フェデレーション・カップとは? わかりやすく解説

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ビリー・ジーン・キング・カップ

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/13 03:30 UTC 版)

ビリー・ジーン・キング・カップ
今シーズン・大会:
ビリー・ジーン・キング・カップ2024
競技テニス
創立1963年
参加チーム8 (ワールドグループ)
95 (総計)
ITF加盟国
BJK杯

ビリー・ジーン・キング・カップ(Billie Jean King Cup, 略称BJKカップ)は、1963年から開催されている女子テニスの国別対抗戦である。男子のデビスカップに相当する。1963年国際テニス連盟(International Tennis Federation)設立50周年を記念して、第1回大会が行われた。最初の名称は「連盟」の名前を取って「フェデレーション・カップ」(Federation Cup)といったが、1995年から「フェドカップ」に変更された。ITFは2020年9月に伝説的女子テニスプレーヤービリー・ジーン・キングを称えて現名称に変更[1][2] 。ゲインブリッジ・ビリー・ジーン・キング・カップ(Billie Jean King Cup by Gainbridge )として開催されている。

歴史

  • 1976年から1982年まで、アメリカが大会7連覇を達成する。
  • 1981年 フェデレーション・カップが初めて日本に誘致される。この時の会場は「多摩川園ラケットクラブ」だった。
  • 1985年 フェデレーション・カップが2度目の日本誘致。この時は愛知県の「名古屋グリーンクラブ」で行われる。
  • 1989年 フェデレーション・カップが3度目の日本誘致。この時は東京有明コロシアムで行われた。アメリカ・チームが2年連続14度目の優勝を飾ったが、クリス・エバートの現役最後の試合がこのフェデレーション・カップであった。
  • 1991年 この年のフェデレーション・カップで、当時の女子テニス界のトップ選手であった3名が各国の代表選手を辞退する。モニカ・セレシュユーゴスラビア代表、当時最年少世界ランキング1位になったばかり)、ガブリエラ・サバティーニアルゼンチン代表、ソウル五輪銀メダリスト)、マルチナ・ナブラチロワアメリカ代表)の3選手に対して、国際テニス連盟は翌92年バルセロナ五輪の出場を禁止する措置を発表した。ここで重視された論点は「国の代表選手」としての役割である。オリンピック代表選手がこの役割を担う以上、自国の代表としてフェデレーション・カップへの出場を拒否する選手は、五輪代表にはふさわしくないのである。この年のフェデレーション・カップが今後の型となり、テニスにおけるオリンピック代表選手の選考資格に「フェドカップの代表選手であること」が必須事項の1つとなった。
  • 1992年 ドイツ・チームが5年ぶり2度目の優勝。1990年10月3日に実現した東西ドイツ再統一により、この時は「統一ドイツ代表」となっていた。シュテフィ・グラフアンケ・フーバーの2人を軸にして得た優勝だったが、これ以後ドイツはフェドカップの優勝から遠ざかっている。
  • 1993年から1995年まで、スペイン・チームが大会3連覇を達成する。
  • 1995年 この年から、男子国別対抗戦の「デビスカップ」に倣って、各国が前年度の成績に基づいて「グループ」に振り分けられる。日本チームは当時の最高位置である「ワールドグループ」8ヶ国に入った。
  • 1996年 日本が「ワールドグループ」1回戦でドイツを3勝2敗で破り、初の準決勝に進出。準決勝ではアメリカに敗退。
  • 2020年 この年からデ杯同様決勝大会が再度復活の予定だったが、新型コロナウイルス感染症の世界的流行の影響で決勝ラウンドは2021年に延期された (予選ラウンドは2020年に行われた)。

