本型では全鋼製とし、枢要区画においては更に二重隔壁およびニッケルクロムモリブデン鋼による弾片防御が導入され、またノンハロゲン難燃性ケーブルの導入などもなされている[13]。被害局限化のため、艦内は4つのゾーンに区分されている。また主要配管については、左右舷や甲板の上下などに分散しており、単に艦の中央部前後で左右に分けるだけだった従来のリングメイン方式よりも更に徹底した方式となっている。またNBC防御のため、艦内に与圧をかけて外圧と遮断している[10]

    搭載艇は7.9メートル内火艇2隻のほか、6.3メートル複合型作業艇1隻が搭載された[10]

    乗員区画

    第1から第10までの乗員区画があり、それぞれロッカー、TV、DVDレコーダー、冷蔵庫が装備される[14]。船体の大型化に伴い、前級のはたかぜ型護衛艦が三段ベット仕様だったものが、二段ベットに改善されている[14]。浴室は第1から第4までの4つあり、民生用の洗濯機や乾燥機も設置される[14]。別に洗濯室があり10-15台前後の洗濯機が用意されている[14]。洗面所も4か所存在する[14]。食堂は艦の後部にあり、一度に70名程度の人員が食事を摂ることができる[14]。食堂以外の娯楽スペースとしては、保養室(トレーニングルーム)もあり、ベンチプレスエルゴメーターなどが設置されている[14]。乗員は家族との連絡は、衛星船舶電話(1分間90円)と電子家庭通信装置によるEメール(1日2回送受信)を使って行う。医務室には標準的な薬剤が収められておおり、搭乗している衛生員(准看護師資格保有者)が対応する[14]。医官(医師いわゆる軍医)は乗艦しておらず、必要に応じて遠隔診断で診療する[14]

    機関

    船体設計は独自色が強かったのに対して、機関構成はおおむねアーレイ・バーク級に準じたものとなっている。主機関には、同級と同じゼネラル・エレクトリック LM2500ガスタービンエンジン石川島播磨重工業によるライセンス生産機)を海自としては初装備し、COGAG方式で主機関4基により推進器(5翼のスキュー付き可変ピッチ・プロペラ)2軸を駆動する方式とされた。機関区画は抗堪性に配慮してシフト配置とされており、前方の第1機械室が左舷軸、補機室(第2発電機室)を挟んで後方の第2機械室が右舷軸を駆動する方式とされた[10]。またこれら機械室の前後にそれぞれ第1・3発電機室が配されており、この5つの区画で機関区画を構成している[15]

    電源としては、アリソン社の501-K34ガスタービンエンジン(石川島播磨重工業によるライセンス生産機)を原動機とする発電機(出力2,500 kW)3セットが搭載された[16]。これは2基を常用、1基を非常用として主発電機の運転区分により対応するものであった。従来の護衛艦の装備要領とは異なっており、機種を含めてアーレイ・バーク級から導入された手法であったが、以後のDD・DDGで標準となった[10]


    注釈

    1. ^ このうち、国内メーカーに支払われたのは400-500億円程度で、残りの約800億円はアメリカ側への支払いにあてられた[6]。このほか、年間の維持管理費が40億円かかるとされている[7]
    2. ^ a b 2番艦は50t増
    3. ^ 3番艦は100t増
    4. ^ さわかぜのみ
    5. ^ 1番艦90式2番艦17式
    6. ^ a b 通常は搭載されていない。

    出典

    1. ^ 多田 1997.
    2. ^ a b c d Wertheim 2013, pp. 363–364.
    3. ^ a b c 海人社 2014a, pp. 37–66.
    4. ^ a b c d e 山崎 2014.
    5. ^ 防衛省経理装備局 艦船武器課 (2011年3月29日). “艦船の生産・技術基盤の現状について” (PDF). 2021年1月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年6月28日閲覧。
    6. ^ 林 2013.
    7. ^ 加藤健二郎『いまこそ知りたい自衛隊のしくみ』日本実業出版社、2004年。ISBN 4534036957 
    8. ^ a b 香田 2015, pp. 210–213.
    9. ^ 防衛庁第3部 わが国防衛の現状と課題」『防衛白書』1988年http://www.clearing.mod.go.jp/hakusho_data/1988/w1988_03.html2012年9月29日閲覧 
    10. ^ a b c d e f g h i j k l m n 海人社 2014b.
    11. ^ 技術研究本部 2002, p. 111.
    12. ^ 海人社 2004, pp. 182–185.
    13. ^ 技術研究本部 2002, pp. 91–92.
    14. ^ a b c d e f g h i 護衛艦 こんごう 家族のしおり 海上自衛隊 2021年
    15. ^ 海人社 2007, pp. 76–85.
    16. ^ 寺田 1995.
    17. ^ a b c 岡部 2014.
    18. ^ 海人社 2007, pp. 86–93.
    19. ^ a b c d e 岡部 2018.
    20. ^ 防衛庁 (1999年). “弾道ミサイル防衛に関する日米共同技術研究”. 2017年12月21日閲覧。
    21. ^ a b 山崎 2010.
    22. ^ 8月11日 産経新聞
    23. ^ 山崎 2011.
    24. ^ 技術研究本部 2002, pp. 79–80.
    25. ^ 香田 2015, pp. 134–143.
    26. ^ 技術研究本部 2002, pp. 85.
    27. ^ 香田 2015, pp. 188–207.


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