大会の流れ

  • 1994年までは、資格のある32ヶ国が1箇所に集まってトーナメント方式で行っていたが、1995年から男子のデビスカップと同様のグループ方式になる。
  • 大会は年一度開催される。
  • 現在はワールドグループ(16ヶ国チームが所属)を頂点として、その下に3つの地域ゾーンがある。それぞれの地域ゾーン内はさらに6ヶ国~10ヶ国チームずつの構成でクラス分けがされていて、ワールドグループ所属チームを含めて95ヶ国(2007年現在)のチームが参加している。(構成の詳細はデビスカップの解説を参考)
  • ワールドグループはIとIIに分かれている。大会ではグループIIの1回戦の勝者チームが次シーズンのグループIへの昇格を賭けてグループIの一回戦敗者チームとそれぞれ入れ替え戦に臨む。グループIの1回戦勝者チームはそのまま大会優勝を目指してトーナメントでの対抗戦を行う(2007年現在)。
  • 各対戦は3セットマッチ制(試合の方法の詳細はテニスの記事を参照)の試合をシングルス4試合ダブルス1試合(1日目シングルス2試合、2日目シングルス2試合ダブルス1試合)の合計5試合で行われる。

大会フォーマット (2020年大会より)

ワールドグループの対戦方式に大きな変更があり、1か所で1週間かけて「BJKカップ・ファイナルズ」として開催されることとなった。2020年は12か国(前年決勝進出国と開催地、ワイルドカード、予選勝ち上がりの8か国)が3か国ずつ4つのグループに分かれてラウンドロビン方式で対戦し、各グループ1位の4か国が準決勝に進み、以降はトーナメント方式となる。各国間の対戦はシングルス2試合・ダブルス1試合の計3試合となり、各試合は3セット・マッチで行われる。

2025年はフォーマットに再度変更がある。予選ラウンドをホーム&アウェー方式から18ヵ国が3チームによる6グループ(開催地は各グループ内の出場国から選出)に別れての総当たり戦(シングルス2試合+ダブルス1試合)に変更し、各グループの勝者と前年の優勝国&開催国がファイナルズ(中国・深圳/9月16~21日/室内ハードコート)に進出して優勝チームを決定する。なお、2026年以降の予選ラウンドは再度ホーム&アウェー方式になる予定。

歴代優勝国

以下はこれまでの決勝戦の記録である。

優勝国 スコア 準優勝国 決勝会場 (サーフェス)[3] 都市
1963  アメリカ合衆国 (1) 2–1  オーストラリア (1) クイーンズ・クラブ (G) ロンドン
1964  オーストラリア (1) 2–1  アメリカ合衆国 (1) ジャーマンタウン・クリケット・クラブ (G) フィラデルフィア
1965  オーストラリア (2) 2–1  アメリカ合衆国 (2) Kooyong Club (G) メルボルン
1966  アメリカ合衆国 (2) 3–0  西ドイツ (1) Turin Press Sporting Club (C) トリノ
1967  アメリカ合衆国 (3) 2–0  イギリス (1) Blau-Weiss T.C. (C) 西ベルリン
1968  オーストラリア (3) 3–0  オランダ (1) スタッド・ローラン・ギャロス (C) パリ
1969  アメリカ合衆国 (4) 2–1  オーストラリア (2) Athens Tennis Club (C) アテネ
1970  オーストラリア (4) 3–0  西ドイツ (2) Freiburg T.C. (C) フライブルク
1971  オーストラリア (5) 3–0  イギリス (2) Royal King's Park T.C. (G) パース
1972  南アフリカ共和国 (1) 2–1  イギリス (3) Ellis Park (H) ヨハネスブルク
1973  オーストラリア (6) 3–0  南アフリカ共和国 (1) Bad Homburg T.C. (C) バート・ホンブルク
1974  オーストラリア (7) 2–1  アメリカ合衆国 (3) Naples T.C. (C) ナポリ
1975 チェコスロバキア (1) 3–0  オーストラリア (3) Aixoise C.C. (C) エクス=アン=プロヴァンス
1976  アメリカ合衆国 (5) 2–1  オーストラリア (4) The Spectrum (ICp) フィラデルフィア
1977  アメリカ合衆国 (6) 2–1  オーストラリア (5) Devonshire Park (G) イーストボーン
1978  アメリカ合衆国 (7) 2–1  オーストラリア (6) クーヨン・クラブ (G) メルボルン
1979  アメリカ合衆国 (8) 3–0  オーストラリア (7) RSHE Club Campo (C) マドリード
1980  アメリカ合衆国 (9) 3–0  オーストラリア (8) Rot-Weiss Tennis Club (C) 西ベルリン
1981  アメリカ合衆国 (10) 3–0  イギリス (4) 田園テニス倶楽部 (C) 東京
1982  アメリカ合衆国 (11) 3–0  西ドイツ (3) Decathlon Club (H) サンタクララ
1983 チェコスロバキア (2) 2–1  西ドイツ (4) Albisguetli T.C. (C) チューリッヒ
1984 チェコスロバキア (3) 2–1  オーストラリア (9) Pinheiros Sports Club (C) サンパウロ
1985 チェコスロバキア (4) 2–1  アメリカ合衆国 (4) 名古屋グリーンクラブ (H) 名古屋
1986  アメリカ合衆国 (12) 3–0 チェコスロバキア (1) Štvanice Stadium (C) プラハ
1987  西ドイツ (1) 2–1  アメリカ合衆国 (5) Hollyburn C.C. (H) バンクーバー
1988 チェコスロバキア (5) 2–1 ソビエト連邦 (1) Flinders Park (H) メルボルン
1989  アメリカ合衆国 (13) 3–0  スペイン (1) 有明テニスの森公園(H) 東京
1990  アメリカ合衆国 (14) 2–1 ソビエト連邦 (2) Peachtree W.O.T. (H) アトランタ
1991  スペイン (1) 2–1  アメリカ合衆国 (6) ノッティンガム・テニスセンター (H) ノッティンガム
1992  ドイツ (2) 2–1  スペイン (2) ヴァルトシュタディオンTC (C) フランクフルト
1993  スペイン (2) 3–0  オーストラリア (10) ヴァルトシュタディオンTC (C) フランクフルト
1994  スペイン (3) 3–0  アメリカ合衆国 (7) ヴァルトシュタディオンTC (C) フランクフルト
1995  スペイン (4) 3–2  アメリカ合衆国 (8) Valencia T.C. (C) バレンシア
1996  アメリカ合衆国 (15) 5–0  スペイン (3) アトランティックシティ・コンベンションセンター (ICp) アトランティックシティ
1997  フランス (1) 4–1  オランダ (2) Brabant Hall (ICp) スヘルトーヘンボス
1998  スペイン (5) 3–2  スイス (1) Palexpo Hall (IH) ジュネーヴ
1999  アメリカ合衆国 (16) 4–1  ロシア (3) Taube Tennis Stadium (H) スタンフォード
2000  アメリカ合衆国 (17) 5–0  スペイン (4) マンダレイ・ベイ (ICp) ラスベガス
2001  ベルギー (1) 2–1  ロシア (4) Parque Ferial Juan Carlos I (IC) マドリード
2002  スロバキア (1) 3–1  スペイン (5) Palacio de Congresos (IH) グラン・カナリア島
2003  フランス (2) 4–1  アメリカ合衆国 (9) オリンピック・スタジアム (ICp) モスクワ
2004  ロシア (1) 3–2  フランス (1) クリタツコエ・スポーツ・パレス (ICp) モスクワ
2005  ロシア (2) 3–2  フランス (2) スタッド・ローラン・ギャロス (C) パリ
2006  イタリア (1) 3–2  ベルギー (1) スピロウドーム (IH) シャルルロワ
2007  ロシア (3) 4–0  イタリア (1) ルジニキ・スポーツ宮殿 (IH) モスクワ
2008  ロシア (4) 4–0  スペイン (6) クラブ・デ・カンポ・ヴィラ・デ・マドリッド (C) マドリード
2009  イタリア (2) 4–0  アメリカ合衆国 (10) Circolo del Tennis (C) レッジョ・ディ・カラブリア
2010  イタリア (3) 3–1  アメリカ合衆国 (11) サンディエゴ・スポーツ・アリーナ (IH) サンディエゴ
2011  チェコ (6) 3–2  ロシア (5) オリンピック・スタジアム (IH) モスクワ
2012  チェコ (7) 3–1  セルビア (1) O2 Arena (IH) プラハ
2013  イタリア (4) 4–0  ロシア (6) Tennis Club Cagliari (C) カリャリ
2014  チェコ (8) 3–1  ドイツ (5) O2アリーナ (I) プラハ
2015  チェコ (9) 3–2  ロシア (7) O2アリーナ (I) プラハ
2016  チェコ (10) 3–2  フランス (3) Rhénus Sport (IH) ストラスブール
2017  アメリカ合衆国 (18) 3–2  ベラルーシ (1) チジョウカ・アリーナ ミンスク
2018  チェコ (11) 3–0  アメリカ合衆国 (12) O2アリーナ (I) プラハ
2019  フランス 3–2  オーストラリア RACアリーナ パース
2020-21 RTF (5) 2–0  スイス O2アリーナ (I) プラハ
2022  スイス (1) 2–0  オーストラリア (12) エミレーツ・アリーナ (I) グラスゴー
2023  カナダ (1) 2–0  イタリア (2) Estadio de La Cartuja (IH) Sevilla
2024  イタリア (5) 2–0  スロバキア (1) Martin Carpena Arena (IH) Málaga Spain
2025 深圳湾体育中心 (IH) 深圳市

チーム成績

優勝年 準優勝
アメリカ合衆国 1963, 1966, 1967, 1969, 1976, 1977, 1978, 1979, 1980, 1981, 1982, 1986, 1989, 1990, 1996, 1999, 2000, 2017 (18) 1964, 1965, 1974, 1985, 1987, 1991, 1994, 1995, 2003, 2009, 2010, 2012 (12)
チェコスロバキア
 チェコ
1975, 1983, 1984, 1985, 1988, 2011, 2012, 2014 , 2015, 2016, 2018 (11) 1986 (1)
オーストラリア 1964, 1965, 1968, 1970, 1971, 1973, 1974 (7) 1963, 1969, 1975, 1976, 1977, 1978, 1979, 1980, 1984, 1993,2019, 2022 (12)
スペイン 1991, 1993, 1994, 1995, 1998 (5) 1989, 1992, 1996, 2000, 2002, 2008 (6)
ソビエト連邦
ロシア
2004, 2005, 2007, 2008, 2020-21 (5) 1988, 1990, 1999, 2001, 2011, 2013 (6)
イタリア 2006, 2009, 2010, 2013 (4) 2007 , 2023 (2)
フランス 1997, 2003, 2019 (3) 2004, 2005, 2016 (3)
西ドイツ
ドイツ
1987, 1992 (2) 1966, 1970, 1982, 1983, 2014 (5)
スイス 2022(1) 1998, 2020-21 (2)
南アフリカ共和国 1972 (1) 1973 (1)
ベルギー 2001 (1) 2006 (1)
スロバキア 2002 (1) (0)
カナダ 2023 (1) (0)
イギリス (0) 1967, 1971, 1972, 1981 (4)
オランダ (0) 1968, 1997 (2)
セルビア (0) 2012 (1)
 ベラルーシ (0) 2017 (1)

脚注

  1. ^ Clarey, Christopher (2020年9月17日). “In a Fitting Tribute, the Fed Cup Is Renamed After Billie Jean King”. The New York Times. オリジナルの2020年9月17日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20200917121017/https://www.nytimes.com/2020/09/17/sports/tennis/billie-jean-king-renamed-fed-cup.html 2020年9月23日閲覧。 
  2. ^ About Us”. BillieJeanKingCup.com. 2020年9月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年9月23日閲覧。
  3. ^ (G) - 芝, (C) - クレー, (H) - ハード, (Cp) - カーペット, (Ix) - 屋内

関連項目

外部リンク


フェデレーション・カップ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/27 04:12 UTC 版)

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フェデレーション・カップ (Federation Cup)

  • ビリー・ジーン・キング・カップ - 女子テニス大会。旧称フェドカップ、フェデレーション・カップ。
  • バングラデシュ・フェデレーションカップ - インドのサッカー大会。
  • インド・フェデレーションカップ - インドのサッカー大会。
  • アラブ首長国連邦フェデレーションカップ - アラブ首長国連邦のサッカー大会。
  • クウェート・フェデレーションカップ - クウェートのサッカー大会。
  • レバノン・フェデレーションカップ - レバノンのサッカー大会。
  • サウジ・フェデレーションカップ - サウジアラビアのサッカー大会。
  • コパ・フェデラシオン - スペインのサッカー大会。
  • USSRフェデレーションカップ - ソビエト連邦のサッカー大会。

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